インタビュー、本田博俊 ホンダ「無限」創業者 「大きな会社」や電動化への思い
もくじ
ー 本田宗一郎の息子との対面
ー ホンダで働いたことはない
ー 無限を小さなままに
ー 電動化について本田が語る
本田宗一郎の息子との対面
本田博俊は30分遅刻した。われわれは彼が40年以上前に日本で創業した無限モータースポーツの英国本社で会うことになっていたのだが、彼はどこにも見当たらない。
われわれが訪れた無限の英国本社は、ミルトン・ケインズの奥の方にある工業団地の高いフェンスで囲まれた広い一角で、ホンダの看板のあるもっと広い敷地から道を渡ったところにある。正しい順序だろう。1991年に父・宗一郎が亡くなってから、本田がホンダの最大株主だということをわたしは今読んだところだ。

いつもはとても時間に正確なんですが、と彼のスタッフは言う。一方、マン島で1週間にわたり開催されたTTオートバイレースプログラムが終わってから2日しか経っていない(無限の電動バイク神電が今年も優勝した)。だから友人のジョン・マギネスを訪問するためにスケジュールを変更したのかもしれない。TTの電動バイクレースへの怪我からの復帰を誰もが待ち望んでいたオートバイレースのレジェンドだ。
結局、マギネスは出場できなかったが、もうひとりの無限のライダーが平均速度196.05km/hのコースレコードをたたき出した。レースを始めた6年前には160km/hも出せなかったことを思うと驚くべき速さだ。彼を待っている間に仕入れた知識である。そこに謝りながら本田が笑顔で現れ(単なるスケジュールミスだった)、われわれは話を始めた。
ホンダで働いたことはない
本田は伝説の経営者、宗一郎の息子だ。宗一郎が自分とご近所さん用に非力なオートバイを作ったのが、クルマとオートバイの帝国、ホンダの始まりである。1948年のことだ。しかし、本田は最大の株主であるにもかかわらず、およそ世界的大企業の相続人らしからぬ人物である。
直接ホンダで働いたことはまったくないし、父親の会社から独立するという強い志をもって20代後半に無限を立ち上げたのだ。彼の持っているホンダ製品は芝刈り機とモンキーバイクだけだ。東京ではBMWのi3に乗り、ホンダへの入社の誘いは丁重に断っている。
「地位とか身分とかは気にしません」と彼は言う。「そういうことにまったく関心がないんですよ」

「若いときは父の会社に入ることなど考えずに育ちました」と本田は言う。「父は同族会社に入って大きな間違いを犯す子どもたちをたくさん見てきたので、自分のところでは禁止したんです。これは幸運でした。どうしても会社に入りたくなかったからです。旅がしたくて、世界中を廻りました。自分の夢を追っていた父はわたしに自由というものを教えてくれたんです」
博俊はクルマやオートバイ、特にレースへの情熱をほとんど生まれつき持っていた。しかし若いころの彼はイライラして「ほぼ毎日」父親に反抗し、クルマのヒントを探して世界中を放浪して廻った。
特にイタリアのデザインが好きだったので、イタリアに行って有名なピニンファリーナ、ベルトーネ、ジウジアーロを訪ね、エンツォ・フェラーリにも会った。それでも彼は、自身のデザインによるホンダS800ベースのスポーツカーを製作するかたわら、何とか大学も卒業した。
無限を小さなままに
無限は1973年に公式にモトクロスバイク用の特製パーツを作り始めたが、ホンダの規模が大きくなるにつれ、無限も少しずつ規模が大きくなっていった。ごくゆっくりと、しばしば実験的なスケールで、ではあるが。
それでも関係は密接だ。歴代シビックのボディとエンジンのパーツは無限が製作し納入している。
いつも通り賑やかな本田は今年76歳。同じ年の父の写真と気味悪いくらいそっくりだ。彼は、無限はロードカーやバイクも販売している独立したレース会社で、初期のAMGやアルピナのような会社だと考えてほしいという。彼にはGT、シングルシーター、フォーミュラ1、それにバイクの豊富な経験がある。

最近では、ミルトン・ケインズの施設(数十人の英国人と日本人スタッフが勤務している)はホンダのF1エンジンの中継基地になっていて、あらゆる種類のホンダエンジンの開発に使われるダイナモメーターがずらりと並んでいる。われわれが訪れた時は、バイクエンジンの極秘試験中で、見せてはくれなかった。
また本田は、世の流れに逆行して無限モータースポーツを小さなままにしておこうと考えている。英国のレース企業の名前をいくつか挙げながら、小さな会社にはいつも敬意を払っている、特別な技術力を持った会社は特に尊敬していると彼は言う。
「従業員は少ないかもしれませんが、こういう連中は志が高く、動きも速い」と彼。「大きいことはいいことだと皆いいますが、必ずしも正しいとは思いません。仕事を効率よく進めたいなら、大きくなってはいけない。恐竜は滅びるのです」
電動化について本田が語る
本田博俊はなぜ電動化にそこまで熱心なのか? 彼の技術への関心はSF好き、新しモノ好きに始まったと彼自身は考えている。
父が偉業を成し遂げたレースのひとつであるマン島TTへ行った彼はショックを受けた。「なぜ今まで知らなかったんだろうと思ったんです。とても参加したくなりました。未来への挑戦にはふたつの道がありました。内燃機関か、電気モーターか。そのとき、電動で行くことに決めたんです」

「電気自動車についていうと、激変が起きると確信しています。モビリティのスマートなソリューションは、みな電動が前提になっているようです。現状はさまざまな方向のソリューションを模索している段階ですが、10年もすればみな同じ方向に進むようになりますよ」
「(クルマのバッテリーを充電する電気を作るための)発電は、もちろん依然として大きな問題です。多くの日本人と同じく、わたしも原発は嫌いですが、だとしても電動革命はやってきますよ」
