夢二さん

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 名門・首都大学東京(東京都立大学)時代から吉原で働き、在籍店でNo.1の座についた夢二さん(26歳)は、母親もかつて吉原で働いていたという血統。「愛情もお金もなかった」幼少期から、性風俗店勤務を経て人生が好転した。壮絶な家庭環境の原因とも言える母親は、一昨年に交通事故で他界した。その母に、いま思うこととは――。
◆それぞれ父が違う3人きょうだいの長女

――夢二さんは秋田県でお生まれになったそうですね。

夢二:そうです。母は生涯ずっと恋愛が絶えなかった人で、私、妹、弟とそれぞれ父親が別々なんです。母が結婚したことは一度きりで、弟のお父さんにあたる人との間で婚姻関係を結びました。私は父の顔を見たこともなくて、今どこで何をしているのかもよくわかりません。ギャンブル依存症だったと母から聞いたことがあります。妹の父親とは、同棲をしていました。

――その妹さんのお父さんにあたる人からの虐待が苛烈だった。

夢二:はい。その人は定職に就かず、お酒がなくなると不機嫌になる人でした。秋田県を離れて、福島県で一緒に暮らしていたと思います。母はその人のために夜職で働いていましたが、暮らし向きはなかなかよくなりません。私が小学校入学前後だと思いますが、その男性が「酒がないじゃないか」と怒り狂って、私を雪山に投げ捨ててそのまま帰宅したことがありました。また、ベランダに裸で立たされたこともあります。真冬の福島県は、たぶん多くの人が想像するよりもずっと寒さが厳しくて、死んでしまうのではないかと思いました。

◆母に対して「どうして産んだ」という思いが

――周囲は虐待を止めようとしなかった。

夢二:いや、何度か通報も入ったようですね。それで児童相談所が介入してきて、「あなたたちでは育てられないから」ということで、私は祖父母の家に預けられることになりました。また秋田県に戻ったわけですね。しかし祖父母も年金で暮らしていますから、たとえば私は中学時代は陸上部でしたが、部活で使うものも遠慮なく買ってもらえる環境ではなかったですね。

――お母様が吉原で働いていた時期というのは……。

夢二:ちょうど、妹のお父さんと同棲しているときだと思いますね。弟のお父さんは地元で有名なお金持ちで、昔からの知り合いでもあったようで、それ以降はいわゆる水揚げみたいな形で性風俗業には従事していないと記憶しています。

――お母様に対して、当時はどう思っていましたか。

夢二:早く死んでくれと思っていましたよ。こんな目に遭うなら、どうして産んだのか、とも。それを本人に伝えたこともあります。当時は、母のことが理解できなかったし、許せませんでした。

吉原勤務は「自傷行為」に近い

――しかし夢二さんは18歳になるとすぐに吉原で働き始めますよね。嫌いだったお母様と同じ職業に就いたのはどうしてでしょうか。

夢二:そうですね。あの当時は「金のためだ」と思っていました。でも今振り返ってみると、母に対して「あなたの子育てはこんな女性を産み出したんだよ」と見せつけて、現実と向き合わせたかったのかもしれません。しかもお客様のどんなリクエストにもお応えして、No.1になって。半分くらいは自傷行為ですよね。

――奇しくも、その吉原で人の優しさに触れた。

夢二:そうですね。お客様はもちろん、スタッフの皆さんが本当にサポートしてくれて。自分が抱えている問題について親身になってくれる人もいました。性的な関係でつながる場所で、人間として扱ってもらえたのは意外でしたが、嬉しく思いました。結果として、働いてよかったなと感じます。

◆最高月収600万円も、同棲相手に持ち逃げされる