熊本駅と春日町【懐かしの風景と熊本の小京都・RKKフォトミュージアム#04】~RKKニュースミュージアム~ 熊本
RKKには、動画だけでなく放送に使用した写真や資料写真も多数保存されています。半世紀前の熊本を写した懐かしい写真の中から、今回は熊本駅とその周辺を紹介します。
古い写真なので変色・退色が進んでいますが、AIを使った退色補正と人力での調整で、当時の風景がよみがえりました(AIによる補正は必ずしも正しい色合いを再現していない場合があります。ご了承ください)。
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【熊本駅】
1971年(昭和46年)に撮影された熊本駅です。この駅舎は3代目で、1958年から2018年まで使われました。ご覧の通り3階建てでしたが、1991年(平成3年)の改修で、屋上部分に正面からは4階建てにみえるような「壁」が追加されました。
長距離列車の多くが到着していた1番ホームの様子です。熊本の陸の玄関口として多くの人で賑わっていました。お土産らしき袋を持った人が多いですね。
しかし熊本駅は、中心市街地から少し離れていることもあり、長い間駅前の開発の遅れが指摘されてきました。
同じく1971年撮影の駅前の様子です。市電の行先表示は「1」系統、子飼橋行きです。当時の駅前は小さな土産物店が並び、現在と比べるとかなり雑然としています。駅前は駐車場とタクシーの乗降場になっていて、電車通りを挟んで「三洋電機」の看板のある建物の南隣に、別途バスターミナルが設けられていました。2011年の九州新幹線の開業に合わせて再開発が進み、付近には「新都心プラザ」や合同庁舎ができるなど、熊本市の新たな都心として面目を一新しています。
【どうしてここに「祇園町」?】
駅の北側にある花岡山から見た熊本駅の全景です。今はこちら側に「新幹線口」があります。撮影日時は残されていませんが、写真左端、白川の対岸に見える「世安町団地」は1979年竣工なので、1980年代前半頃の撮影だと思われます。
さて、1891年(明治24年)に熊本駅が開業した当時、駅舎が飽託郡春日村にあったことから、市民からは「春日ステンショ(ステーション)」と呼ばれていたそうです。写真手前の住宅地は現在春日3丁目~5丁目にあたりますが、1969年(昭和44年)の町名改正以前は、ここには奈良や京都のような雅(みやび)な町名がついていました。
まるで奈良の地名のような「大和町」「長谷町」、そして京都のような「祗園町」「八坂町」「加茂町」。なぜここに奈良や京都にちなんだ町名が多くつけられたのでしょうか。
「祇園町」は、近くにある北岡神社が元来「祇園社」と呼ばれていたことにちなんでいます。北岡神社には京都の祇園社(八坂神社)の分霊がまつられていて、「八坂町」もここから採られたのだと思われます。花岡山も、江戸時代までは「祇園山」とよばれていたそうです。
また、近くには「清水寺」「長谷寺」もありますし、そもそも「春日町」も、春日3丁目にある春日神社(奈良の春日大社の分社)に由来しています(他の説もあり)。
これらが創建された平安時代には二本木(熊本駅そば)に肥後国の国府があったとされています。そのため、当時政治・経済の中心だったこの地に多くの神社・仏閣が作られ、それらが奈良・京都のような地名になっていったと考えられます。
この他にも、都から赴任した役人達がホームシックにかかるのを慰めようと、奈良や京都にあやかった地名をつけたのではないかという説もあるそうです。
現在、町名としての「祇園町」は残っていませんが、坪井川にかかる橋の名と、熊本市電の停留所名として、その名を今に留めています。
<参考文献>
「新熊本市史」(熊本市)
熊本地名研究会「くまもと城下の地名」(熊本日日新聞社)
熊本地名研究会「熊本の消えた地名」(熊本日日新聞社)
中村弘之「熊本市電が走る街 今昔」(JTBパブリッシング)
「最新熊本市街図(1967年)」(和楽路屋)
