スケート・ショートトラックの中島未莉選手(22)故郷で4年後への思い語る「新たな夢・目標というのが明確にできた」【岡山】
この冬、ミラノ・コルティナ五輪のスケート・ショートトラックに出場した岡山県倉敷市出身の中島未莉選手(22)。日本女子初のメダル獲得を目指して臨んだ今大会でしたが、惜しくも表彰台には届きませんでした。シーズンを終え、先月末、久しぶりに岡山に帰省した中島選手は、4年後に向けた強い思いを語ってくれました。
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五輪の雰囲気は普段の試合とは全然違った
(中島未莉選手)
「どの種目もすごく悔いの残るレースにはなったんですけど、五輪という大舞台で攻めきれたことや、全種目そんなに緊張せず挑めたことはすごくよかった」
2月、自身初めての五輪に臨んだ中島選手。日本女子初のメダル獲得を目指し、5種目にエントリーした今大会でしたが、500m、混合リレー、1000mと立て続けにまさかの予選敗退。続く女子3000mリレーではエースとしてチームを引っ張り、6位入賞を果たしたものの、表彰台には届きませんでした。
(中島未莉選手)
「言葉には表せられないんですけど、五輪独特の雰囲気は、普段の試合とは全然違いました」
小さいころから夢見た五輪は、想像していたよりもはるかに過酷な場所でした。
小学4年生の時に地元・倉敷市のスケートクラブでショートトラックに出会った中島選手。競技を始めた当初から頭角を現すと、倉敷高校進学後には、全国でもトップクラスの選手に成長しました。その才能を磨き上げたのが平井貴子監督。元五輪日本代表です。
(平井貴子監督)
「『よく滑る子だな』というイメージではありました。スケート上手だし、脚長いし、すごくスケートは好きそうにも見えたので、いい選手になるといいなと思っていました」
世界で戦ってきた平井監督から直接指導を受け、着実に力をつけていった中島選手。この頃から五輪への思いも強くなっていきました。
(中島未莉選手(当時17歳))
「『行けたらいいな』から始まって、今は『行きたい』という気持ちになりました。日本代表という大きなものを背負っているので、やっぱりそれは自分にとって憧れなので、ものすごく大変なんだろうけど、それを勝ち取って世界に行きたいです」
恩師の言葉で再び前を
ついに掴んだ夢の舞台でこのまま終わるわけにはいかない…。思いのすべてをぶつけると意気込んだ最後の種目は、最も得意とする1500mです。平井監督も岡山から見守ります。
(スタート)
6人で競う準々決勝。準決勝進出ラインの3位以内を目指し、序盤は中段でレースの展開を伺います。そして中盤、中島選手が前に出ようと仕掛けた時でした。
(中島未莉選手)
「思いもよらないアクシデントにあってしまって、すごくやりきれない気持ちが残ってしまいました」
その後、何とかレースに復帰し完走したものの、メダル獲得の夢は叶えられませんでした。
(中島未莉選手)
「得意の1500mで転倒してしまったんですけど。私の性格上うまくいきすぎると次につながらない性格なので、言ってしまえばうまくいかなくて良かったなと思う部分も少しはあります。でも、本気でメダルを目指していたので…」
レース直後は失意に暮れていた中島選手でしたが、あるメッセージが支えになったと言います。
(中島未莉選手)
「未莉のおかげでたくさんの人に知ってもらえてショートトラック楽しいねって言ってもらえた。良かったよ。大事な一言忘れてた、未莉ありがとう。というメッセージをいただきました」
送り主は恩師・平井監督。五輪の厳しさを知る平井監督だからこそ、戦い抜いた中島選手に真っ先に伝えたい思いがありました。
(中島未莉選手)
「(五輪が)終わってからも悔しい気持ちがずっとあって。この一言が来てからほっとしたというか、いつも支えとなっている存在です」
次の五輪ではしっかりメダルを
シーズンを終え、先月、地元に帰省した中島選手。五輪での入賞がたたえられ、岡山県スポーツ特別顕賞が贈られました。授与式には、県のスケート連盟として平井監督も同席しました。
(平井貴子監督)
「この(日本代表の)ジャージ姿を見ると、本当にやっぱりあの中にいたんだなと実感します。日本のトップになって、日本チームを引っ張るという立場にここから先の4年は変わっていくので、またそういう違った苦労があるとは思うんですが、持ち前の強気な気持ちと優しさで日本チームを盛り上げていってほしいなと思います」
悔しさの残る結果となった初めての五輪。しかし、この経験は日本女子のエースとしての自覚をより強くさせました。
(中島未莉選手)
「小さいころからの夢は叶ったんですけど、五輪のメダリストになるという新たな夢・目標というのが明確にできたので、今後の4年間はしっかりトップをキープできるように。そこを日本での目標にしながら、次の五輪ではしっかりメダルを獲得したいです」
(スタジオ)
ー4年後は26歳・秋(9月ごろ)のシーズン開幕に向けて練習に励むということです。
