源義経ミステリー。史上最大の兄弟喧嘩の謎
12月7日放送、「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」(テレビ朝日)では、源義経の伝説について。
今から800年前、源氏と平氏が争っていた。源義経は平家を倒した最大の殊勲者だが、兄の頼朝と仲違いしたことが原因で、死に追い詰められたという。わずか31歳でその生涯を終えている。
義経は、鎌倉幕府を開いた頼朝の弟。義経が過ごした鞍馬寺には天狗の伝説がある。そこで奇襲作戦の訓練を積んでいたのだ。
源義経は、幼少期に弁慶と対決したという伝説がある。弁慶は999本の刀を奪って後1本のところで、義経に出会い、敗北し、生涯尽くすと誓った。義経が壇ノ浦の戦いで八艘(はっそう)飛びをしたという伝説も残っている。大山祇神社には、義経が着用した鎧がある。鎧は軽いため、八艘飛びができたのではないかとのことだった。義経は軽装で、身のこなしが軽く、飛び回っていたのだった。
義経が幼少期を過ごした鞍馬寺は、三体の本尊があり、60年に1度開帳される。刀と鎧が飾られている。鞍馬寺からは弁慶のいた比叡山延暦寺が見える。
源義経は、平家を倒すために、兄の頼朝と協力した。卑怯な戦い方をして、頼朝に嫌われていたのだと河合敦が語った。後白河上皇が義経を気に入ったのも、兄弟仲が悪くなる原因だった。
義経は、会うのを拒絶された兄の頼朝宛の手紙。「腰越状」。鎌倉に入ることを許さなかった兄に対して、身の潔白をしたためたもの。腰越状を義経から受け取った大江広元が、頼朝に渡さなかったのではないかという説がある。義経は、頼朝と険悪になり、奥州平泉にゆき、藤原氏に身を寄せたのだった。
