これからも己の生きざまを見せていきたい

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かつて人気芸人だった人物が今、寿司職人としてカウンターに立っている。2000年代後半、お笑いのショートネタブームの中心で、テレビに引っ張りだこだったお笑いコンビ「はんにゃ.」のツッコミ担当・川島章良氏(44歳)だ。
川島氏は、がんを経験するなど人生の荒波を経て、間借りという形で寿司店を始動させた。

転身への思いと苦労、紆余曲折の人生を川島氏が回顧する。

◆寿司店なら「芸人のスキル」が生きる

ーー恵比寿で「鮨 川しま」を始められましたが、なぜ寿司店を?

川島章良:理由はいくつかあります。かつて父が京都の祇園で「津乃鶴」という懐石料理店をやっていて。父が退いたあとは、父の兄弟が引き継いでいたんですが、残念ながら12〜3年前に閉店してしまいました。いつか「津乃鶴」の屋号を復活させるのが悲願だったんです。

ーーそのための大きな一歩ですね。お父様の反応はいかがでしたか?

川島章良:号泣して喜んでくれました。

ーー懐石料理ではなく、寿司店にしたのはなぜですか?

川島章良:職人とお客さんが、カウンター越しでコミュニケーションをとる業態だからです。芸人として20年やってきて鍛えられた「空気を読んで話す能力」が生きると思いました。

◆5か月の修行でイロハを学ぶ

ーー飲食の経験はあったんですか?

川島章良:父の影響で、料理を始めたのは小学2年のころ。アルバイトですが、イタリアンのお店で働いたこともあります。2018年からだしパックのEC販売店「津乃鶴だし」を営んでいて、だしの研究はかなりやってきました。お寿司屋さんのメニューにも、だしはかなり大事な要素になるので繋がっています。

ーー寿司は技術が必要ですよね。修行はどのくらいされたんですか?

川島章良:間借りをさせていただいているお寿司屋さんの大将について約5か月教わりました。子どものころから料理もしていましたし、だしパックの会社のレシピ研究もやってきたので、ゼロからという感じではありませんでしたね。経験もあったので、調理や調味については覚えが早かったみたいで、2回目でもう「握れているね」と言ってもらえました。ただ、シャリの硬さや形を、満足のいくものにするのが大変でした。ネタを置いた瞬間にフワッと沈む感覚を目指したものの、なかなかできなくて。

ーー壁を乗り越えるため、何をされました?

川島章良:日々、1匹の鯛をさばいて、それを80貫くらい握っていました。また、お客様相手だと、スピードも必要になるので、3時間で350貫を握る練習などもしましたね。オープン前には大将から「お客さんに出しても問題ないレベル」というお墨付きをいだだけました。

◆初日は「本当に緊張した」

ーー実際に営業を始めてみて、いかがでしたか。

川島章良:1人前25,000円のコースでして、決して安くはないんです。当然、下手なことはできません。ようやく慣れましたけど、最初は本当に緊張しました。

ーーテレビや舞台など、緊張するシチュエーションは数多く経験しているはずなのに。

川島章良:練習通りにはいきません。オープン初日、一人目のお客さんの1貫目は、置いた瞬間にお寿司がコテっと転んでしまいましたからね(笑)。

ーーそれは焦りますね(笑)。客層はどんな感じですか?

川島章良:紹介制なので芸人仲間が中心ですが、時には上場企業の社長さんも来られます。舌の肥えた方に鍛えていただいている緊張感があります。

ーーどんなメニューを提供しているんですか?

川島章良:仕入れによって変わるので、ネタやメニューが変わりますが、だいたい1人前18品ぐらいを出していますね。カウンター6席を2回転しているので、1日12人のお客様に食べていただいています。