1996年の第45巻以来、23年ぶりとなる『ドラえもん』の最新刊で、誕生50周年を記念し発売された『ドラえもん 0巻』がこの秋に発売され、累計発行部数は25万部を突破するなど圧倒的な売れ行きを見せている。

単行本未収録の幻の1話や締切りまでに間に合わず、主人公無しでの予告となった「伝説の予告ページ」や、作者自身によるドキュメンタリー漫画「ドラえもん誕生」らが収録された盛り沢山な一冊となっている。

そんな長年に渡って老若男女から絶大なる支持がある不動の人気コンテンツ『ドラえもん』のアニメは1979年にテレビ朝日系列で放送が開始され、今年でめでたく40周年を迎えたのだが、実はこれ以前の1973年にも、かなり変わった作風・設定のドラえもんが他局の日本テレビで放送されていたという封印されし事実があるのだ。

だが、この通称「日テレ版ドラえもん」は僅か半年で放送打ち切りをくらい、ビデオの販売は疎か再放送は現在に至るまで40年以上も行われていない。
これらの出来事にはどういった背景があるのかを簡潔に説明していきます。

東京の下町を舞台にしたドタバタ喜劇なドラえもん!

「日テレ版ドラえもん」が放送されたのは、1973年4月から9月までの半年間のこと。制作会社もシンエイ動画ではなく「日本テレビ動画」という会社。
日本テレビ動画でドラえもんの制作主任を務めた真佐美ジュンさんは「当時『ドラえもん』をテレビアニメ化するのは相当な冒険であって、今でこそ国民的な漫画となっているが、当時はまだ原作漫画の単行本も出ておらず、テレビアニメ化とはわけが違った。」と語っている。

日テレ版は作風が大幅に異なり、今のドラえもんに慣れ親しんだ子供達が当時のものを見たら驚愕するに違いない。
のび太は荒れた悪ガキっぽく、ドラえもんはなんだかオヤジ臭い。

他にも以下のような特徴があった。

・ドラえもんの声優は「平成天才バカボン」のバカボンのパパなど、おじさん役で知られる富田耕生さんだった。


・ドラえもんの声優は後半、「ドラゴンボール」の孫悟空や「銀河鉄道999」の星野鉄郎で知られる野沢雅子さんへと男女逆転した。


・ジャイアンの声優は、テレ朝版でスネ夫役を務めた肝付兼太さんだった。


・原作ではほとんど登場しない幻のキャラクター、アヒルの「ガチャ子」が活躍していた。しずかちゃん宅へ居候しており、同じ家にはボタ子という、やはり原作ではほとんど出てこないお手伝いさんもいた。


・ジャイアンの「母ちゃん」は亡くなっていた。


・のび太たちが通うのは「下町小学校」だった。


・ドラえもんはひみつ道具を出す際、「あ〜らよっ」と江戸弁でかけ声をかけた。

今のドラえもんとは大幅に設定が違うパラレルワールドだが、なかなか人情味に溢れる味のあるテイストであり、ジワジワと子供達からの人気を集め、放送の継続が決まり掛けていたのだが、ある出来事を境に放送はパタリと中断となってしまうのだ。

突然消えた社長・・ 河川敷で燃やされたセル画や台本たち・・
放送継続が決まりかけていた1973年の夏。
日本テレビ動画の社長・新倉雅美が突如行方をくらます失踪事件が発生。
その後、経営を引き継いだ同社の会長はアニメ会社の経営に無関心な人物で、「もう止めよう」の一言で会社は解散したという。

真佐美ジュンさんは「なぜ社長が消えたのか、今もって分かりません。ただ、前身の東京テレビ動画時代に金銭トラブルがあったと聞いています」と回想。

会社消滅の中、わずか2週間で作った最終話は「さようならドラえもんの巻」。
残された日本テレビ動画のスタッフらは、社屋引き払いのためドラえもんの制作資料のほとんどを止むを得ず廃棄処分したという。

更に最終話が放送された9月30日の夜、真佐美ジュンさんは後輩と2人で白いライトバンにカット袋1万袋分のセル画や台本、絵コンテを積み込み、実家に近い埼玉県浦和市の荒川河川敷で全てを焼き払ったという。
なので日テレ版の資料は当時のスタッフが個人的に所有していたもの以外、ほぼ残っていない。

日テレ版に対して否定的な考えを持っていた藤子・F・不二雄
テレビ朝日でドラえもんの放送が開始された1979年以降も日テレ版が富山放送で密かに再放送されており、原作者の藤子・F・不二雄さんはこれに激怒したという。

藤子作品のアニメ化に関わっていた小学館元専務の赤座登(あかざ・のぼる)さんによると、
「藤本先生は旧作の内容が全く気に入っておらず、『原作とは似て非なるものだ』とおっしゃっていました。『たしかに一度は許諾して作ったものだけど、私が作った原作のイメージと全然違うし、放送して欲しくない。できたら何とかしてほしい』という意向でした」と語っており、藤子スタジオは小学館と連名で「再放送は許諾できない。法的措置も考える」と、富山テレビに内容証明を送って抗議したという。

現在は動画サイト上にも日テレ版のきちんとした本編映像は存在しておらず、語られることはほぼ無くなってしまったが、いつか元祖ドラえもんが何らかの形で封印を解き、見れるようになる事を期待したい。

【出典】
『産経ニュース』:2009年1月
https://web.archive.org/web/20090210164814/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/090110/gam0901101801001-n1.htm
https://web.archive.org/web/20090210163224/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/090112/gam0901121801000-n1.htm
『ダ・ヴィンチニュース』:2016年11月21日
https://ddnavi.com/news/335124/a/
『旧ドラえもん製作者証言』
http://kiokunokasabuta.web.fc2.com/k-dorainterview.html

(written by 虫歯太郎)