夢なら覚めてくれ…38年間、教壇に立ち続けた61歳・元高校教師。退職金2,300万円で“投資デビュー”を果たした、あまりにも「危うい判断」【FPが解説】
老後の命綱であるはずの数千万円の退職金。しかし、定年まで質素倹約に励んできた「真面目な人」ほど、大金を手にすることで足元をすくわれることも。本記事では、FP事務所MYS(マイス)のFP・工藤崇氏が、退職金で投資デビューした60代元高校教師の野島さん(仮名)の事例をもとに、リスク管理が疎かなまま、投資に退職金の全額を投じてしまう危うさについて解説します。※事例は、プライバシーのため一部脚色して記事化したものです。
定年退職を迎えた「質素倹約」な元高校教師
野島紘一(仮名)さんは2022年、約40年勤めた東京都内の公立高校を退職しました。時代の変化とともに生徒像も変わるなか、その時代ごとに必死に一人ひとりの生徒に向き合い、進学校の進路指導主任や学年主任を歴任してきました。「教育が生徒の未来を切り開く」と強く信じた真面目な教員生活でした。
一方、プライベートはとても地味でした。質素倹約で、趣味は読書と野球観戦です。スタジアムのある関内まで自宅から1時間で、3カ月に1度くらいのペースで横浜の夜空の下で野球観戦する時間が好きでした。
とはいえ、試合後に繁華街に寄ることも少なく、自宅に直行する日々。読書も伊東潤さんなどの時代小説が好きで、資産運用や金融リテラシーとはまったく無縁の日々を過ごしてきました。「自分は教育のプロ、あらゆるものを公平にジャッジして、的確に向き合うことができる」と真面目で質素倹約な元高校教師だった野島さんは思っていたのでしょう。そうした自負が、投資における冷静なリスク検証を妨げ、後の悲劇を招くことになりました。
「東京ー名古屋間に新しい大動脈ができます」という投資話
退職して1年、長年連れ添った家族と、神奈川県北部に秋の紅葉狩りに出かけた数日後でした。10年ほど前に卒業した教え子の千葉(仮名)君から、連絡が入ります。「確か不動産業界で頑張っているはず。せっかくなので知見を広げるために、一席用意して不動産の話を聞こう」と場を設けることになりました。
野球観戦の時と同じ道沿いにある、指定された関内の居酒屋は素敵な場所でした。しかし、この再会のたった数カ月後に、長年の教員生活の見返りである退職金が「無」になるとは、野島さんは一切想像していなかったでしょう。
千葉君の話はこうです。「東京から名古屋にかけて東名高速が走っていますよね。あの北側に『新東名高速道路』が建設されています。あとは秦野と静岡県の御殿場を結ぶだけで、結べば東名高速の慢性的な渋滞を解決できます。そして、ここだけの話ですが……この連結点に、大きな道の駅を作る話があるんですよ。」
「千葉君それは凄いね。その道の駅に何か関わっているの?」と少し疑念を抱く野島さん。「あれ、彼はゼネコンではなくデベロッパーのはず。関わっている仕事の話ではないのかな」と思ったとき、彼から意外な言葉が飛び出しました。
「先生、この道の駅の土地を買いませんか?」
詳しく聞くと「不動産クラウドファンディング」という手法でした。これから開発する大型案件の土地所有権を複数の投資家で購入して、建設後の収益を分け合う。新東名高速ができるのは間違いない事実なので、道の駅計画が頓挫することはない。千葉君の真摯な説明はとても熱意のあるものでした。本来、不動産クラウドファンディングは少額から投資できる優れた仕組みです。しかし、千葉君の提案はそれとは異なるものでした。
「この話、自分がこれまでお世話になった人に喜んでもらおうと思って。なので先生にお話をしました。先生、退職金がありますよね。これを新東名ができた折には、数倍にすることができるかなと思って」
「そんな上手い話があるわけはない。ただ、新東名は必ずできる。日本は高度経済成長以来、そうやって国が大きくなってきた。退職金がもう少し増えれば、人生100年時代でも大丈夫かもしれない。教員生活はたくさん苦労もあった。最後にこんなご褒美があってもいいじゃないか」と考えた野島さんは、退職金2,300万円をすべて、この不動産クラウドファンディングに回すことにしました。
失った2,300万円の代償…退職金投資デビューの危うさと対策
千葉君の投資話から3年が経過した先日、野島さんと個別相談でお会いしました。ちょうど不動産クラウドファンディングが話題になっている頃でもあり、「いつでもこういう話はあるんですね」というところからのスタートでした。
投資の経験のない人が、受け取ったすべてのお金を退職金につぎ込む「退職金投資デビュー」は、典型的な失敗例です。不動産クラウドファンディングという手法自体が悪いのではなく、一つの案件に資産の大部分を集中させてしまうこと、そしてその情報の裏取りを怠ったことが、大きな敗因でした。筆者は個別相談に多数対応していますが、「投資で失敗してしまった」という後日談のなかによくみられるケースでもあります。
今回の話、新東名の建設はまぎれもない事実です。千葉君の得た情報も事実ではない箇所もあるとはいえ、まったくの詐欺話ではないでしょう。しかし、投資した土地の値段が上がるという保証はなかったのも事実であり、お金が野島さんに返ってくることはありませんでした。
今回の事態を回避するポイントは、「どこからが証明されていない内容なのか」を常に意識することです。繰り返しますが、新東名の建設は紛れもない事実。建設計画も国が承認したものです。一方で現在工事がトンネルの開通で苦戦していることは、調べればわかります。そして道の駅の計画は、あくまで生徒からの情報であり、客観性・立証性を保ってはいないものです。
この状況下で、投資をする前に誰かに相談することは必須です。また投資するとしても、いきなり全額は避けるべきでしょう。野島さんは元教師だけあって、「勉強は得意」でした。ただ、勉強ができる人でも投資で成功するとは限らないのです。
残された貯金で老後破産だけは何とか回避
野島さんは退職金の2,300万円をすべて溶かしてしまいました。先般、道の駅の運営会社から破産通知が届き、お金が返ってくる可能性はなくなりました。「夢なら覚めてくれ……」と野島さんは何度も願ったことでしょう。
千葉君とつながったSNSはブロックされたまま、電話をかけても出ることはありません。ほかの生徒に投資の事実を隠してさりげなく聞いたところ、「わからないです。消息不明です」とのこと。野島さんだけでは、ないのでしょう。
ただ、これまで堅実な暮らしをしていたこともあり、貯金は2,000万円残りました。夫婦合わせての月の年金額は約30万円。2人の娘も既に巣立っているだけに、老後破産する状況には至りませんでした。
しかし、退職金の2,300万円があれば、温泉まわりをするなど余裕を持って楽しめたはず。幸せなことに奥様と節約旅行には出かけますが、新東名の方向を選ぶことはありません。「高速道路は何も悪くはないのですけどね」とそうつぶやいた姿が印象的でした。
工藤 崇
株式会社FP-MYS代表
FP(ファイナンシャル・プランナー)
IFA(独立系フィナンシャルアドバイザー)
