Jリーグの黎明期に活躍したリトバルスキー氏が日本人女性との離婚を発表 「いつの間にか合わなくなっていた」
Jリーグ開幕の1993年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)で活躍したピエール・リトバルスキー氏が離婚を発表した。
ブンデスリーガの1.FCケルン、さらに西ドイツ代表でも攻撃の牽引役を担ったリトバルスキー氏は、1993年に来日。ジェフでは2年間の在籍でJリーグ63試合に出場して10ゴールを記録するなど得意のドリブル突破でサポーターを魅了し、現役引退後は横浜FCやアビスパ福岡で監督を務めた。
「コミュニケーションが最終的には最も困難な問題だった。彼女は日本人で、私達は互いの母国語で話さずに英語で会話をしていた。言葉の壁によって状況は難しくなっていた。私達は自分達の問題について話し合うことも解決することもできなかった」
また、リトバルスキー氏はドイツ紙『Bild』の取材にも応じ、以下のように語っている。
「離婚が今月末までに成立することを願っている。それ以上のことは言えないし、言いたくもない」
「コミュニケーションというのは言葉だけで行われるものではない。また、もしも二人が異なる文化圏の出身である場合、コミュニケーションというのは基本的に難しいものになる。ただし、私達の離婚の理由は言葉の問題だけではない。いつの間にか合わなくなっていた」
