秋篠宮ご夫妻の長男で筑波大学1年の悠仁さま(19)が2月26日から1泊2日の日程で京都市を訪問。明治天皇陵や孝明天皇陵などを参拝し、昨年9月に成年式を無事に終えたことを報告した。

【写真】眞子さんを見つめる紀子さまの“険しいご表情”

 約35年にわたり秋篠宮(60)と親交があるジャーナリストの江森敬治氏がこの京都訪問を取材。悠仁さまを案内した皇室ゆかりの人物に秘話を聞いた。

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泉涌寺で奉迎者に笑顔でお手振り

 2月26日の正午前、京都はどんよりとした曇り空だった。新幹線「のぞみ」からJR京都駅に降り立った若きプリンスに気付く人はほとんどいない。悠仁さまは外国人観光客らで混雑する駅の改札口を通り抜け、出迎えた関係者に丁寧にあいさつをして、車に乗り込んだ。出発の際には、私や、悠仁さまに気付いて立ち止まっていた数人に向かい、窓を開けて笑顔で手を振ってくれた。

 明治天皇陵への参拝を終えた午後3時過ぎ、東山区の真言宗泉(せん)涌(にゅう)寺(じ)派総本山、泉涌寺へ。孝明天皇陵などに通じる参道には、ダウンコート姿の近所の50代主婦や滋賀県から来たという会社員の50代男性、それに和服姿の女性ら約20人が、悠仁さまを待ち構えていた。そこへ、2台の黒塗りの車が近づいてくる。先頭の車両に悠仁さまが乗車していた。

悠仁さま〜」「殿下〜」

 奉迎者から一斉に声があがった。私たちの目の前で車は速度を落とした。窓が開けられ、悠仁さまが笑顔で手を振る。奉迎者の声は一段と大きくなった。

 私の隣で、近所の主婦は感激して泣いていた。

「上品でとても素敵でした。皇族として立派に成長してくれると思います」

“長老”が語る秋篠宮さまと悠仁さまの“印象”

 この日、悠仁さまが訪れた泉涌寺は、古くから皇室との関係が深い。1242年、泉涌寺にて四条天皇の葬儀が行われ、山陵が造営された。その後の江戸時代には、全ての天皇の葬儀が泉涌寺で行われた。唯一の皇室の菩提寺として、「御(み)寺(てら)」と称される。

 明治時代に神仏分離令が出されると、天皇陵は寺から切り離されて宮内省の所管となったが、皇室からの支援は続いた。1966年には昭和天皇の意向を踏まえて「御寺泉涌寺を護る会」が設立され、三笠宮さま(2016年に薨去)が初代総裁に就任。1996年に2代目総裁に就任したのが秋篠宮さまだ。

 悠仁さま訪問の翌週である3月4日、泉涌寺の上(うえ)村(むら)貞(てい)郎(ろう)長老(87)が取材に応じてくれた。秋篠宮家や悠仁さまとの関係についてのロングインタビューはこれが初めてだ。


泉涌寺の上村長老

 皇室の菩提寺だっただけに、上皇さまや天皇陛下を案内したこともあるという。上村長老が語る。

「3年前の5月、上皇陛下と美智子さまが京都を私的訪問された際、泉涌寺にも立ち寄られました。この年は、陛下が90歳、美智子さまが89歳になられる年。陛下は『歴代の天皇では一番の長生きなんですよ』と仰り、私に年齢をお尋ねになるので『今年で85歳です』とお答えした。すると美智子さまから『若いっ!』と言っていただきました。今の天皇陛下は令和元年に、雅子さまとご一緒に即位のご報告で泉涌寺を訪問され、予定時刻を30分も延長して滞在してくださいました」

 そんな上村長老に秋篠宮さまの印象を尋ねると、こう返ってきた。

「とても勉強熱心な方です」

 泉涌寺は、縦が約16メートル、横が約8メートルという日本最大級の涅槃図を所蔵する。公開時には天井を覆うように吊るされるが、ある時、秋篠宮さまがこの涅槃図に関心を示し、「床に広げた状態で見たい」と希望した。

「そこで、大きな研修道場で涅槃図を広げてご覧に入れました。『護る会』の他のメンバーの方は10分くらいで見終えてしまうのですが、秋篠宮さまはいつまでも『ここは何ですか』『あれは何ですか』と学芸員に聞いておられた。『護る会』の毎年の総会では30分ほどの講演が行われるのですが、この時も毎回、熱心にメモを取っておられます」(上村長老)

紀子さまは「長老さま、叱ってください」と…

 2015年12月、生け花と香道を家族で学ばせてほしいと、ご夫妻が佳子さまと悠仁さまを連れて寺に来たことがあった。悠仁さまがお茶の水女子大学附属小学校3年生の時のこと。姉の眞子さんは外国公式訪問中で不在だった。

 悠仁さまは元気いっぱいだった。知らない場所に興味津々で、庭を走り回るなど、少しも落ち着かない。見かねた紀子さまが、

「長老さま、叱ってください」

 と頼んだが、さすがの長老も「ようできません」と断ったそうだ。

 上村長老はご夫妻から、泉涌寺訪問の後に、近くにある水族館に行く予定だと伺っていた。そこで悠仁さまにこう声をかけた。

「次は、どちらに行かれるのですか」

 悠仁さまは、茶目っ気たっぷりにこう答えたという。

「知〜らない!」

 私も、まだお茶の水女子大学附属幼稚園に通っていた頃の悠仁さまと、東京・元赤坂の秋篠宮邸で会ったことがある。その時も悠仁さまは元気いっぱいで、椅子やテーブルの脇をすり抜けて部屋の中を駆け回り、少しもじっとしていなかった。ついに紀子さまが抱き留め「よおく、考えてみましょうね」と諭したのだが、上村長老の話は、その時の私の思い出と重なった。

 上村長老は、悠仁さまと再会した感慨を、こう表現した。

「小さい頃のやんちゃなイメージが強かったのですが、もうコロッと変わってしまって。それはそれは立派な成年皇族になられて、びっくりしました。将来、天皇陛下となるための“基本”が備わっていらっしゃると感心しました」

 悠仁さまのどんな点にそれを感じましたか、と水を向けると、即座に上村長老はこう答えた。

「びっくりするくらい、気配りや心配りができる方になられました」

 たとえば悠仁さまは靴を脱いだ後、靴の向きを自分で丁寧に直してから玄関を上がったという。さらに、先に部屋に入った悠仁さまは、上村長老が部屋に入るのを立ったまま待っていた。「お座りになってください」と勧められるまでは、席に座ろうとしなかったのだそうだ。

「姉はすごいですけれども、私は学生ですので…」

 京都訪問の間、私も悠仁さまの細やかな気配りに感心させられたことがあった。訪問2日目の2月27日午前、悠仁さまは上京区にある、能衣装を手掛ける西陣織の織元を訪問した。私や近所の人たち数人が出迎える中、黒塗りの車から降りた悠仁さまは、関係者にあいさつをして、そのまま織元の建物の方へ消えた。だが次の瞬間、悠仁さまは再び姿を現し、私たちに向かって笑顔で手を振ってくれたのだった。

 上村長老のインタビューに戻ろう。

 悠仁さまは現在、大学生活の合間に天皇誕生日の一般参賀に出席するなど、公的な活動を続けている。上村長老がそのことについて聞くと、悠仁さまは謙遜気味に、こう答えたという。

「姉はすごいですけれども、私は学生ですので、まだあんまり(公的な仕事を)しておりません」

 上村長老はこう語る。

「最近、公的な活動に精力的に取り組み、国民からの評価が高い佳子さまを、悠仁さまは尊敬しているようでした。とても仲の良い姉弟だと感じました」

 悠仁さまには、伯父の天皇陛下や皇后さま、それに両親や姉、上皇ご夫妻など、支え、助けてくれるたくさんの人たちがいる。上村長老もその一人だろう。

「国民と苦楽を共にすることが、皇室の大きな務めです。苦しいときにこそ、人々に寄り添い、励まし、助けてくれる、そんな皇族を目指していただきたい」(上村長老)

 悠仁さまの歩みはまだ、始まったばかりだ。

(江森 敬治/週刊文春 2026年3月19日号)