「8割引退」まで傾いた栗原の気持ちを動かしたのは、JTの吉原監督の存在だった【写真:赤木真二】

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「8割引退」を覆した“空白の4か月”、元全日本アタッカーが想う現在と未来

 全国高校総体(インターハイ)の女子バレーボールが2日に三重県を舞台に幕を開け、熱戦が繰り広げられている。真夏の高校日本一決戦に忘れられない記憶を持っている元日本代表アタッカーがいる。栗原恵(JTマーヴェラス)。山口の三田尻女子(現・誠英)時代に3年連続出場し、1年生から2連覇を達成。日本バレー界を代表するヒロインへの階段を駆け上がった。

 そんな元日本代表アタッカーは今なお、現役を貫いている。今年、Vリーグの日立リヴァーレから退団後、一時はキャリアで初めて“空白期間”を過ごし、「8割引退」まで傾いたという。それでも、コートに復帰するに至った理由とは何だったのか。「THE ANSWER」のインタビューに応じ、後編では「34歳、栗原恵の今」の思いを告白した。

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「プリンセス・メグ」と呼ばれた元日本代表アタッカーは今、34歳になった。

「ちょっとおもしろがられてるのかもしれないけど、今、チームの選手が『プリンセス』って呼んでくれてるんです。凄く時差があるんですけど。今でも呼んでもらえるんだという驚きもあって……まあ、もうネタですよね。いじられても何しても、それがおもしろければいいのかなって」

 飾らない言葉と表情で、快活に笑った。栗原恵。強烈なスパイクと、アイドルのような異名とともに一時代を築き、2度の五輪を経験したバレー界のヒロインは今なお、コートに立ち続けている。5月。VリーグのJTマーヴェラスに入団発表。それは、バレー界にとって大きなニュースとなった。なぜなら、10歳でバレーの虜になって以来、初めての“空白”を過ごしていたからだ。

 そこから遡ること3か月前。2月28日、所属先の日立リヴァーレから1通のリリースが発表された。栗原恵、退団――。4年間在籍したチームからは引き留めを受けた。しかし、今後は未定。悩みに悩んだ決断の裏で何が起こっていたのか。

「一生懸命に練習をやって試合になかなか出られず、“ベテランとしての自分”と“選手としての自分”のバランスを凄く考える4年間でした。チームのサポートと、出られなくても常に準備し続ける狭間で葛藤していた部分はありました。いい準備をしている自信はあっても報われず、この努力を続けていっていいのかと考えました。その時、練習では自分に対して嘘をつかないと貫いて、やりきっていた。コートの中でやるべきことはすべてやってきたと納得できる部分があったので『今がこのチームの引き際なのかな』と考えて、日立は終わりにしようと」

 22歳で左足有痛性分裂種子骨障害を発症して半年間プレーから遠ざかり、以来、度重なる怪我と闘い、そのたびに乗り越えてきた。しかし、体は動いているのに、コートに立てない日々が続いた。気持ちをリセットしたかった。

「8割引退」を覆した理由「吉原監督以外なら心は揺れなかった」

「その時は現役引退とか、現役続行とか全く考えてなかったんです。でもしばらくすると、もうこの年齢だし、綺麗に引退と決めてもいいのかなと両親に話した時、私はすぐに白黒つけたがる性格なんですが、母が『今すぐつけなくても“移籍希望”として可能性を残しておいても悪いことじゃないんじゃない?』と言ってくれて。今まで心配、迷惑をいっぱいかけているので、そこは言うことを聞いておこうかなと。なので、とりあえず『移籍希望』という形。でも、オファーはないだろうと思っていたし、自分でも凄く現役をやりたいということもなかったんですが、残しておいたものをチームからオファーを頂きまして……」

 オファーを受ける前の「現役か引退か」の心境を問うと「8割引退だった」と打ち明けた。そこまで気持ちを傾かせたのは“空白期間”に過ごしたバレーのない日々。33年の人生で経験したことがない刺激に溢れていたからだ。

「辞めてからの生活が楽しくて。4か月、今までできなかったことをたくさん始めました。次の日の練習とか、休み明けの練習とかを考えると、自制しての生活。遅くまでご飯を食べたり、お酒を飲んだりということもなかなかできない。でも、目覚まし時計もかけず、何かに縛られない生活をして、こんな世界もあるんだなと思いました」

 週1度のオフの生活から解放された。それまでは美容院、フットのネイルサロン、友達と食事も行きたいとなると、朝から晩まで予定を入れてしまう。「でも、それが1日1個でいい。今日、美容室行きたい。明日、ネイルサロン行こう。友達から『今週、ごはんに行かない』と誘われても『今週は何曜日がオフだよ』と言わなくても明日行ける。そういうのがすごく新鮮で」と笑う。

 バレーにすべてを捧げ、駆け抜けてきた人生。三田尻女子高時代は全国優勝した翌日に練習をするような厳しい環境でコンビニすら許されず、学校の隣のローソンの青い屋根に憧れを抱いていた環境だった。だからこそ、同世代の女性にとってはなんでもない“普通の生活”が輝いて見えた。ただ、もう一度、バレーの情熱に火を灯した人が「トモさん」だった。

 なぜ、最終的に「2割」の現役を選択したのか。「監督の存在ですね」とはっきり言った。「監督」とは全日本主将を務めて一緒にプレーし、栗原にオファーを出したJTの吉原知子監督だ。ある日突然、電話が鳴り、会って話した。

「若い時代をずっと一緒に過ごして、18歳という何も分からない状態で代表に入った時、トップでやっていた方に10年以上経った今、『また一緒にやろうよ』と声をかけてもらうのは特別なもの。もし吉原監督以外の方に声をかけていただいても、心は揺れなかっただろうなと思います。そのくらい、監督の存在は大きかったです」

 吉原監督から影響を受けたことは数えきれない。「ベテランとしての立ち振る舞いが私とは違います。本当にストイックな方で体育館に入ってきた瞬間、空気がピリッとしていたし、トモさんの一言に胸がヒュッとなる感じ」。だからこそ、オファーに対して喜びを感じる半面、覚悟をもって、真剣に向き合った。

34歳の今、考える「引き際」とは? 中田英寿、三浦知良も「カッコいい」

 すぐには返事をせず、じっくりと時間をかけた。入団を決断し、ベテランの必要性について吉原監督と話し合った時も「プレースタイルは違うし、トモさんのようなベテラン選手の像は描けない。背中が大きすぎて、追いつける自信はありません」と正直に打ち明けた。嘘はつきたくなかった。それでも「まだできる。一緒にやろう」の言葉が響いた。覚悟は決まった。

「ここが、最後のバレーの場所になる。選手としても学ぶことは多かったけど、監督としてのトモさんからも、たくさんのことを学んで現役を全うしたいです」

 4か月ぶりに戻ってきたコート。「今はいっぱいいっぱいです」と笑う。入団から3か月はシーズンを戦い抜くパワーをつけるべく、体作りを目標に置いている。2か月を過ごした今、ウエイトの重量はもちろん、ボールに体重を乗せる感覚も各段の成長を実感している。「キツいけど、そういう成果は強いモチベーション。まだ伸びしろあるんだなと」と可能性を見いだした。

 怪我と隣り合わせだったバレー人生。もちろん、若い時に比べ、できなくなったこともある。「寝れば治るということはない。セルフケアの重要性もあるし、マッサージもそうです。若い時は寝る時間に費やしていたものを同じように過ごしていたら次の日、若い選手と同じように体育館に立てない」。練習前の準備から、練習後のケアまで徹底的にこだわっている。

「一番新人なので、JTのバレーボールをみんなから学ばないといけない。チームそれぞれにルールがある。そこは恥ずかしがらず、分からないことは分からないと聞く。それがコミュニケーションの一つになって、バレーでも生きてくる。まずは学ぶ姿勢。ベテランとして必要な時は自分の引き出しを開けないといけない時が来るけど、まずは自分が一生懸命やることが基本です」

 入団を決断するに際し、「ここで現役を全うしたい」と言った。引き際の決断は常にアスリートについて回る。それは簡単なことではない。自身も「もう、いいだろう」と周りに言われるまでやりたくないと思っていた。

「中田英寿さんみたいに求められているうちに綺麗に去るというのも凄くカッコいい。そこは私も凄く悩んだけど、ありがたいことに自分で辞める、辞めないの決断をできる選手であることは凄く幸せ。カズさん(三浦知良)のようにJ2でも常に戦い続けるというのをモットーにやられているのも凄くカッコいい。両方に惹かれる部分があるので、アスリートの生き様は影響されます」

 まして、栗原と同様にバレー人気を一身に背負ってきた大山加奈、木村沙織が引退し、同世代の選手が一人、また一人とコートから去って行く。「もちろん、寂しい思いもある。でも、現役で頑張ってきた姿を知っているので、引退して凄く楽しそうにしている彼女たちを見ると『良かったな』と思う部分も『羨ましいな』と思うこともある。ただ……」と言って、真っすぐ前を見た。

もう「プリンセス」はいらない、「人間・栗原恵」が描く未来「忘れられる日は来るけど…」

「ここ数年、現役でいられる時間は限られていると強く思いながらやっているので、現役の時間が尊いものに感じている。辞めてからの人生の方が長い。私はモットーとして引退と決めた後に戻ることはしたくない。だから、今はやり抜く時間かなと。やり切って引退という決断をした時は、やるべきことはコートに置いてきたなと思えるくらいにやって、選手の最後を迎えたいです」

 酸いも甘い味わった激動のバレー人生。振り返れば、その名を世に知らしめたのは、高3で全日本に選出された際についた「プリンセス・メグ」だった。おおらかな人柄に甘え、当時、アイドルのような愛称がついたことについて聞いた。すると、大声で笑いながら、冒頭の話に続く思い出を明かしてくれた。

「当時は加奈は『プリンセス・メグ』が羨ましいと言っていました。でも、私はプレーに対してのキャッチフレーズじゃなかったので、バレー選手として『プリンセス』ってどうなんだろうと。だから『パワフル・カナ』っていいじゃんと思っていました」

 誤解されたこともあるというが、決して気取ったところがない。「(意外だと)よく言われます。本当は調子に乗った方がカッコいいじゃないですか。でも私、ただの“かっぺ”なんで。(広島の)島人なんです」。嫌味なく言って、豪快に笑い飛ばした。

 7月31日に34歳になった。限られた現役生活と、その先に待つ人生。もう「プリンセス」はいらない。「人間・栗原恵」として、どんな姿を残していきたいのか。ストレートにぶつけると、率直な思いを返してくれた。

「よく指導者はどうですかと言われるけど、あまりピンとくる自分がいないんです。コートを去ったら綺麗に辞める気がするし、全く違うことをしている気もします。ただ、未練を残さない辞め方をすれば、あとの人生にもすっと入っていけると思っています。セカンドキャリアについても10年くらい、ずっと考えながら来たけど、結局、答えは出なかった。それは、やっぱり自分の一番やりたいことが現役生活だったから。だから、今はまずは現役生活をやり切りたいんです。

 他のことは分からないけど、バレーボールだけは真面目にやってきたと言い切れます。本当に真摯に向き合って、一筋でやってきた自信がある。それでも怪我をしてなかなか試合に出られない時、バレーボールには愛されていないのかなと落ち込むこともたくさんあった。でも、私は凄くバレーボールが好き。限られた現役生活で、真摯に向き合っている姿は見せ続けていきたい。現役を退けば忘れられる日は必ず来るけど、一人でも多くの人の記憶に残る選手でいられれば幸せです」

 今なお、消えない情熱は、力強く燃える。それは激しく、そして美しく、コートに打ち込んできたスパイクのように。

 ◇インターハイの女子バレーボールは2日から4日間にわたって熱戦が繰り広げられる。今大会は全国高体連公式インターハイ応援サイト「インハイTV」を展開。インターハイ全30競技の熱戦を無料で配信中。また、映像は試合終了後でもさかのぼって視聴でき、熱戦を振り返ることができる。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)