新たな扉を開いたのは「失敗作」。Roland開発者が語ったTR-1000の舞台裏
「失敗作」として世に出たリズムマシンが、音楽の歴史を変えた。
ヒップホップからテクノ、ハウスまで、世界中のダンスミュージックを支えてきたRoland(ローランド)の「TR-808」「TR-909」。音楽好きなら一度は耳にしたことがあるこの伝説の機材には、開発者自身も予想していなかった数々のドラマがあります。
去る10月18日、原宿のRoland Store Tokyoで、そんなTRシリーズの裏話がたっぷり聞けるイベント「TR History Meeting」が開催されました。登壇したのはTR-808とTR-909の開発に携わった菊本忠男さん、星合厚さん、最新機種TR-1000の開発責任者・田原大地さん。当日は音楽プロデューサーの佐藤純之介さんの司会で、開発秘話が次々と明かされていきました。
Photo: Roland
ヒップホッププロデューサーに発見された失敗作
イベントでは、まず菊本さんから、TR-808誕生の経緯が語られました。
1979年当時、アメリカ市場では、スタジオコストの削減に向けたリアルな音のドラムマシンが求められていました。そこで当時、社長だった梯郁太郎さんはRolandでもマーケット拡大を目指し、「リアルなドラムマシンを作ろう」と菊本さんに提案。
しかし、菊本さんが試算してみたところ、サンプリング方式だと開発に約1万ドル(当時のレートで約240万円)もかかってしまうことがわかり、Rolandはシンセサイザー技術でドラム音を作る方向に舵を切ります。しかし、そうして生まれたTR-808の評価は散々。目標とするリアルなドラムの音とは程遠く、社内外から酷評の嵐で完全に失敗作扱いでした。
ところが、中古市場に流れたTR-808を、アフリカ・バンバータやアーサー・ベイカーといったヒップホップアーティストが発見。その独特の重低音とシンプルな操作性が、ヒップホップと完璧にマッチしたことで、TR-808はこのシーンで必要不可欠な機材に。しかし、開発者の菊本さんがそのことを知ったのは、発売から10年以上経った1992年だったといいます。
その伝説的なTR-808の重低音について、菊本さんはこう振り返ります。
「当時、ローランドの開発部屋には、それほど良いスピーカーがなかった。安いスピーカーで(808の)音を鳴らすと、スピーカーが揺れるのが見える。
でも、その低い周波数は耳では聴こえないんです。初めてちゃんと聴いたのは6年ほど前。1kW出力の大型スピーカーで聴いて、これは耳ではなく、”身体で聞く"ものなんだと気づいたんです」
要は、開発当時は自分たちでもあの低音の本当のすごさをわかっておらず、偶然の産物だったというわけですね。
Photo: Roland
理解されなかったデジアナ音源
続いて星合さんが、1982年の入社直後に関わることになったTR-909の開発秘話を披露。当初はTR-808と同じく全部アナログで作る予定でしたが、シンバルとハイハットの音がどうしても納得いかない。そこで開発チームは1983年前半、急遽金物にデジタル(PCM)音源を採用。その際にサンプリングされたのが、星合さんの私物のシンバルでした。
こうしてアナログとデジタルのハイブリッド音源を搭載した新たなリズムマシンが誕生しましたが、開発当時は営業部門からは「808より売れない」とブーイングの嵐。ただ、それを見かねた梯さんの温情で生産が決定し、約1万台が生産されることに。
こちらも発売から5〜10年後に再評価されましたが、その複雑な背景を踏まえつつ、星合さんは「結果として、世界中のミュージシャンと共演しているわけなので、それは非常にうれしいですね」と語りました。
Photo: Roland
タブーとなっていたアナログ回路
そして話題はTR-1000の開発秘話へ。
TRシリーズの新たなフラッグシップモデルとして発売されたTR-1000は、ローランドとして約40年ぶりにアナログ回路を搭載したリズムマシン。TR-808とTR-909から厳選した16種類のアナログ回路を受け継ぎつつ、新開発のサウンドエンジンを搭載。さらに同社の独自技術「ACB(Analog Circuit Behavior)」を用いてTR-808とTR-909を再現した21種類の「8X」「9X」モデルも搭載しています。つまり、ヴィンテージサウンドはもちろん、現代的な新しい表現も実現するドラムマシンが誕生したわけです。
この開発の背景について、菊本さんが笑いながら「シンセサイザー技術で革新を続けてきたRolandでは、創業者の意向でアナログ回路は長らくタブーだった」と暴露してくれました。しかし、田原さんによると、「創業者不在」という環境の変化で、ついにフラッグシップモデルとしてアナログ回路の採用が実現したとのこと。
「創業者がご存命だった時の障壁がなくなった。今回はフラッグシップモデルを作るという話が出たので、どうせやるなら本気でやろうということで、時間とコストをかけられたんです」
ただし、当時の開発エンジニアはもういない。アナログ回路図にも誤りがあって、実機と音を合わせるのに苦労するなど、開発は困難を極めたそうです。
Photo:Jun Funkunaga
また、TR-1000の開発コンセプトについて、田原さんは「質実剛健」という言葉で表現していました。TR-1000は、リズムマシンとしては多彩な機能を搭載していますが、あくまでリズムマシンであることを追求。
開発の過程では、グルーヴボックス的な機能の搭載や、筐体の色味やツマミのカラーを変えるという意見もあったそうですが、それでも田原さんは"音を作ることに集中する"というテーマを守り、迷ったときは必ずそのコンセプトからブレないことを大切にして開発を進めたといいます。
Photo: Roland
ちなみにTR-1000の開発背景には、菊本さんが退職後に挑戦した「RC-808」というプロジェクトがあります。このプロジェクトは、ドラムを単なるリズム楽器ではなく、"メロディを奏でる楽器として再定義する"という革新的な取り組みです。
菊本さん曰く、「従来のドラムトラックはゲートタイムしかないが、これにピッチとゲートタイム、コントロールチェンジをつければ、キックドラムを歌わせることができる」とのことですが、TR-1000の「8xバスドラム」音色は、その思想を受け継いでいます。イベントでは、その"歌うキックドラム"も披露されました。
ファットなサウンドへのこだわり
また、イベントの後半には、菊本さんが提唱する「低音ルネッサンス」のデモンストレーションがありました。
TR-1000の8xバスドラムは16Hzまで出力可能ですが、この周波数はスピーカーでは聴こえません。そこで菊本さんは、振動で低音を感じるデバイスを手作りし、来場者全員に配布。TR-1000の低音と組み合わせると、”身体で聞く"低音が振動を通じて伝わってきます。
Photo:Jun Funkunaga
この体験について、菊本さんはこう語ります。
「今、高校の部活動で軽音部やブラスバンド部員数が減っているが、理由は音楽よりもゲームの方がはるかに楽しくなってしまっているから。
もっと音楽を楽しめるように、かつてTR-808から広がった重低音の価値を復活させて、音楽体験を一新させたいんです」
TR-808で重低音の価値を世界中に示した菊本さんですが、その音響技術にかける情熱はまだまだ衰えることを知らないようです。話を聴いていてワクワクが止まりませんでした。
イベントの最後、3人はそれぞれメッセージを残しました。菊本さんは創業者・梯さんの「同じものを作ってはいけない」という言葉を引用し、「相反する2つのものを組み合わせて相乗効果を創出する。常にリクリエイトすることが大事」というものづくりの哲学を語りました。
TR-1000については、星合さんが「もしバグがあれば、それを逆手に取ってほしい。目的外使用でも試してほしい」、田原さんは「イレギュラーな使い方や、全く関係のないジャンルで使ってほしい。想像しないような新しい文化を、皆さんと一緒に作っていきたい」と、ユーザーとの共創への期待を語りました。
開発者が予想しなかった使われ方で音楽の歴史を変えたTR-808、TR-909。その系譜を考えると、新たなRolandのフラッグシップTR-1000も今後の音楽の歴史を変える可能性は十分にあります。そして、その未来を創るのはこの記事を読んでいるあなたかもしれません。
Source: Roland

