朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』での本屋大賞受賞、そしてエッセイシリーズ「ゆとり三部作」の累計50万部突破を記念して、読者人気の高かった「ゆとり三部作」のエピソード上位3作(※)を特別公開します。 ※ランキング一覧はこちら

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 読者ランキング第2位に輝いたのは、「ホールケーキの乱」(『そして誰もゆとらなくなった』収録)。

 自称“生粋の甘党(過激派)”である朝井リョウさん。クリスマスシーズンのホールケーキを予約しまくった結果、非常に奇妙な後味を残すとある“事件”に遭遇します。


朝井リョウさんのエッセイシリーズ“ゆとり三部作”。©文藝春秋

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 ホールケーキの独り占め。この世の中で、これ以上の幸福感を醸し出せる言葉の組み合わせは存在するだろうか。

 12時までチェックアウト延長無料。電源とWi-Fi使い放題。あと半日で三連休……どれも魅惑的ではあるが、“ホールケーキの独り占め”を前にすれば白旗を上げるほかなくなる。ケーキを縁取るクリームの生垣に初めてフォークを突き刺すあの瞬間、私はいつも、たっぷり積もった新雪に一歩目を踏み出すときの快感は冬でなくとも味わえるのだと心底思う。

 そんな、生粋の甘党(過激派)の私にとって、クリスマスとは、イエス・キリストの降誕祭という認識ではない。もちろん、恋人同士でよろしく過ごす日でも、友人同士や家族でパーティを催す日でも、「私はぼっちです!(でもそんな自分が実は嫌いじゃないの!)」とインターネット上で過剰に喧伝する日でもない。

 ひとりでホールケーキを食べても社会から弾圧されない日、だ。

 許されるならば、私は毎日でもホールケーキと共に在りたいと思っている。ホールケーキとの共生。だけど、社会はそんなに甘くない(スイーツの話なのに)。まず悲鳴を上げるのは、身体である。ホールケーキと共に在った翌日は、ニキビが出来たり太ったり胸焼けをしたりするのだ。なんですかその顔は? 社会は甘くないとか大袈裟なこと言っといてお前の身体のしょうもない食べすぎあるあるかよとか思ってるんですか? 私の身体も紛れもなく社会の一部でしょう?

 そして意外と、精神的なハードルも高い。何か特別なお祝い事でもないと、果たしてホールケーキに臨むに相応しい人間なのか、自分で自分が疑わしくなってしまう。何でもない平日にホールケーキを前にしても、気分が盛り上がらないどころか自分はとんでもないバカなんじゃないかと急に不安になったりするのだ。ケーキライフバランスの実現はなかなか難しいのである。

 以上のような障壁が全てなくなるのが、クリスマス期間だ。まず地球上の全員が健康に悪いものを食べているので、健康問題は気にならなくなる。全員の寿命が縮まるのだからそれは寿命が縮まっていないも同然だ。そして、期間限定の特別なケーキがそこらじゅうで売り出されるどころかコンビニにまでホールケーキが並ぶこの期間は、街じゅうが「ホールケーキと共生しましょう!」というメッセージでいっぱいになる。弾圧どころか推奨されるわけだ。は〜最高。イエス・キリストの降誕祭に“ケーキ”という全く関係のないものを根付かせた洋菓子業界のがめつい商魂に感謝〜!

スイーツの神様の声

 というわけで迎えた2020年のクリスマスシーズン。私は例年にない熱量でホールケーキに入れあげていた。

 この年は皆さんも骨身に染みて感じた通り、感染症が流行した年だった。

 それ以前から在宅ワークのような日々ではあったものの、2020年は人生で一番家にいた。そうなると、お金を使う機会も、パッと気持ちが明るくなるようなイベントもなくなる。読者の皆様もそうだったと思うが、今年はこんな感じで終わるんだなァと、11月下旬の私はどこか盛り上がらない気持ちを燻ぶらせていた。

 都内のホテルたちが、クリスマスケーキのラインアップを発表するまでは。

 私はこれまで、コンビニやカフェ、ドーナツショップなどの新作を日々の楽しみとしてきた。あの日まで頑張ればミスタードーナツの新作が、あの日まで頑張ればローソンのスイーツの新作が、という要領で、なんにも起きない日常に一つ数百円のスイーツたちが素敵な旗を立ててくれていたのだ。特に感染症が流行してからはひたすら家の中でパソコンに向かう日々で、月に何度か訪れるささやかなご褒美は大きな心の支えとなっていた。

 そこに訪れたのが、ほぼ毎日のように新作かつ期間限定かつゴージャス感丸出しのケーキが放出され続ける怒濤のクリスマス期間である。

 私は各ホテルのラインアップがまとめられている特集ページを眺めながら、もう上京して十数年になるのに、どうして今までこの豪華絢爛なケーキたちを手に入れようとしなかったのだろうと不思議に思った。私はきっと、予約と支払いさえ済ませれば手に入れられると知ってはいながら、こんな贅沢品は自分とは無関係だと思っていたのだ。ケーキにこんなお金は使えないと、一般常識に自分自身を当てはめて遠慮をしていたのだ。だけどもういいじゃないか。他の何にお金を使うわけでもないのだし、年に一度、各ホテルのパティシエの叡智が集結した一品を楽しむくらい、いいではないか。今年は本当にずっと家にいた。ここでお金を使わないでいつ使うつもりなのか、自分! ――そう自問自答していた、そのときだった。

≪全部食べなさい――。≫

 えっ? いま何か聞こえたような……

≪私はスイーツの神様。全部、食べなさい。≫

 スイーツの神様? と、今話してる? すごい、『魔女の宅急便』のキキとジジみたいですね!

≪食べたいと思ったものは、全部食べるのです――。≫

 でも神様、いいんですか? ホテルが出してるクリスマスケーキって、なんかもっと『東京カレンダー』に出てくるみたいな人が食べるものなのかなって……やっぱり高いし、甘いものにこれだけお金使うのはもったいないのかなって思う自分もいるんです。

≪明日死ぬかもしれないのに?≫

 え?

≪明日死ぬかもしれないのにって言ってるの。≫

 怖……そういう極論ぶつけてくるタイプなんだ。

≪もう大人なんだから、お金の使い道くらい自分で決めなさい。≫

 大人なんだからとか言い出した……でも本当にそうかも。私は一体誰の許しを得ようとしていたんだろう。自分で稼いだお金で自分が欲しいものを買う、それでいいんだよね。

≪そうです。生まれ変わったあなたにまた会える日を楽しみにしていますね――……≫

 ありがとう! スイーツの神様! バイバーイ!

 というわけで、私は神の啓示に従って、この年は思い切りホテルのクリスマスケーキを楽しむことに決めた。そして私は今、自問自答等で描写が冗長になりそうな部分は神との対話で乗り切れるという非常に狡い気づきを得た。これは使えるぞ! ありがとう神様!

 まず、戦況の確認から始めることにした。

 どのホテルも基本的に、クリスマスケーキの最終販売日は12月25日であった。これは想定内だったが、中にはイブと当日の二日間しか販売しないホテルもあり、せっかくのスペシャルでボナペティなケーキなのだからもっと売ればいいのに、と思わざるを得なかった。そのために研究や開発を重ねてきたのでしょう? だったらもう門松とかブチのけて売っちゃおうよ!

 というわけで、いくつ買うとしても最終購入日は12月25日で決定。生ケーキの消費期限は購入したその日中というのが関の山だが、私はひとつのホールケーキを食べ切るのに二日は要する。そのくらいの延長は仕方ないだろう(良い子は真似しないでね――……)。つまり、胃の休息日を一日挟むとして、引取日と引取日の間隔は三日間ほど空けるべきだ。私は、25日に最後のケーキを引き取るところから逆算しつつ、自分の予定、各ホテルの販売開始日を照らし合わせ、最大値でいくつケーキを回収できるのかを割り出していった。

 結果、2020年のクリスマス、私は5つのホールケーキを引き取ることが決定した。

 ざっと調べたところ、都内で最も早い引取日を設定しているのは、某ホテルの【12月7日から】だった。その日から始まって、11日、16日、20日、25日。これが私の叩き出した最適解となった。

 ということで、2020年の私のクリスマスは、12月7日から25日まで、計19日間の開催ということで落ち着いた。

 大人って最高だなァ。次々にケーキの引き取り予約をキメていきながら、私は染み入るようにそう思った。子どものころ、大人になるっていうのは辛く苦しいことが増えるイメージがあった。でも今は、それだけではないと確信を持って言える。辛く苦しいこともあるけれど、大人になればクリスマスの期間だって自分で決められるのだ。

12月上旬に颯爽と現れたスーパークリスマスボーイ

 12月7日。某ホテルが他のどこよりも早く、クリスマスケーキの引き渡しを開始する日。

 私は朝から気合いを入れていた。ホームページによると、このホテルの場合、地下にある洋菓子店が引き渡し会場となっているらしい。引き渡し開始時刻は午前11時だ。

 私は、そのホテルに午前11時に到着できるようすべてを調整していた。というのも、今日引き取るケーキをケーキその1とするならば、この日の昼食からケーキその1を食べ始めないと、11日にケーキその2を引き取る際、ケーキその1からその2までの間に胃に十分な休息期間を与えられない可能性が高かったからだ。19日あるクリスマス期間中、いかに胃腸、そして冷蔵庫内のバトンタッチをスムーズに行えるかが最重要課題であった。一日三食のうちケーキに当てると見込んだ食事は、絶対にそうしなければならない。急な外食の誘いに応じたり食事を抜いたりすることは自殺行為だ。絶対に許されない。

 午前11時の少し前、私はホテルに到着した。地下の洋菓子店に赴くと、やはりまだ11時にはなっていないからだろうか、オープンしてはおらず、閉じたままのガラス扉の向こう側で店員さんたちが忙しなく動き回っている様子が見て取れた。

 私は、閉まったままのガラスのドアの前にぴたりと寄り添うように立った。そのフロアに、他に客は一人もいなかった。

 店内で準備に勤しむ店員さんと、ガラス越しに目が合う。オープンまでの一分間、不思議な緊張感が二人を繋いでいた。

「いらっしゃいませ」

 ドアが開いた瞬間、私はレジに直行した。開店前からドア前で待機していたくせに店内の商品やショーケースに一瞥もくれない客に、店員さんたちは明らかに動揺していた。

「予約した○○です。クリスマスケーキの引き取りに来ました」

 始まった――。

 私は予約の詳細を伝えながら、そう思った。たった今、私のクリスマスが始まった。戦いの火蓋が切られたのだ。

 まさか店員さんも、引き渡し期間開始一秒でスーパークリスマスボーイが現れるとは思っていなかったのだろう。「少々お待ち下さい」と何かしら確認したのち、やっと納得した様子で、レジの背後から輝く白い箱を持ってきてくれた。

「中身をご確認いただきます。こちらで大丈夫でしょうか?」

 そこには、この日までに画像や紹介文を何度見直したかわからない、クリスマスの幕開けに相応しい上品なホールケーキが鎮座していた。王道の、苺のショートケーキだ。ふんわりと香る甘い匂い、職人の熟練の業が生み出す生クリームの曲線美と、瑞々しく輝く苺の張った肌。このシーズンの主役は私でしょうと言わんばかりのそのクラシックな佇まいに、私はうっとりした。やはり一つ目のケーキをキミにして正解だったよ――。

「ありがとうございます」

 私は帰りの電車に揺られながら、不思議な優越感に浸っていた。いま視界に映る誰も、同じ車両に、もうクリスマスケーキを手にしている人間がいるなんて想像もしていないだろう。だってまだ12月7日、しかも午前中なのだ。でも、あなたたちの知らないところで、クリスマスはもう始まっているんですよ。

≪その通りです。≫

 わ! 神様! 久しぶり!

≪クリスマス開始、おめでとうございます。だけど、おめでとうを伝えたいのは、あなただけではないんですよ。≫

 ど、どういうことですか?

≪あのホテルにとっても、たった今が、クリスマスの始まりだったということです。≫

 はっ確かに……言われてみれば、私が絶対に一人目ですよね、クリスマスケーキを引き取ったの。私によって、あのホテルのクリスマスが始まったということになるんですね!

≪その通りです。あのホテルのクリスマス初めを担ったのは、他ならぬあなたなのです。≫

 そう考えると、なんだかより誇らしいですね! 書き初めならぬケキ初め! 神様またね、バイバーイ!

(後編に続く)

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 朝井リョウさんによるエッセイシリーズ『時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』『そして誰もゆとらなくなった』は文春文庫で好評発売中です。

19日間でホールケーキを5つ食べた結果…朝井リョウが医師に下された診断結果は〉へ続く

(朝井 リョウ/文春文庫)