写真右から頭の位置順に、綾小路、西園寺、白鳥、星、早乙女

「あのころは、メンバー全員が “ここ” の近所に住んでいて。毎日集まって、楽器を弾くか酒を飲むか。くだらない話ばかりして……青春だったな」

 東京都杉並区の東高円寺駅から歩いてほどなく――。階段を下りたアパートメントの地下1階にあるライブハウス「ロサンゼルスクラブ」を懐かしむのは、「氣志團」のメインボーカルの綾小路 “セロニアス” 翔だ。

 彼に加え、ダンサーの早乙女光、ギターの西園寺瞳と星グランマニエ、ベースの白鳥松竹梅、ドラムスの白鳥雪之丞(無期休学中)からなるロックバンド・氣志團。6人にとってロサンゼルスクラブは、結成の原点となる場所だ。

 今回、氣志團の「メイジャーデビュー(※)20周年」を記念し、この原点の地から綾小路へのインタビューを開始。“永遠の16歳” が歩んだ足跡をたどる。

――まずは、氣志團の歴史から振り返らせてください。ロサンゼルスクラブで結成したきっかけとは?

「僕が1997年に、ロサンゼルスクラブでバイトを始めたんですよ。当時は光(早乙女)、ユッキ(雪之丞)を含む、木更津の同級生4人組でバンドを組んでいました。

 そこにバイト仲間だったトミー(西園寺)とランマ(星)が加入して、ランマの友人だった松(松竹梅)も入ってきたんです。だから、この場所がなかったら氣志團は結成していなかったと思いますね」

――当時は下積み時代だったと思いますが……。

「ぜんぜん、下積みって感覚はなかったんですよね。ただただ、楽しいというか。もちろん、お金はなかったですけど。メンバーそれぞれの給料日はだいたい把握していたので『誰かの給料日を狙って飲む』みたいな(笑)。

 光はデビュー後もしばらくサラリーマンを続けていて、彼のボーナスは、すべて氣志團の飲み代に消えたと思う。こっちは『ボーナス出たら、しばらくタダ飲みできるな』くらいの気持ちでした……(笑)」

――苦労はありましたか?

「まあ、お風呂ですよね。上京してからデビュー2年めくらいまでは、つねに “風呂なしアパート” でした。僕は『都会に住まないと、何かチャンスが来ても逃してしまう』と考えていたので、家賃を削ってでも “トーキョーライフ” を続けると決めていました。

 でもGIG(ライブ)後に、夜中だと銭湯がやってなくて、リーゼントヘアが洗えないのはキツかった。ロサンゼルスクラブの流し場で洗ったこともあります」

――その状況を変えたのが、デビュー曲でもある『One Night Carnival』だったと思います。

「当時、青梅街道と環七が交わる交差点を歩いていたら、暴走族が通ったんですよ。20世紀最後の2000年に、『東京にもまだコテコテの “族” がいるんだ』と興奮して、中学のときに初めて(木更津を通る)国道127号線に見に行った、先輩たちの集会がフラッシュバックしてきたんです。そのときに、自然とサビのメロディと歌詞はできていました。

 後日、メンバーが集まったときに、『ツッパリと真逆のことをテーマにしたらおもしろい』と話しました。それで出てきたのが “ディスコ調“ で、“語り“ が入って、“パラパラを踊る” ということだったんです。

 だから、昔ならヤンキーといえば『男の勲章』が流れるところに、今ではこの曲が使われたりして、“ツッパリ代表曲” として市民権を得られたことは、不思議な気持ちでもあります」

 氣志團の存在を世に知らしめるのには、この一曲で十分だった。彼らは『One Night Carnival』を引っ提げ、『NHK紅白歌合戦』に2004年、2005年と連続出場を果たす。

――初めて『紅白』に出たときは、どうでしたか?

「2004年は東京ドームでコンサートもやったんです。2001年のメイジャーデビューのころから “神風” に乗って、突っ走ってきたことのピークを『紅白』で迎えた、と思いました」

――そして2006年には、なんとDJ OZMAが『紅白』出場を果たします。

「一応、設定上は別人なんですが……(笑)。でも、すごいですよ。氣志團で、何年もかけてやっと届いた場所に、OZMAは1年もかからないで到達しましたから」

――当時はどういう気持ちでOZMAを始めたんですか?

「自分の中で、ドツボの時期だったんです。恋人に別れを告げられたり、氣志團メンバーともバンドの方向性の違いがあって……。『こんなに好かれたくて頑張っているのに、なんでうまくいかないのだろう』と。だったら、『ハナっから世の中からものすごく嫌われよう』と思ったんです。

 わけもなく自意識過剰なヘアスタイルで、わけもなく日焼けして、わけもなくギラギラした服装の、必要以上にチャラチャラした業界人……みたいなイメージ(笑)。そこに、当時ハマっていたアジア系の音楽を結びつけました」

――2006年の『紅白』では、「全裸騒動」も起きました。

「『FLASH』にも、けっこう叩かれましたね(笑)。NHKさんにもいろいろと言われましたが、当然我々にも言い分はあります。が、もはやいまさら蒸し返しても……って話かもしれませんね(笑)。

 ただ、氣志團だったら、ああいう形にはならなかった気がします。あれはOZMAだから、“世界一の余興男” の彼だからこそ、やったんだと思いますよ。彼にとっては、『紅白』も『みんなを楽しませるために余興をしに行っただけ』だったんでしょうね」

――「OZMAなら、こうする」と考えて行動していたと。

「そう。OZMAは『亀戸のボールペン工場の次男坊』という設定があって。だから、彼にとっては『芸能界から干されるとか、どうでもいい』『忖度しない』ということです。

 僕は『自分自身ってなんだろう?』と考えたとき、『コスプレイヤーなのかな?』って思うんです。

 OZMAだけでなく、氣志團だって『リーゼント、学ラン、昭和の男の心意気』という1990年代に絶滅しかけた “ツッパリダンディズム三種の神器” を21世紀に持ち込むと決めたことに始まり、どんな場面でも漢気とユーモアを忘れない『綾小路翔』というヒーロー像を演じているのかもしれません」

※氣志團なりの「メジャーデビュー」

きしだん
綾小路翔ら千葉県木更津市出身メンバーを中心に、ヤンキーとパンクの融合「ヤンク・ロック」を掲げ、結成されたロックバンド。2004年、2005年と2年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場。「氣志團万博」は2003年に初開催し、これまで計11回開催されている

あやのこうじ“せろにあす”しょう
4月26日生まれ千葉県出身 「氣志團」のメインボーカル。DJ OZMA、矢島美容室のナオミ・カメリア・ヤジマの顔も持つほかに、氣志團の弟分「微熱DANJI」のプロデュースも手がける。2019年に「みうらじゅん賞」受賞

写真・久保貴弘

●デビュー20周年記念の第1弾として、筒美京平トリビュートアルバム『Oneway Generation』が4月28日に発売

●全国30公演を巡る、「センチメンタルライブハウスツアー2021『緊急密会宣言』」も開催中
「今回のツアーは2001年〜2009年編と、2010年〜2021年編の二部構成になっていて、バンドの移り変わりが見られるのが、いちばんの見どころです。コロナで不自由な環境でのライブだけど、絶対に楽しませますよ」(綾小路)

●「氣志團万博2021」開催決定! 2021年9月中旬、千葉県・袖ケ浦海浜公園にて。詳細は後日発表

(週刊FLASH 2021年5月11日・18日合併号)