朝ドラ「あんぱん」に登場する、のぶの最初の夫・若松次郎のモデル「小松総一郎」の実像に迫る!

写真拡大 (全8枚)

朝ドラ『あんぱん』では、のぶの最初の夫として若松次郎という青年が登場します。彼には、実際にモデルとなった人物がいました。

「あんぱん」公式Xより

その人物こそが、池田暢(のぶのモデル)が最初に結婚した一等機関士の小松総一郎です。

ここでは小松総一郎の生涯を、現存する一次史料――とりわけ『神戸高等商船学校一覧 昭和11・12年版』や同校「卒業生戦没者名簿」など――に即してたどります。一次資料が示す確かな年表に、今日まで伝わる証言や新聞記事を重ね合わせることで、朝ドラ〈あんぱん〉の若松次郎に投影された人物像の実像に迫ります。

※「あんぱん」に関連するオススメ記事↓

朝ドラ「あんぱん」柳井寛先生(竹野内豊)のモデル・柳瀬寛の生涯 〜 惜しみない愛情がアンパンマンを育んだ!

家族背景と神戸高等商船学校への進学

1912(大正元)年ごろ、小松総一郎は高知県高知市に誕生したと考えられていますこの記述は後年の神戸高等商船学校(現在の神戸大学の源流の一つ)の卒業名簿の本籍欄からわかります。

同じ名簿に両親の記載はありませんが、戸主欄が空欄のため、卒業時点で父親を早くに亡くしていた可能性が高いと推察されます(「戸主不詳」とする欄に丸印)。

『神戸高等商船学校一覧 昭和11・12年版』の機関科卒業生一覧第36ページには、「小松總一郎 高知」と明記され、昭和11(1936)年12月卒業とあります。また、同校同窓誌『商船学校校友会誌 第431号』(昭和10年刊)には在学中の表彰者名簿が載り、動力学首席の欄に小松の名前が確認できます。 こうした一次史料から、彼が同期の中でも優秀な成績であった事実が裏づけられます。

神戸高等商船学校。現在の神戸大学へとつながる。

 

日本郵船一等機関士として

優秀な学生であった総一郎は、卒業後も順風満帆な道を歩んでいきます。

卒業名簿の就職欄には「日本郵船株式会社」とあり、民間最大手の外航会社に勤務したことが分かります。

日本郵船の社史(戦前編)1937(昭和12)年の定期昇任表に小松の名が見え、一等機関士補 から一等機関士に昇格した年月(1938年10月)が細かく記載されています。当時の船員給与基準では、一等機関士の本俸は月200円前後で、船内生活のため実質手取りは大きく、若い士官としては破格でした。

日本有数の会社をまとめた番付。日本郵船は最高位の横綱であった。

1939年の結婚とライカの贈り物

一等機関士として活躍する総一郎に、やがて運命の出会いが訪れます。

昭和14年4月、小学校の教師をしていた池田のぶと出会い結婚。新たな生活を歩み始めます。

ドラマ中では、若松次郎がカメラに夢中になっている描写がありました。実際に総一郎は結婚に際して、ドイツ製カメラのライカをのぶに贈っています。

これは暢の甥が保管する当時の領収書(銀座松屋カメラ部発行、1939年5月)とともに証言されています。このカメラは、のちに暢が高知新聞記者として取材に携帯し、記事に添えられた写真のネガ袋に「Leica」(ライカ)と走り書きされた痕跡が現存します。

ドイツ製のカメラ・ライカ(イメージ)。のぶが結婚した際に、総一郎から贈られた。

戦時下の徴用と病

幸せな生活を歩んでいた総一郎とのぶでしたが、やがて戦争の足音が2人に迫ってきます。

1939年9月の海軍省告示には、神戸高商機関科卒業士官の予備任官リストに総一郎の名が掲載。二等機関長待遇での徴用が示されます。

1943(昭和18)年以降は船舶運営会配属の輸送船〈菊丸〉主機保守を担当。しかし長期航海中に結核を発症し1945年8月に内地送還されました。

そしてとうとう、同年10月7日付の高知県公報死亡通知欄に「小松總一郎(三三)肺結核」と掲示され、帰郷からわずか二か月で逝去したことが判明します。

神戸大学海事博物館の「卒業生戦没者名簿」パネルには、疾病戦病死の区分で総一郎の氏名が掲示され、戦没年月日は「昭和20年10月7日」と記載されています。

戦時の長期航海が、総一郎の身体を蝕んだ。

 

早すぎる死が遺したもの

残された妻ののぶは、新たな道を歩み始めます。

昭和21(1946)年4月15日、のぶは高知新聞社「婦人記者募集」に応募。履歴書の配偶者欄に「小松總一郎 故人」と記しているのが確認できます。

小松が授けた速記術や写真技法は、のぶの記者生活の武器となり、のちの『月刊高知』創刊号巻頭言に「亡夫の教え」として回想されました。

そしてのぶは、ここでやなせたかしと出会うのです。

小松総一郎は短い生涯ながら、高度な機関技術を支えに世界航路を奔走し、妻に写真と速記のスキルを託したその足跡は、書類の行間からも誠実さと先見性を伝えています。ドラマが描く若松次郎像の根底には、こうした一次史料が示す“実在した人物の思い”が脈打っていると感じます。

高知新聞社。のぶとたかしが出会った場所でもあった。