西本・掛布が驚いた高校時代の“怪物・江川卓”「ブルペンで全力で投げたことない」 早慶戦に憧れるも父親の“受験”方針で法政大学に
プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
1973年センバツ、甲子園で「怪物・江川」がついにそのベールを脱いだ。
高校最後の夏を目前に控えたころの話から引き続き伺う。
そして、初めて「空白の一日」について江川が語った。
【西本・掛布が語る高校時代の“怪物”】
徳光和夫:
でも全国的には逆に、江川っていうすごいピッチャーがいるぞということで、相当招待試合であちこち。
江川卓:
それからはすごかったです。
金曜日学校終わってからいろんなところに、四国とか九州とかに、あとは北陸とかにお呼びいただいて、土曜日は投げるんですね、1試合。日曜日はたぶん3〜4人、半分ぐらい投げたと思います。
で、日曜の夜帰ってきて授業を受けて、また金曜日の時に行くっていう。
だから相当へばっていたんだと思います。
徳光:
でしょうね。
江川:
だからまぁ、毎週末はどこかに遠征していた。
遠藤玲子(フジテレビアナウンサー):
当時対戦した西本(聖)さんと掛布(雅之)さんからの証言もあるので。
2025年4月1日放送
遠藤:
作新学院との練習試合で江川さんともうその時に投げ合ったと。
その時の江川さんの印象っていうのは?
西本聖:
もうすごかったです。もうあのボールよく浮いてくる、「ホップする」っていうんですけどね、聞いたことあって見たことないじゃないですか。打席に立った時、本当にボールが浮いてきましたからね。これはすごいなと思いましたね。
徳光:
江川と西本さんは1個違いですね。
西本:
江川さん1個上です。
徳光:
上ですよね。西本さんが1年生で。
西本:
2年生かな。
徳光:
江川さんが3年生。一番速い時ですね、江川さん。
西本:
その通りです。
徳光:
野球人生の中で。その人がのちのちライバルになるとは思わなかったでしょ?
西本:
全然思わないですよね、その時はね。
2023年11月2日放送
遠藤:
学生のころは?
掛布雅之:
1回だけですね、作新学院の方に練習試合に行ったことあるんです。僕は大橋くんというサイドスローの、彼もプロ野球入ったんですけど、彼、1打席目に右のひざにボールが当たりまして引っ込んだんですよ。医務室で治療してもいただいて結構強烈に当たりましたので、それで3回ぐらいに戻ってきた時に、作新のブルペンがざわめき出すんですよ。どうなってんのと思ったら、ロープみたいなのを張り出すんですよ。そしたら江川が来るわけですよ。野球見てるファンの方がみんなブルペンに行くわけですよ。僕はもう人垣ができてますから見えなかったんですけど、あのミットに入る音ですね。今まで聞いたこともないような音を出してました。
徳光:
その時が初めての江川ですか。
掛布:
そうです。もう、習志野のバッターは「こんなボール見たこともない」という顔をして、みんなベンチに帰ってきてました。まっすぐも全部三振ですもん。
遠藤:
その時、でも対戦してたらどうだったんですかね?高校時代に。
掛布:
打てなかったでしょ、良かったと思います。高校時代、もしもあの打席に立ったら、あのボールをずーっと頭の中に残像があるわけじゃないですか、トラウマになるわけです。
江川:
あの今の西本君と一緒にブルペンに映ってるじゃないですか。
人がものすごく周りにいますよね。
江川:
だから、あそこのブルペンで僕全力で投げたことないんですよ。
どこに誰がいるかわからないから。
このブルペンは全力では僕投げたことないんですよ。
だから8割ぐらいで投げてます。
遠藤:
人前で、むしろいいところ見せようっていう。
江川:
いや分かっちゃうじゃないですか、球筋が。
遠藤:
じゃあ、掛布さんがミットの音でびっくりしたって言った時も、全力では投げてない?
江川:
投げてないですよ。だから人がいるから。
室内練習場とか誰もいないときは投げることありますけど、こういう状態では僕は全力で投げたことないですよ。
試合では投げてますよ。
徳光:
全力投球を知ってるのは、ある意味でキャッチャーですよね。
江川:
そうですね。
それ、ちょっと面白い話がありまして、亀岡っていう、当時、(旧姓)小倉偉民という。
亀岡が正捕手で、もう1人中田君というキャッチャーが同級生でいたんですよ。
中田君はブルペンのボールは受けてるので、しょっちゅう受けてもらっているので。
江川:
たまたま亀岡がけがをしたことがありまして、試合に初めて中田君が出る時があったんですよ。
中田君はブルペンで受けてるので、1球目、試合のボールをバッと投げたんですよ。
中田君、いつものようにポンとミットを出して。
そしたらボールが上行って、自分の頭を通り越して、審判のマスクに当たったんですよ。
で、審判が倒れちゃって交代したんですよ、1球で。
ウソみたいな話なんですけど、本当の本当の話ですから。
【最後の夏県予選は無失点 ノーヒットノーラン3回伝説】
徳光:
それで3年の夏。
いよいよ栃木大会を迎えるわけでありますよね。
遠藤:
この時はもう、全国の競合チームが「打倒江川」で対戦しているわけですけれども。
徳光:
全国の野球ファンとしましては、江川が全国制覇を成し遂げると、それが楽しみだったわけでありますよね、言ってみればね。
遠藤:
そして栃木大会では、2回戦、3回戦とノーヒットノーラン。準々決勝も完封。宇都宮東に対しても最後ノーヒットノーランで栃木大会優勝。
[ 1973年(作新学院3年)夏 栃木県大会
2回戦 4 - 0 真岡工 9回・21奪三振・1四球 ノーヒットノーラン
3回戦 2 - 0 氏家 9回・15奪三振・無四球・振り逃げ ノーヒットノーラン
準々決勝 5 - 0 鹿沼商工 完封・1安打・15奪三振・2四球
準決勝 6 - 0 小山 8回・1安打・無失点・10奪三振・2四球
決勝 2 - 0 宇都宮東 9回・14奪三振・無四球 ノーヒットノーラン
5試合で被安打2・奪三振75・無失点で甲子園に出場 ]
江川:
そうですね。
徳光:
でもこれね、さっきの話が前後しますけど、招待試合であっちこっち連れ回されて、相当疲労もありましたよね、このころはね?
江川:
そうです。だから甲子園に出るっていうのは、なんとしても出なきゃいけないっていう気持ちが強かったですから、疲労はあったのかもしれないですね、かなり。
徳光:
江川さんだってね、高校生ですから、青春期でしょ。
ノーヒットノーランとか完全試合って、当たり前のようにとってるけど、その都度うれしかったでしょ?
江川:
「甲子園に出るために0点で行かなきゃ」っていう意識の方が強いんですよね。
だからノーヒットノーランやったから「やったぞ!」みたいなの全然ないんです。
徳光:
ガッツポートなんかやったことない?
江川:
なかったですね。
初めてやったの、(プロで)20勝した時ですね。
あと日本一になった時。
徳光:
そう。高校時代はなかったの?
江川:
ないです。
遠藤:
ゼロでいかなければというのは、打線の方での、打撃での…。
江川:
そんなに取れるチームじゃなかったので、何かで1点取られちゃうと負けちゃうっていう意識が強かったですね。
徳光:
失礼ですけど、野球はやっぱり「俺が投げなければ勝てない」みたいなところがあったと思いますので、野球を9人でやってるって意識はあんまりなかったですか?
江川:
それがマスコミの方がワッと来ると、取材が僕のところに来るので、お昼ご飯食べてる時に全員が離れるんですよ。
1人で食べるようになるんですよ。周りの人がみんな嫌がるっていう、同級生が。
1人でお昼とか食べることがいっぱいあったので、それがなんとも嫌だったんですね。
徳光:
本当は仲間と一緒にいたいわけだったんですか?
江川:
いたいんですけど、いられないっていうこともいろいろありまして。
徳光:
あえて自分を孤独にしてたわけじゃないわけですよ。江川少年としても、みんなと一緒に戦いたいって気持ちがあったわけですよね。
【甲子園 雨の銚子商戦 「最高のボール」でサヨナラ負け伝説】
徳光:
甲子園(の初戦は)延長15回でしたよね。
江川:
はい。柳川で延長15回やりました。
[ 延長15回サヨナラ勝ち
江川 完投・被安打7・奪三振23・四球3・自責点1 ]
徳光:
柳川の試合なんか見ておりますと、思い出しますと明らかにストライクだなと思うんですけど、やっぱりもう球審が判官びいきで柳川の方に行っちゃってるんですよね。
江川さんにやたら厳しかったっていう記憶がありますね、私は。
遠藤:
2回戦の銚子商業で最後、延長12回のサヨナラ押し出しという。
ここまで銚子商業には、負けなしで来ていた。
江川:
これ、斎藤監督っていう銚子の監督さんが、江川卓に慣れさせるので、練習試合をいっぱい組んだんですよ、何回も何回も。
関東大会でも当たっているので、慣れてきているんですよね、向こうのナインが。速さとか、そういうものに、癖とかも。
それでやっぱり食いついてきて、夏だったし、こっちの疲労もあったんでしょうけど、やっぱりしぶとい打撃をしてきまして、それで結局延長12回で負けるわけですね。満塁になって押し出しするんですけど。
遠藤:
銚子商業との最後のシーンといいますか、満塁で2 - 3になった時…。
江川:
3ボール・2ストライクなんですよ、今でいうとね。
フルカウントになった時に、僕タイムをかけまして、それでマウンドにみんな集まってもらって。
江川:
バラバラでしたから、マスコミの方に取材を受けた時にバラバラだったので、「ここで自分の思ったボールを投げたいんだ」って言ったら、1塁の鈴木っていう選手が、「お前がいたから甲子園、春も夏も来られたんだから、好きに終わっていいよ」って言ってくれたので、その時に1つになれた感じが僕はありまして。
江川:
その投げる瞬間は、「3年間で一番速いボールを投げよう」と思って、「ストライクを入れよう」って気はなかったんですよね、変なもんですけど。
それで一番速いボールを投げたつもりでいますね。
それがボールになって押し出しになるわけですけど、非常に自分の中では爽やかに終われたっていうか。
徳光:
雨の中でしょ、確か。
江川:
はい。でも、いい終わり方でしたね。
徳光:
雨の中でも爽やかだった?
江川:
気持ちよかったですね。
最高にいい場面があったと自分で思っていたので。
遠藤:
でも、ナインもうれしかったんじゃないですか。
そこで江川さんがタイムをかけてみんなを集めたっていう。
江川:
普通はそういう美談なんですけど、みんな仲悪いんですよ。
その瞬間だけ仲良かったんですよ。
【「憧れの六大学」へ 早稲田のつもりが慶応に…?伝説】
徳光:
高校で、作新学院の3年間で、なんと2度の完全試合と12回のノーヒットノーランを記録いたしまして、当然これはプロ野球としましても、ドラフト第1位指名ですよね。
大学への思いは強かったんですか?
江川:
もう早慶戦です。中学校の時見た早慶戦が忘れられなくて、春と夏甲子園に出られたので、次の目標は「早慶で野球をしたい」と。
徳光:
特にやっぱり慶応でしたかった?
江川:
これ、早慶どちらかでやりたいっていう思いだったんですよ。
徳光:
(作新学院の)先輩の八木沢荘六さんが、これじゃねえ…。
江川:
いいですよ。それ、使ってください。
徳光:
早稲田に入ったじゃないですか。ですから江川さんは「実力でやっぱり慶応行きたい」っていう、そういう気持ちが強かったのかなっていうふうに思ったんです。
江川:
徳光さんがそう思ってる?
きょう徳さんですからね、本当の話をしないといけないんでしょうから。
早稲田の推薦が決まってまして、推薦いただいてまして、そのままじっとしてたら、たぶん推薦で早稲田に入れていただけたと思っておりますが、なぜか急に父親が「お前は受験勉強したことがない」って言い出しまして。「ちょっとここで受験勉強してみろ」と言い始めたんですよ、突然。
江川:
どういうことなのか、さっぱり分からないんですよ。
それで、部屋でも全部やってたんですけど、受験勉強を、早稲田に入るための。
そしたら突然父親が、「受験勉強を今からするためには、早稲田じゃなくて慶応にする」と言ったんですよ。
全然意味が分からなかったんですよ、それで…。
徳光:
分かんなくはないね、俺はね。
江川:
分かんなくないですか。
徳光:
江川さんの父親はやっぱり侍だなと思うんですよ。
江川:
推薦で決まってるのに、なんでそっちの勉強するんだか分かんないですよ。
徳光:
やっぱり「文武両道で育てたい」っていうのが、一番最初のお父さんの目標だった。
野球選手にさせたいけれども、文武両道でっていう、そういうお父さんだったんじゃないの?
江川:
それでまたドラフトされちゃったんですよ。
徳光:
阪急1位。
江川:
ドラフトの前にお断りしたんですよ。一応進学をするので、絶対にドラフトされても行きませんって、僕宣言したんですよ。
だけど阪急さんが1位にしていただいたんですよね。
徳光:
そうでしたよね。
江川:
それでまたちょっと騒ぎになって、なんで行かないんだみたいな。
最初行かないって言いましたって言ったんですけど、うわー、大騒ぎになってなったんですよ。
徳光:
また仮の話で恐縮なんですけど、あの時ジャイアンツが1位指名してましても、やっぱり進学でした?
江川:
はい。
勉強も、早稲田で文系は地理を受ける予定で、地理をずっと、日本史の時間も世界史の時間も地理やってたんですよ。
徳光:
社会科は地理で受けようと思って。
江川:
地理、机の下でこうやってやってたんですよ、それで。
そしたら慶応を受けることになりまして、受験科目見たら地理がダメなんですよ、ないんですよ。
これは絶望的な話ですよ。
徳光:
社会で地理なかったんですか?
江川:
なかったんですよ。選択なしです、地理。
日本史か世界史しかないんですよ。
で、えーって言って、教科書見たことないですから。
日本史と世界史の時間に地理見てたから。
それで、(受験勉強の)合宿に行くってことになって、代ゼミ(代々木ゼミナール)で僕日本史やる。ほかの生徒が帰ってから。生徒いるといろいろ分かっちゃうから、生徒の人が帰った10時くらいから代ゼミに行って日本史やるっていうので、始めたんですよ。
徳光:
代ゼミに行ってたの?そうですか。
江川:
数学と英語は、愛知県の豊橋に行って、いろんな人と10人くらい、慶応を受験したい人たちが合宿してたんですよ。勉強してたんですよ。
江川:
そしたらそれをですね、ある新聞がスクープしたんですよ。「慶応の問題を教えてんじゃないか」っていう書き方をしたんですよ。
全然違うんですよ。慶応出た先輩の方が塾をやってて、そこで勉強してたんですよ。
そしたら問題を教えるんじゃないかって載ったんですよ。
それで大騒ぎになっちゃったんですよ。それで慶応はダメになったんです。
遠藤:
そこで合格させちゃうと、そういうルートがあるんじゃないかって思われるのが。
江川:
そういうことなんです。
その時に、慶応が受験で失敗した時に、早稲田はもうお断りしちゃったので受けられないわけですよ。
六大学は一応残っているのが、試験がなくて、全部終わってますから。残ってたのが二部の試験ですよ。
法政と青学だったと思います。それの試験が残ってたんです。
江川:
じゃあ早慶戦でできなくても六大学ではやりたいと思って、法政の二部っていうのを受験して、この二部で入れば、(一部への)転部試験っていうのが、難しいのがある。
2年生終わるころに、一部編入のものすごい試験が難しいのがあるんだけど、それにかけるしかないっていうことで法政を受験させていただいて。そしたら法政側の方から推薦でって言われたんですよ、らしいです、父親が。
で、断ったんです、父親が。何か変わってるんですよ。
徳光:
そういうお父さんなんだよ。
江川:
それ、推薦受ければいいじゃんって。「いや推薦はお断りします。うちはちゃんと受験生として受験させます」って。
それで、二部の試験を受けたんですね。
江川:
受けたらこれ、ウソっぽいんですけど、ほとんどトップで受かったらしいんですよ。
またそのね、地理があるから、地理があるからね。もうね、出る問題、出る問題やったのが全部出たんですよ。
だから全部、「これ、いいの?」みたいな、できちゃったんですね。
それで法政側がびっくりしちゃってで、一応二部に入らせていただいて、2年間して一部の転部試験も受けまして。
徳光:
そうでしたよね。
江川:
そして転部して、受かりまして。
徳光:
一部に行くんです。これは最難関ですよ、大変難しかったですよね。
江川:
それが一応受かりまして…ということになりました。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年4月21日放送より)
