(※写真はイメージです/PIXTA)

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老後資金に一定の余裕があれば、安心して生活できる――そう考える人は多いでしょう。年金収入に加え、まとまった貯蓄や不動産があれば、日々の暮らしに大きな不安はないように見えます。しかし、その前提は「想定外の出来事が起きないこと」に支えられています。家族の問題が絡んだとき、その均衡は思いのほか脆く崩れることがあります。

「安定していた家計」を揺るがした一本の電話

加藤さん(仮名・68歳)は、夫婦あわせて月約26万円の年金収入を得ています。加えて、退職金を含めた貯蓄は約4,500万円。さらに、数年前に相続した郊外の土地もあり、「万が一のときには売却もできる」という安心感がありました。

「贅沢しなければ、十分やっていける。むしろ恵まれているほうだと思っていました」

日々は穏やかでした。家庭菜園を楽しみ、週末は近所の温泉へ。子どもはすでに独立し、夫婦だけの時間をゆっくりと過ごしていたといいます。

転機は、ある日の夜にかかってきた電話でした。

「お願い、助けて…」

電話の主は、都内で暮らしていた長女でした。結婚して子どももいる娘から、そんな言葉を聞くとは思ってもいなかったといいます。

「最初は何が起きたのか分かりませんでした」

事情を聞くと、娘は夫との関係が悪化し、離婚を決意。子どもを連れて実家に戻りたいというのです。仕事は続けるつもりでしたが、当面の生活は不安定になる見込みでした。

「すぐに“帰ってきなさい”と言いました。それ以外の選択肢はなかったですね」

こうして、夫婦と娘、そして孫との同居生活が始まりました。

当初は、「一時的なもの」という認識でした。しかし、生活が始まると、想定していなかった負担が次々と現れます。

食費や光熱費は明らかに増加。孫の教育費や生活用品の支出も加わりました。娘も働いてはいましたが、収入は十分とは言えず、夫婦が生活の多くを支える形になります。

総務省『家計調査(2025年)』によると、65歳以上の夫婦のみ無職世帯でも平均で月約26万円の支出があり、単独でも赤字となるケースが見られます。そこに家族が増えれば、支出が膨らむのは避けられません。

「最初は気にしていなかったんです。でも、通帳を見るたびに減っていくのが分かって…」

「このままでは持たない」…家族を支える現実と迫られる選択

同居から半年ほどが経った頃、加藤さんは家計の見直しを迫られました。

「このまま続けたら、確実に貯金が減っていく。頭では分かっていたんです」

問題は、それをどう伝えるかでした。娘は精神的にも不安定な状態にあり、「負担になっている」とは言い出しにくい状況でした。

「言ったら追い詰めてしまうんじゃないかと…」

一方で、現実は待ってくれません。今後、医療費や介護費が増える可能性もあります。老後資金は「自分たちのため」に確保しておく必要があります。

「自分たちが倒れたら、結局は娘に負担がいく。それでは意味がない」

そう考えた加藤さんは、妻と話し合いのうえ、支援のルールを見直すことにしました。具体的には、生活費の一部を娘にも負担してもらうこと、一定期間での自立を目標にすることなどです。

「完全に突き放すことはできません。でも、ずっと支え続けることもできない」

ある日、加藤さんは意を決して娘に話しました。

「一緒に暮らすのはいい。ただ、この先どうするかは考えないといけない」

娘はしばらく黙っていましたが、やがて小さくうなずいたといいます。

「分かってる…迷惑かけてるのは」

現在、娘は勤務時間を増やし、生活の自立に向けて動き始めています。まだ完全ではありませんが、「依存しきらない関係」に変わりつつあります。

一方で、夫婦の生活も変わりました。

「余裕は確実になくなりました。でも、家族だから仕方ないとも思っています」

民法877条では、直系血族間には扶養義務があるとされていますが、その範囲は無制限ではなく、「生活に余裕がある範囲での扶助」と解釈されています。つまり、自分たちの生活を維持することも同時に重要です。

「助けたい気持ちと、自分たちの現実。その間でずっと揺れています」

老後の安心は、数字だけでは測れません。どれだけ備えていても、家族の事情によって状況は大きく変わります。