甲子園が後半戦を迎える中、ファンの間で燻り続けるのが、163キロ右腕、大船渡高校・佐々木朗希(ろうき・3年)投手の岩手県大会決勝での登板回避問題だ。その是非は日本中で議論を巻き起こし、球数制限の導入問題など、今後の高校球界のあり方も問われる事態へと発展している。

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 しかし、大船渡・國保陽平監督の決断の是非を問う以前に、前提として知るべき“緊急事態”がチームには起きていた。春から佐々木投手の密着取材を続ける、ノンフィクションライターの柳川悠二氏が描く、佐々木の登板回避の裏にあった真実とは――。

(全3回中の1回目)

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岩手県大会で取材に答える大船渡・佐々木投手  ©文藝春秋

あり得ない起用法ではなかった

 101回目の夏の全国高等学校野球選手権大会が終盤に差し掛かっても、いまだ“事件”の賛否を問う声は消えない。7月25日の岩手大会決勝において、令和の怪物こと大船渡・佐々木朗希に対し、同校の國保陽平監督(32)が登板を回避させたあの件である。

 張本勲氏とダルビッシュ有(カブス)の舌戦こそ休戦に入ったが、高校球児の投球過多にやたらと神経を尖らせるジャーナリストが、こうかく沫を飛ばすように、高校野球に一石を投じた英断だと持論を展開する。だが、テレビやスポーツ紙の表面的な情報だけで、物見遊山の識者が國保采配の議論に加わることには、強い抵抗を覚える。

 私はこの春のU−18侍ジャパン第一次候補合宿から、佐々木と大船渡の動向を追い続けてきた。163キロを記録した代表合宿から大船渡に帰って来てからというもの、國保監督は国内外のスカウトや報道陣、大勢のファンが訪れようが、「163キロに耐えうる身体ではない」と第一に佐々木の右肩・右ヒジの負担を考慮し、登板する時には力を加減した投球を指示し、登板させないことも多かった。

 もちろん、甲子園切符の懸かった岩手大会の決勝で佐々木をまったく起用しないというのは驚きでしかなかったが、國保監督の采配を取材していれば、あり得ない起用法ではなかった。

 問題の本質は、登板回避の是非ではない。

 國保監督と、佐々木や佐々木と共に甲子園に行こうと大船渡に集まったナインとの信頼関係が、決勝の段階で完全に崩壊してしまっていたという強い疑念があるのだ。それは現場に居合わせなければ気づけない暗澹たる空気だった。

春季岩手大会での“迷采配”

 國保監督の采配に、私が最初に疑問を抱いたのは、5月に岩手県の九戸郡野田村で開催された春季岩手大会1回戦だった。この大会には、夏の大会のシード権が懸かっており、甲子園を目指す大船渡が、夏の岩手大会で花巻東や盛岡大付属をはじめとする県内強豪私立との連戦をなるべくなら避けたいと考えるのは当然で、ナインにとっては軽視できない大会だった。

 相手は大船渡と同地区の釜石。國保監督は先発マウンドに、背番号「10」の和田吟太を送った。大船渡と釜石は練習試合も行っており、両校の実力差からして、控え投手の先発も十分に予想されたことだった。

 ところが、初回に和田が連打を浴び、4点を先制されてしまう。大船渡は2回に右翼を守っていた4番・佐々木が四球で歩くと、主砲の木下大洋に左中間に飛び込む2点本塁打が飛び出し、追いすがる。

 目を疑ったのは、大船渡が2対4で迎えた6回表1死一、三塁のチャンスの場面だった。國保監督は、前の打席で本塁打を放っていた5番の木下に送りバントを指示する。

 あえて強調しておくが、「1死一、二塁」ではなく、「1死一、三塁」である。定石なら強攻、もしくはスクイズだろう。それを三塁走者を塁上に足止めにしたまま、一塁走者を二塁に進塁させるためだけに、アウトをひとつ、献上したのだ。

 試合後、國保監督はこう振り返った。

「夏の大会の勝利を目指していく中で、1番、3番、4番、5番の4人に頼るのは苦しい。後ろの打者も活躍しようということで、ああいうこと(送りバント)になりました」

「ここが僕の弱さだと思うんです」

 要するに、下位打線にチャンスの場面で打席に立たせ、打って自信をつけさせるために、併殺の恐れのある強攻ではなく、一塁走者を進めるだけのバントを選択したというのである。

 相手捕手は決して肩が強くなく、「盗塁」も考えられた場面だった。一塁走者は、50メートルを5秒台で走る俊足の佐々木で、走らせれば高い確率でセーフになっていたはずだ。國保監督はこう続けた。

「ここが僕の弱さだと思うんですけど、相手の弱いところを突く野球が、(高校野球として)果たしてそれで良いのか。そういうことを考えてしまって……。結果的に負けてしまったのだから、(采配は)良くなかったのでしょう」

外野で敗戦を見届けた佐々木

 國保監督の迷采配はこの理解しがたい送りバントだけではなかった。大船渡は8回に4対4の同点に追いついたものの、延長10回に和田が力尽き、サヨナラ負けを喫した。リードされていた場面でも、延長に入った緊迫の場面でも、國保監督は佐々木や他の投手陣を準備させず、佐々木は右翼の守備位置から敗戦の瞬間を見届けた。國保監督は言った。

「高校野球は部活動であります。圧倒的に(佐々木の)ワンマンチームになりそうなところ、この春の大会ではチームの総合力を上げたかった。投手陣は佐々木朗希ひとりに頼らず、全員で戦おうという気持ちを固める目的もあった。まあ、(ひとりの投手しか起用しないまま)今日で終わってしまったんですけど……」

 チャンスで回って来た主軸に逆転を託すことよりも、力の劣る下位打線の奮起を期待する。日本中が注目する令和の怪物のワンマンチームにはならないように、控え投手にもチャンスを与え、チーム全員で戦おうと意識づける。

選手と監督との間には深い溝が

 國保監督は公立の盛岡一高の出身で、筑波大を経て米国独立リーグも経験した野球人である。大船渡では國保監督は体育科の教員を務める。米国の経験から、投手の肩やヒジの投球疲労には神経をつかい、また強豪私立の勝利至上主義を貫くような職業監督とは対局の立場で指揮を執っていた。目先の勝利よりも、選手全員の成長に期待する教育者としての姿勢は、崇高なものかもしれない。だが、総力戦で戦うと話したわりには、和田には完投を強いている。チームを勝利に導く監督として、彼の言葉と采配には矛盾しか感じられなかった。

「先発した和田吟太が一生懸命投げていたので、なんとか、このまま勝ちをつけてあげたいなと思って、引っ張りました。今日投げた球数は120球ぐらいだったと思うんですけど、和田は冬の間にピッチング練習をたくさんして、右肩が出来上がった状態でこの大会を迎えた。佐々木の場合はなかなかそういうことにならずに、(仕上がりが)遅れた状態でここまで来ています」

 結果的に大船渡は岩手大会1回戦で敗れ、夏はノーシードで戦うことになった。試合後、佐々木はあの送りバントのシーンをこう振り返った。

「点を取るための作戦。それが(監督の)指示だったと思うので、しょうがないと思います」

 高校野球の監督を、まして公立高校の指揮官の采配を、プロ野球の監督と同じように批判することは御法度だろう。だが、國保監督の采配はあまりに不可解だった、そして、國保監督の采配の意図を選手がどれだけ理解していたのか。疑問は募るばかりだった。もしかしたら、夏の大会も佐々木が登板することなく、終戦を迎えるのではないか。そういう疑念が巡り、そしてそれは現実となった。

 この日の試合以降、大船渡のベンチにいる國保監督が「サイン」を出すことはなくなった。監督が攻撃前の円陣に加わって選手を鼓舞するようなシーンはなく、打席に入った選手が、監督をまるで見ようとしない。

 選手と監督との間には、深い溝が生まれているように見えた。

※第2回は8/19(月)、第3回は8/20(火)公開予定

(柳川 悠二)