『家政婦の歴史』(濱口 桂一郎)

 家政婦、といえば、現代日本人の大部分は、「市原悦子演じる石崎秋子が『大沢家政婦紹介所』の家政婦として上流階級の華やかな暮らしぶりの家庭に派遣され、そこで繰り広げられる陰謀・騒動・醜聞を覗き見し、最後に自分が見聞した事柄を家族全員が集まる席で洗いざらいぶちまけて去っていく」というストーリーの『家政婦は見た!』を思い浮かべるのではないでしょうか。その後、松嶋菜々子演じる三田灯や松岡昌宏演じる三田園薫(家政夫)のバージョンもありましたが、やはり家政婦といえば市原悦子の顔が思い浮かびます。

 ところが2‌0‌2‌2年9月29日、その家政婦をめぐってある裁判の判決が下され、新聞等マスメディアで注目されることになりました。それは、家政婦がある家庭に泊まり込みで7日間ぶっ通しで働いた後に急性心筋梗塞又は心停止で亡くなったことを過労死だと訴えた事件だったのですが、東京地方裁判所は原告(亡くなった家政婦の夫)の訴えを退けたのです。その理由が、(細かいことを省略すると)確かに長時間労働はしていたけれども、家政婦は家事使用人であって労働基準法や労災保険法の適用を受けないから、というものでした。

 家事使用人とは、個人家庭に雇用されて家事に従事する労働者のことで、労働基準法第1‌1‌6条第2項に「この法律は、同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については、適用しない」とあるので、労働基準法も労災保険法も最低賃金法もすべて適用されない、ということになっているのです。

 それはおかしいのではないか、憲法違反ではないか、というのがこの裁判の原告側代理人であった指宿昭一、明石順平という両弁護士の主張でしたが、東京地裁の裁判官はそれを一顧だにしませんでした。多くのマスコミも、この枠組みを前提にして、それがいいとか悪いとかといった論評を繰り返しましたが、そこを一歩踏み込むような報道は見当たりませんでした。

 私は東京大学の労働判例研究会の末席に名を連ねており、年に2回くらい判例評釈の当番が回ってくるのですが、12月16日の研究会でこの判決を取り上げ、そもそも家政婦は労働基準法が適用除外している家事使用人ではなかったのだと指摘をしました。これは、研究会のメンバーにとっても意想外だったようで、いろいろと議論が弾みました。しかし、労働法学の本流からすると余りにも周辺的な話題だったためか、特にその後議論が展開するということにはなっていません。

 実はこの問題は、掘り返せば掘り返すほど様々な論点が芋づる式に次から次に湧き出てくる大変興味深いテーマなのです。一見、今日の労働問題の議論の焦点からはかけ離れた好事家的な話題のように見えて、その実は戦後日本の労働法制の根本に潜む矛盾を一身に集約するような問題でもあります。

 この「はじめに」の冒頭の『家政婦は見た!』の解説(「市原悦子演じる……去っていく」の部分)は、実はWikipediaの文章をそのまま引用したもので、そこには(恐らく記述者も気が付いていないであろう)矛盾があるのですが、それがなんだかお分かりになるでしょうか。その矛盾こそが、本来家事使用人ではなかった家政婦を家事使用人だとして、労働基準法や労災保険法の保護を剥奪してしまった根源に関わるものなのだといえば、びっくりするかも知れません。

 原告側も被告側も裁判官も含めて、今回の家政婦過労死裁判の関係者の恐らく誰一人も気が付いていないであろう、この問題の根源を探る歴史の旅路に、これからひとときお付き合いいただければ幸いです。

<はじめにより>