#2 賢治の「天才のはじまり」と「恋」──山下聖美さんの宮沢賢治「再入門」【NHK別冊100分de名著】
山下聖美さんによる作家・宮沢賢治への再入門 #2
なぜ大人は、宮沢賢治に惹かれるのでしょうか?
『注文の多い料理店』『風の又三郎』『雨ニモマケズ』『銀河鉄道の夜』……。『NHK別冊100分de名著 集中講義 宮沢賢治 ほんとうの幸いを生きる』では、文芸研究家の山下聖美さんが、賢治の波乱の生涯を追いながら、その作品の核心に迫ります。
大人だから知る「生きることの難しさ」や「人生の気づき」に触れるこの賢治再入門より、第1講の全文を特別公開します。(第2回/全5回)
天才のはじまり
ではここで、賢治の生涯を簡単に追っていきましょう。
宮沢賢治は明治二十九(一八九六)年八月二十七日、現在の岩手県花巻市に生まれています。地元の名家である宮沢家の長男として、大切に育てられることになる彼は、生涯を通してお坊ちゃんであったと言えるでしょう。とくに、母・イチの実家は巨万の富を築いており、花巻温泉や岩手軽便(けいべん)鉄道の設立などに尽力したような家柄でした。幼少の頃の賢治はとにかく、賢くおとなしい子であったようです。よその子ともあまり遊ばせてもらえなかったようで、庭の梅の木のブランコに乗ったり、一人でなわとびをしていたとか。
賢治は、良くも悪くも育ちが良く、貧乏臭いところがありません。ですから、生涯にわたって金銭の心配をすることなくのびのびと、本当に自分の書きたいことを書いていくことができましたし、生活に縛られることなく自由な人であり続けることができたのです。
しかし、賢治自身は、自らの恵まれた環境に満足するどころか、葛藤を抱いていました。どんなに恵まれているように見える人間であっても、悩みを抱えているものなのです。東北・岩手と言えば、当時は冷害に苦しめられ、農民たちの苦労や貧しさは相当なものであったといいます。賢治の家は、そんな貧しさに苦しむ農民たちへ古着を売る商売をしていました。また、質屋も営んでいました。賢治はこんな家業を毛嫌いします。この葛藤は、成長するにつれ、自らの育った家、ひいては父親に対する反抗としてあらわれてゆくことになります。
賢治は、地元の小学校を優秀な成績で卒業し、いわゆる「お受験」をします。進学先は、盛岡中学校。石川啄木なども輩出した名門校です。寄宿舎生活が始まる当日、寮の舎監(しゃかん)に父親と共に挨拶に行きますが、このときの父の態度について後に賢治は、
父よ父よなどて舎監の前にしてかのとき銀の時計を捲きし
と詠っています。高価な銀の時計を、わざと舎監の前でいじっているかのように見える父の態度に、思春期の賢治が敏感に反応している様子が読み取れます。こうして、資産家である父親に対する複雑な感情が芽生えていくこととなるのです。
一方で、この時期、賢治は鉱石採集に夢中になり、名山・岩手山への登山を楽しみ、短歌創作にも励んだと言われています。
充実した中学時代のように見えますが、寄宿舎生活のもと、家を離れて羽をのばしすぎたせいでしょうか。問題行動は起こすわ、成績は急降下するわで、優等生の面影は消え失せてゆくのです。
さらには、かろうじて中学校を卒業した十八歳の賢治に様々な問題がふりかかります。まずは肥厚性鼻炎という病気のために鼻の手術を余儀なくされました。入院中、同じ年の看護婦に恋をしました。脈拍を測られるたびにどきどきしていた賢治は、両親に結婚したい旨を告げるのですが、「まだ早い」と反対されています。退院後、上級学校への進学を許されず、大嫌いな家業の手伝いを強制されるうちに、賢治はほぼノイローゼ状態に陥ってゆきます。
結局、見かねた家族は上級学校への進路を許し、賢治は晴れて盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)へと進学するのでした。
青春時代の痛み
盛岡高等農林学校時代の賢治が夢中になったもの、それは、学問と文学と宗教です。賢治の専門は地質学で、中学時代とは異なり大変研究熱心な学生でした。一方で、気の合う仲間たちと同人雑誌「アザリア」を作り、短歌などの文学作品を発表し合っています。
ここまでならば、ごく普通の学生ですが、賢治はこの時期、宗教について深く考え、法華経にのめり込んでゆきます。また、キリスト教にも関心をもっていたとみえ、教会に通った足跡も残されています。神とは? 宗教とは? という問題を真剣に考える、一人の真面目な青年の姿がそこにはあります。
一方で、賢治の父親は浄土真宗の熱心な信者でありましたから、まるで対抗するかのように法華経に心酔してゆく賢治の中に、父親への反抗心を見ることもできます。
この時期、賢治は親友となる保阪嘉内(ほさか・かない)と出会い、交友を深めます。ロシアの文豪・トルストイを読み、百姓の仕事の崇高さを知ったという保阪は、文学や哲学に通じ、さらには演劇にも詳しかったといいます。農林学校という場において、このような分野に通じている保阪はきわめて個性的な存在であり、賢治に大きな刺激と影響を与えていくことになります。
文学を語り合い、同人雑誌「アザリア」の発行を共に行うようになる二人は、「理想の国」を作るという共通した目標をもっていました。保阪はトルストイに影響されて農民のための楽園を作りたいと願い、賢治は法華経に影響され、のちに「イーハトーヴ」として彼のフィクションの中に結実していく、真理の道に基づいたまことの国の建設を目指しました。
青春期の理想は若者の心を高揚させ、同人雑誌「アザリア」において、保阪は賢治に向かい「共に共に進んで行(いき)たいものだ」と述べ、いつしか「友よ、まことの恋人よ」と呼びかけるまでになっていきます。しかし一方で保阪は「アザリア」に「おれは皇帝だ。おれは神様だ。おい今だ、今だ、帝室をくつがえすの時は、ナイヒリズム」とも書き、これが問題となり、学校を除籍処分となってしまいます。
以後、二人は手紙で交流を続けることとなるのですが、当時の賢治は農林学校の卒業を前に、自らの進路問題に悩み、苦しむ時期にありました。家業を継ぎたくない気持ち、父親との軋轢、信仰に基づいた理想をまっとうしたい気持ちと現実との狭間での葛藤。こうした煩悶の中、お互いを求め合いながらも傷つけ合ってゆく二人の精神的なやりとりの跡が、手紙には生々しいまでに記録されています。
賢治は、精神的に激しく保阪を欲しました。それは、自らが信仰する法華経を共に信仰したいという思いとなってあらわれ、執拗な入信の誘いへと姿を変えていきます。しかし保阪は入信をかたくなに拒否し、とうとう二人に決別の時が訪れます。大正十(一九二一)年七月十八日の保阪の日記には「晴/宮沢賢治/面会来」と書かれたものが斜線で抹消されています。この日、二人の間にどのようなやりとりがあったのでしょうか。真相は不明ですが、おそらく、信仰も絡んだ上での決定的な意見の対立が起こってしまったのでしょう。
この日以後、内面を吐露し合った賢治と保阪との激しい手紙のやりとりはぱったりと途絶えます。賢治は精神的にショックを受け、のちに代表作「銀河鉄道の夜」のカムパネルラに保阪の姿を重ねたとも言われています。もっとも、カムパネルラは保阪だけをモデルにしているわけではないのですが、作品には、どこまでも一緒に行こうと誓い合った男性同士の精神的な「恋」が描かれていると考えることもできるのです。
本書『別冊NHK100分de名著 集中講義 宮沢賢治 ほんとうの幸いを生きる』では、
・宮沢賢治は何者か
・作品の「わからなさ」を読む
・いのちの「原風景」とは
・苦しみを生き抜くには
・未完成だから人間だ
・「ほんとうの幸い」を探して
という全6講義で、宮沢賢治の「人生の気づき」に迫ります。
■『別冊NHK100分de名著 集中講義 宮沢賢治 ほんとうの幸いを生きる』(山下聖美 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※作品の引用は『宮沢賢治全集』(ちくま文庫)に拠り、適宜ルビを振りました。また、本書には、現在の人権意識では不適切と思われる表現がありますが、作品自体のもつ時代性ならびに文学性に鑑み、原文を尊重してそのままとしました。
山下聖美(やました・きよみ)
1972年、埼玉県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科教授、文芸研究家。日本女子大学文学部を卒業後、日本大学大学院博士後期課程芸術学研究科修了。博士(芸術学)。著書に『宮沢賢治を読む』『検証・宮沢賢治論』『宮沢賢治・『風の又三郎』論』(以上、D文学研究会)、『検証・宮沢賢治の詩1「春と修羅」』『検証・宮沢賢治の詩2「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」』(以上、鳥影社)、『宮沢賢治のちから』(新潮新書)、『マンガで読み解く宮沢賢治の童話事典』(東京堂出版)、『賢治文学「呪い」の構造』(三修社)、『女脳文学特講』(三省堂)、『大人のための宮沢賢治再入門』『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』(以上、NHK出版)などがある。
※すべて刊行時の情報です。

