■デザイン思考

佐賀県小城市。ラムネや炭酸水を製造する友桝(ともます)飲料は、1902年、この地で創業した老舗清涼飲料メーカーだ。

清涼飲料の市場は戦後、外資系や酒類メーカーの参入、規制緩和などを経て国内の中小メーカーは苦戦を強いられ、最盛期で80社あった佐賀のラムネ業者も、2社にまで激減した。

厳しいマーケット環境のなか、2001年、25歳の若さで社長に就任した友枡飲料の友田諭氏は積極的な新商品開発に取り組み、事業を拡大。01年当時2億円だった売り上げは、約92億円にまで成長、社員数も10人程度から約130人にまで増えた。

地方の小さなメーカーが、いかにして地域を代表する企業へと変貌を遂げたのか――。

新しいビジネスアイデアを生み出す「デザイン思考」の第一人者・佐宗邦威氏が、成功のポイントを3つの観点から解説する。

代表取締役社長 友田 諭氏●1975年、佐賀県生まれ。98年、九州大学農学部食糧化学工学科卒業。同年薬品系商社へ入社。2000年、友桝飲料へ入社し、翌年代表取締役に就任した。19年SBI大学院大学にてMBA取得。

■事業拡大のエンジンになった会社の「ミッション」明確化

友田さんは「土間の先には製造設備と工場がある」という3世代同居の家族経営の家庭で育ちました。友田さんが生まれた70年代には製造する瓶入りサイダーの宅配事業などで成長した友桝飲料でしたが、82年、清涼飲料へのペットボトル使用が認可されると、瓶入り飲料の宅配サービスは下火に。また、販売チャネルが駄菓子屋さんからスーパー、コンビニへと変わり、大手メーカーの力は一層増していきました。中小のラムネ業者は次々と事業を畳んでいきます。

そんな家業が苦しい状況のなかで青春を過ごした友田さんですが「正月以外は休みもせず、365日真面目に働いている昔気質の祖父や父を見て、カッコいいと思っていました。自分が家業を継ぐのだと自然に思っていました」。九州大学農学部に進んだ後、ビジネスを学ぼうと地元の薬品系の商社に就職します。2年間経験を積み、24歳で友桝飲料に入社。1年後の01年には、社長に就任しました。

しかしそこにあったのは、10人の社員で必死に働いても事業が拡大しない、という苦しい現実でした。

「もしかしたらこの会社は難破船かもしれない、補修ができるかもわからない。では、100年以上航海を続けているこの船をどうすればいいのか――」

中小企業ゆえの生き残り戦略を考える必要も感じていました。

そこで、友田さんが立ち戻ったのが、会社が存在する目的、ミッションを明確にすることでした。

「曽祖父から4代にわたって培った『ほかの人より一歩先んじてやってみる』という創業の精神を前面に出そうと思ったんです。決して大きくはない事業規模だからこそできること、うちじゃないとできないこととは何なのか。強みを活かす戦略を考えたんです」

そこでたどり着いたのが、小ロットでの商品開発でした。その結果、現在では、1年間で開発される新商品の数は全国の飲料メーカートップの150にものぼるようになっているのです。

拠り所としているミッションは、7年前に新造した社屋の2階エントランスに会社の120年の歴史資料とともに掲げられています。会社の規模が大きくなり社員も増えるなかでも、この創業の精神を浸透させようと、社員の勉強会や合宿研修を定期的に行い、社内報を冊子にして制作するなど理解を深める活動も継続して行っています。

企業も商品も変化にさらされ、目的を見失いそうになるなかで、会社のミッションを再定義し、浸透させることで自社の強みを伸ばしていく経営が行われているのです。

友枡飲料が次々と商品開発をできる背景としてもう1つあげられるのが、実際に作ってみる「プロトタイピング」のマインドセットがあります。

■ヒット商品を生み出す「プロトタイピング」マインドセット

デザイン思考が生まれた米スタンフォード大学では、機械工学科の教員が試作品を見ながら、設計や営業などの多くの人が一緒に議論することで、よりよいものを作るという手法が体系化されています。この試作品、新商品を次々と作り、よりよいものを作るというプロセスが友枡飲料では行われているのです。実際、市場に次々と商品を発表し、小さなヒットから次の新たなプロトタイプ商品につなげ、さらに次の商品がヒットするといういい連鎖を生んでいます。その典型的な商品が「こどもびいる」でした。

03年のこと、博多のもんじゃ焼き店から、「こどもびいる」のアイデアが書かれた1通のメールが、友桝飲料に送られてきたそうです。

「ネーミングを見た瞬間から、クリスマスのシャンメリーのようにハレの日に、子どもたちがおじいさんやおばあさん、家族で楽しんで飲むイメージがはっきりと浮かんだんです。イケると直感しました」

友田社長はこれをすぐに商品化。ノンアルコールビールが一般的になる前だった04年、100万本以上を売り上げる大ヒットとなりました。

さらに、こどもびいるで開拓した流通網を活かして、飲食店での展開を狙って販売をスタートしたのが復刻版の瓶入りサイダー「スワンサイダー」でした。炭酸飲料の市場は、資本で勝る大手メーカーが圧倒的なシェアを占めています。全国的に見ても中小企業はどんどん少なくなっていました。

旧社屋で会社の歴史を展示●創業当初の社屋を改修し「友桝飲料展示資料館」を開設。ラムネ充填機や創業当初のガラス瓶、二代目友田軍平の家訓を写真とともに展示している。

「ラムネ業者が生き残るには、大手から仕事を請け負って製造工場になるしかないのが現実でした。でも、それではこれまでのラムネや瓶入り炭酸飲料の歴史を絶やすことになってしまう。それは忍びなかった。ここであがこうと思ったんです」

思いを込めた瓶入りのスワンサイダーですが、1度はメニューに並べても、続けて仕入れてくれるお店は多くはありません。ところが、思わぬところで販路が広がります。お中元やお歳暮というギフト需要を発掘したのです。

「新しい販路を探しているなかで、贈答用の需要として高島屋さんで採用が決まりました。はじめは1000セット程度を考えていたものの、アッという間に5000セットが売れた。瓶入りサイダーにはデパートなどでのギフト需要があるとわかり、さらにそこから自家需要も高いということがわかったのです」

このようにして新しい取り組みをはじめるというマインドセットを持つことで、マーケットとチャネルを開拓していきます。そしてさらに瓶入りサイダー製造を起点にはじめたODM(Original Design Manufacturing)は事業拡大を加速させます。

■まずは商品化という姿勢が事業の拡大につながっている

贈答用の需要が広まるなか、全国各地から「うちの特産品で、ご当地サイダーができないか」という問い合わせが相次いだのです。

「『こどもびいる』という識別力のある商品が広告塔になってくれて、自然と問い合わせが増えた。やはり、ターニングポイントになった商品でしたね」

そこから持ち込まれる商品開発の相談に必死に応えるうちに、長崎の「温泉レモネード」、香川・小豆島の「オリーブサイダー」など数々のご当地サイダーを協力開発、製造することに。結果的に、ODMのノウハウを確立できたのです。

最近では「週刊少年ジャンプ」などの人気漫画・アニメキャラクターをラベルにしたサイダーを発売するなど、チャネルをますます拡大しています。

また、ここ数年の炭酸水ブームが起こる前から、アルコールの割り材として瓶入りの炭酸水も発売しています。「友桝の炭酸水はバカみたいに炭酸が強いとのお客様からの声を受けて、では可能な限り強くしてみようと」。そんな遊びゴコロで作ったのが、強炭酸水の「VOX」。これは、いま起きている強炭酸水ブーム・市場を先取りした商品になりました。さらに、小城の天然水を利用した炭酸入り天然水を発売。いまでこそスパークリング天然水は大手各社も販売している商品ですが、友桝飲料は先駆けて世に出していました。この炭酸入り天然水は売り上げの中核に成長しています。

「制度やマーケットができあがる前にやってしまうものだから、失敗もたくさんあります」と友田さんは謙遜しますが、まずは商品化するというこの姿勢が事業の拡大につながっているのは間違いありません。

■アイデアを形にしていく「ユーザー共創」

友田さんはご当地サイダーで得たODMのノウハウを、「自社の夢を実現する場」と位置づけます。地域と、ユーザー、そして働く人と思いを共有して、幸せになるという夢です。

「日本中、世界中にニーズは山のようにある。そして、アイデアは転がっている。大手では断られてしまうような少ない販売数の商品でも、私たちならスピード感をもって、小さなロット数でも工場を回すことができます。どんな小さなニーズにも応える商品開発をして、そこに私たちも協力することで、一緒になって夢を叶えていきたい」

そのなかからヒット商品が生まれる友桝飲料。いい企画を生み出す秘訣はどこにあるかと尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「答えは消費者が持っているんです。最終的には消費者に正面から向き合わないといけません。どれだけ会議室で話し合っていても、出てくるのは大手の二番煎じのアイデアばかりですから、閉じこもっていても仕方ない。世界のどこかにいる、いちばんその商品を作りたいと思っている人のサポートをすることです」

実際に、友桝飲料の新商品の9割が一般消費者や顧客、あるいはパートナー企業などのユーザーの提案からスタートしているといいます。そして、そのユーザーがその商品に込める思いを共有し、価値を見いだしていく「ユーザー共創」が実践されているのです。

一般的に伝統的企業では、自社のアイデアや技術を漏らしたくないと社内だけ、ともすると経営者1人で抱え込んでしまおうという企業も少なくありません。その殻から抜け出し、一緒に作ろうという姿勢が友桝飲料の商品開発を支えています。

いま注力するモスコミュール専用のジンジャーエールも、「モスコミュールにぴったり合う刺激の強いものを」という、バーテンダーの持ち込んだアイデアだったといいます。

「社外にこそアイデアマンがたくさんいるんですよ。なかには、清涼飲料ではない魅力的な企画を持ち込まれることがある。今後は、サイダー以外の商品開発について、例えばリキュールならこの企業、お菓子ならこの企業というように、コンサルティング業務も行いたいと思っています」

■次に目指す企業の姿はどこにあるのか

事業を順調に拡大してきた友田さん。次に目指す企業の姿はどこにあるのか。

「佐賀で働くなら、九州の製造業に勤めるなら、友桝飲料やな、そう思われる企業になりたいんです。なにより、私自身が働きたいと思える会社でないといけません。夢や希望、志がある人間が何かをやろうとしたときの、場を提供したい。とにかく夢を持った人の集まりにしたいんです」

事業だけではなく、社員の繁栄を目指す。これからも人とアイデアを集め、友桝飲料の拡大は続きそうだ。

▼デザイン思考 成功のポイント:社外からのアイデアを受け入れ、理由を探って商品化

会社概要【友桝飲料】
●本社所在地:佐賀県小城市小城町
●資本金:3000万円
●売上高:92億円(19年2月期)
●沿革:1902年にラムネ製造業で創業。戦後、サイダーの宅配事業で事業を拡大した。66年に法人、2001年に株式会社化。現在は小ロットでの商品開発に取り組み、年間150を超える新商品を開発している。

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佐宗邦威
BIOTOPE代表 京都造形芸術大学客員教授
1980年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、P&Gジャパンに入社。ブランドマーケティングに携わった後、ソニーを経てBIOTOPEを創業。米国イリノイ工科大学にてInstitute of designを修了。18年より大学院大学至善館准教授。

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佐宗 邦威BIOTOPE代表 京都造形芸術大学客員教授
1980年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、P&Gジャパンに入社。ブランドマーケティングに携わった後、ソニーを経てBIOTOPEを創業。米国イリノイ工科大学にてInstitute of designを修了。18年より大学院大学至善館准教授。
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(BIOTOPE代表 京都造形芸術大学客員教授 佐宗 邦威 構成=伊藤達也 撮影=藤原武史)