『ライオンの隠れ家』で注目される前の現実…兄が明かす、自閉症の弟の才能を疑った過去
2024年秋に放送され、大きな話題を呼んだTBS系金曜ドラマ『ライオンの隠れ家』。主人公は、市役所で働く真面目で優しい青年・小森洸人(柳楽優弥)。弟の美路人(坂東龍汰)は自閉スペクトラム症の特性を持ち、二人は静かに寄り添いながら暮らしている。毎朝同じ時間に家を出て、仕事の後も一緒に帰宅。常に弟の歩幅に合わせ、日常の穏やかさを大切に守ってきた。しかし、ある日“ライオン”と名乗る少年(佐藤大空)が現れたことで、兄弟は思わぬ事件に巻き込まれていく。
ドラマの中で、美路人(通称・みっくん)が描く数々の絵を手がけたのは、福岡に住む画家・太田宏介さん。みっくんと同じく、自閉スペクトラム症の特性がある。この連載では、その宏介さんの兄・太田信介さんの視点から、弟との関係や家族について綴っている。過去の連載では、『ライオンの隠れ家』のオファーを受けた日のことや、弟の存在を隠していた当時の思いを明かし、大きな反響を呼んだ。今でこそ知名度も人気も高まっている宏介さんの絵だが、『ライオンの隠れ家』をきっかけに広く知られる前は、「宏介の才能を信じきれない時期もあった」と信介さんは語る。以下、信介さん自身による寄稿の前編では、その葛藤を振り返る。
脱サラして、弟の絵画で起業
「起業」というと聞こえはいいかもしれませんが、決して甘いものではありませんでした。TBSドラマ『ライオンの隠れ家』で劇中絵画の協力をさせていただいたことをきっかけに、ありがたいことに知名度が一気に高まり、仕事も増えました。ただ、そこに至るまでの道のりは決して平坦な道のりではなかったと感じています。
宏介は絵を描き始めて33年、私は起業して14年になります。振り返ると、ようやくここまで来たという思いです。宏介は10歳から絵を習い始めましたが、当時の私はその姿をずっと「お絵描きしている」くらいにしか捉えていませんでした。
私は新卒でパチンコ店に就職し、28歳で店長を任せてもらうようになりました。店長の仕事は激務で、常にプレッシャーも伴います。そんな中、疲れ切って実家に帰ると、家には宏介の作品が飾られていました。宏介の作品は、下描きをせずに自由に線を引き、のびのびと色を重ねた、どこか無邪気で楽しさにあふれるものでした。それを見たとき、私は自然と涙がこぼれました。
当時の私は「自由がない」「余裕がない」「失敗を恐れて行動できない」といった状態で、社会の中で決められた役割や常識に縛られていました。そんな自分とは対照的な宏介の姿に、「うらやましいな」「自分も頑張ってみようかな」と思えたのです。この頃から、宏介に対する見方も少しずつ変わっていきました。
やがて宏介の作品に元気をもらっている自分に気づき、実家に帰る回数も自然と増えていきました。そして「いつか宏介の作品を通して、多くの人に元気や笑顔、癒しを届けたい」と思うようになり、起業を意識し始めます。
そこから絵画の勉強をし、貯金をし、結婚も経て、準備に約9年をかけて、2012年に会社を辞めて起業することになりました。現在は、絵画展の企画・販売をはじめ、絵画レンタル、太田宏介アトリエ館の運営、講演会やライブペイントなど、多岐にわたる活動を通して、宏介の作品を多くの方に届けています。
宏介の才能を信じられなくなった
意気揚々と起業したものの、最初からうまくいくわけではありませんでした。周囲からは、さまざまな言葉をかけられました。
「それで食べていけるの?」
「障がいのある方の絵なんでしょう?」
「太田宏介って誰?」
「パチンコ店に戻ったほうがいいんじゃない?」
経営者団体にも所属していたため、先輩方からも率直な意見をいただくことが多くありました。その多くは、宏介の作品そのものではなく、経営面に対するものでした。当時は宏介もまだ無名で、今ほど障がいのある方の作品への理解も広がっていませんでした。そのため、「家族がいるのに本当にやっていけるのか」という声が圧倒的に多かったのです。
私自身、強い覚悟と自信を持って起業したつもりでしたが、その自信は1ヵ月ももたなかったと思います。「宏介の作品は世の中を元気にできる」と信じていた一方で、障がいのある人が描いた作品として十分に価値を感じてもらえない現実に直面し、落ち込む日々が続きました。気づけば、自分自身が宏介の才能を疑ってしまうこともあったのだと思います。作品の良さは、数値で測れるものではありません。だからこそ、自分の思いを信じるしかないのですが、その軸が揺らいでしまっていました。
オムツを眺めて奮起した
私は大学時代にパチンコ店で4年間アルバイトをし、そのまま就職後も同じ業界で15年働いてきました。合計すると、19年間パチンコの仕事一筋でした。パチンコ業界しか知らない私にとって、絵の仕事はまったくの別世界で、最初はかなり苦労しました。そもそもパチンコ店で働いていた頃は、自分から電話をしたり、アポイントを取って人に会いに行ったりすることもなく、すべてが初めての経験でした。
まずはギャラリーで小さな絵画展を開き、ご来場いただいたお客様一人ひとりにご挨拶しながら、人脈を少しずつ築いていきました。また、自らギャラリーや関係先に連絡を取り、展示の機会をいただけるよう営業も重ねていきました。どこかに所属していたわけでもなく、教えてくれる人もいなかったため、今振り返ると無謀ともいえる挑戦だったと思います。さらに、絵は生活必需品ではないため、どうしても優先順位が低くなりがちで、その現実に直面して寂しさを感じたこともありました。それでも連絡を重ね、人とのつながりを広げていきました。
うまくいかない時期が続く中、起業した当時は結婚3年目で、1歳の長男がいました。家に帰ると目に入るオムツを見ては、「オムツ代を稼がないといけない」と毎日のように思っていました。「家族には迷惑をかけられない」という気持ちが、自分を動かす大きな原動力になっていたと思います。
その長男も、今では福岡の県立高校に通う1年生になりました。部活動にも取り組み、充実した毎日を過ごしているようで、その姿をとても嬉しく感じています。中学生の頃に、「将来は起業して、お父さんを超えるから!」と言ってきたこともありました。正直「生意気だな」と思う気持ちもありましたが、それと同時に、起業に対して前向きなイメージを持ってくれているのだと感じました。大変な時期もありましたが、そう思ってもらえていることを考えると、本当にやってきて良かったと感じています。
◇後編では、起業から14年が経った信介さんが経験した新たな挫折について。『ライオンの隠れ家』後の宏介さんの変化や、再びその才能を信じられなくなった理由、そのときの心情について綴る。
