倍耐力改めPIRELLI ピレリのパブリックイメージ(前編)【サイトウサトシのタイヤノハナシ 第20回】
ピレリと言えば『サーキットの狼』
南アフリカで行われた試乗会に参加した時のこと。
前日に熱を出してしまい、慌てて近所の医院に。明日から海外出張なのでと、『よく効く』薬をお願いすると、なぜかタブレットではなく四角い紙を折りたたんで包んだ薬を3日分処方してくれました。

2002年、南アフリカで行われた試乗会。 斎藤聡
効きは抜群。熱も下がり、無事南アフリカに到着したのですが……。
税関検査で、全員スーツケースチェック。ボクの番になり、税関官が薬袋を取り上げます。当然、『内服薬』なんて漢字が読めるはずもなく、袋の中から包みを取り出します。
税関官「これは何?」
ボク「薬です」
おもむろに折りたたまれた包みを開く税関官。するとどうでしょう。そこには真っ白な粉(薬)が……。
それを持ってバックヤードに入っていく税関官。
狼狽えてはだめだ、平静を装う、もとい、保たねば。
出口の向こうに消えていく先輩、同輩の背を目で追いながら、湧き上がってくる焦燥感。まあ、風邪薬ですから、何か起こるはずもないのですが、冷汗をかいた旅行体験でした。
実はそれがピレリの試乗会だったりしたんです。2002年のことでした。
ところで皆さん、ピレリというとどんなイメージを持っているでしょうか。
今だとF1のタイヤサプライヤーだし、WRCでも活躍していますから、イメージは悪くないと思います。それに輪をかけて、50歳代以上の世代になると、猛烈な憧れを持っていたりします。
1974年末に連載が始まった『サーキットの狼』で火が点いたスーパーカーブーム。憧れのスーパーカーであったランボルギーニ・カウンタックやポルシェ930ターボに装着されていた超高性能タイヤが、『ピレリP7』でした。
躍進のきっかけは、チントゥラート
そんなピレリには、ラジアルタイヤ黎明期、躍進のきっかけとなる画期的な発明があります。それは『チントゥラート』。ベルトという意味です。
1940年代まで、タイヤはバイアスタイヤでした。1949年にスチールラジアルのミシュランXが登場します。

入国で緊張の一瞬がありつつ、無事に参加できた南アフリカ試乗会。 斎藤聡
ミシュランのスチールラジアルは、耐久性、耐パンク性に優れていたものの、乗り心地が硬く、またサイドウォールとトレッドの剛性差が大きいことから、操縦性の面でも課題を残していました。
これに対してピレリは、ラジアル構造の骨格(カーカス)の上に、周方向に繊維コードのベルト(チントゥラート)を巻くことを考案します。これはスチールラジアルに対して、テキスタイル(布)ラジアルとも呼ばれています。
スチールと比べ、軽量で、柔軟性に優れるチントゥラート(繊維コードのベルト)は、高速域でタイヤの変形(せり上がり)を防ぐタガの役割を果たしながら、乗り心地や操縦性も両立していました。
そのため、フェラーリ250GTやランボルギーニ・ミウラといったハイパフォーマンスモデルがこぞって純正採用したのです。
ランチア・ストラトス用に開発されたP7
そんなピレリも、クルマの高性能化に伴い、1950年代後半チントゥラートにスチールベルトを採用するための研究に入ります。一説には、ミシュランのスチールラジアルの特許が切れる1966年に合わせてスチールラジアルの研究に入ったともいわれています。
いずれにしても、ピレリのスチールラジアルが形になるのは1968年に登場するピレリチントゥラートCN36です。テトリスのL字を組み合わせたような個性的なトレッドデザインで記憶に残っているのですが、構造的にもスチールベルトの上にナイロンの補強層を重ねる(キャッププライ)技術を開発。これが超低偏平ラジアル=ピレリP7につながるわけです。

ポール・リカールで行われた試乗会。 斎藤聡
そもそもP7は、WRCマシン=ランチア・ストラトス用に開発された超高性能タイヤでした。結果、WRC(世界ラリー選手権)で1974、75、76年とマニファクチャラーズ・タイトルを3連覇。文字通りWRCシーンを席捲します。
世界中のクルマ・ファンに、ピレリ=高性能低偏平タイヤメーカーとしての名声を固めていきました。
2015年、中国資本に
経営面でも、最新のピレリには大きな動きがあります。
ピレリの創業は、1872年にまで遡ります。当初は電線やゴム製品の製造からスタートし、1901年に自動車用タイヤ『milano』の発売で本格的にモビリティ分野に参入します。

この時、ポール・リカールでは、ランフラットの試乗会を実施。 斎藤聡
ピレリの成長のカギとなったのが、前述したチントゥラート。1951年に発明され、その後、スチール+チントゥラート(≒キャップレイヤー)のハイブリッド構造を採用。1970年代にP7の登場で、ハイパフォーマンスタイヤメーカーとしての地位を確立します。
そうやって世界的な名声を手にし、順風満帆に見えたピレリですが2015年に中国最大の化学メーカーである中国化工集団(略称:中国化工・ケムチャイナ)の資本を受け入れ、傘下に入ります。
これによって一旦株式を非上場化し、収益性の低いトラック、農業用タイヤ部門を中国側(ケムチャイナ)に統合。ピレリ本体をプレミアムタイヤメーカーとしてブランドの再構築を図るとともに、世界最大の市場である中国でのシェア拡大の足掛かりにしたのです。
そして2017年にミラノ証券取引所に再上場。この時、株主間協定を通じて、経営の独立権と技術の主導権をイタリア側が持ち続ける仕組みを構築します。
資本は中国、経営はイタリアという関係を保ちながら運営。ところが近年、地政学的な変化が起こります。
ひとつは2021年にケムチャイナが、シノケム(中国中化控股有限責任公司…シノケム・ホールディングス 略称:中国中化)へ合併して、純然たる中国国営企業になったのです。そのため、欧米政府からの警戒が一気に強まりました。
倍耐力(ピレリの中国語表記)からPIRELLIへ
ひとつ事例を挙げると、ピレリが開発したサイバータイヤがこれに当たります。サイバータイヤは、タイヤ内部にセンサーを埋め込み、車両や外部とリアルタイムに通信を行う『インテリジェントタイヤ』システムで、欧米側からすれば、技術の流出が懸念されるわけです。
その結果、2023年にイタリア政府がゴールデンパワーを発動します。これはイタリア政府が持つ、民間企業の経営やM&Aに特別介入できる国家権限です。

ポルトガルで行われた試乗会。 斎藤聡
これにより、シノケムは37%の株を保有しながら、役員人事や技術決定の主導権を大幅に制限されることになりました。
シノケム側からの反発が強そうですが、37%もの大株主であることが逆に足かせになって、利益に相反してピレリの企業価値を落とせなくなっています。
ともあれ、ピレリは今現在、中国に筆頭株主を持ちながら、経営の自立性をもった欧州のタイヤメーカーとして新たにスタートを切ったのです。以下、後編に続きます。
