【W杯回顧録】第15回大会(1994年)|「もう足に力が残っていなかった」PK戦に泣いたR・バッジョ。日本の“ドーハの悲劇”にマラドーナ追放、ブラジルが24年ぶりの頂点に
初戦で注目を集めたのは、復帰したマラドーナが予想以上に充実したパフォーマンスで鮮やかなゴールも決めたアルゼンチンだった。ガブリエル・バティストゥータのハットトリックもあり、ギリシャには4−0の快勝。2戦目もナイジェリアを2−1で下して一躍優勝候補に浮上する。
ところが試合後のドーピング検査で、マラドーナからエフェドリンが検出され永久追放の処分がくだる。象徴的存在を失い暗転したアルゼンチンは最終戦を落としてグループ3位に転落し、ラウンド(R)16でもゲオルゲ・ハジを擁すルーマニアに2−3で競り負けて大会を去った。
大会を通して最も劇的なシナリオを紡いだのは、前回自国開催で3位に終わったイタリアだった。ミランで独特のプレッシングスタイルを確立し、欧州チャンピオンズカップ連覇に導いたアリゴ・サッキを監督に据えたが、思うようなパフォーマンスを引き出せず、初戦ではアイルランドに0−1で敗戦。続くノルウェー戦は背水の陣になるのだが、20分過ぎに守護神のジャンルカ・パリウカがエリア外の反則で退場になってしまう。そしてサッキ監督が代わりのGKルカ・マルケジアーニを送り込むために下げたのは、前年バロンドールを受賞しているロベルト・バッジョだった。試合後にサッキは弁明した。
「ピッチには常に走り回れる10人が必要だった。バッジョについての決断は、すべてバッジョのためを考えてのことだ」
実際、バッジョは右足を痛めて完調ではなかった。だがさすがにスタンドはどよめき、見渡す限り誰もが目を見開きポカンと口を開けていた。しかしそれでもイタリアは攻勢に出て、69分にジュゼッペ・シニョーリのFKをディノ・バッジョが頭で叩き1−0で勝ち切る。ただし酷暑下で瀬戸際の戦いを繰り広げた代償は大きく、守備の要フランコ・バレージが半月板を損傷して緊急手術を受けることになるのだった。
グループ3位のイタリアは、同順位の中でも6か国中4位だったので16番目(最下位)のGL通過だった。さらにR16でもナイジェリアに先制を許し、追いかける展開を強いられた。しかも75分には、交代出場したジャンフランコ・ゾラが、相手からフェアにボールを奪っただけなのに、メキシコのアルトゥーロ・カルテル主審が一発退場を宣告してしまう。
しかし終了2分前、ロベルト・ムッシの横パスを受けたR・バッジオが左隅に流し込み起死回生の同点ゴールを決める。さらに延長戦に入ると、アントニオ・ベナリーボに浮き球のパスを届けてPKを誘発。自ら起点となって獲得したPKを、しっかりと左隅に決めてベスト8に導いた。続く準々決勝でも1−1から終了3分前に、シニョーリのパスを受けたR・バッジョが、GKをかわして角度のない位置から決勝ゴール。不調だったGLの期間中には、ガソリンスタンドにある等身大の看板が焼かれ、自宅には泥棒が入る被害にもあったが、一転してヒーローとして崇拝されるようになった。
優勝候補のブラジルは、R16で大きな危機に直面した。7月4日、対戦相手は独立記念日を迎えた開催国のアメリカだった。アメリカを指揮するのはボラ・ミルチノビッチ。過去2大会のメキシコ、コスタリカに続き、異なる3か国を立て続けにGL突破に導いていた。
前年にイングランドを下すなど進境著しいアメリカが、世紀の大番狂わせを演じるための舞台は整っていた。スタジアムでは「U・S・A!」のコールが終始響き渡り、ブラジルは前半終了間際にレオナルドの肘がタブ・ラモスにヒットしてしまい退場になる。だが10人になってからは、ブラジルが底力を見せた。相手に隙を与えずに主導権を握り続け、72分にベベートがゴールを陥れ決着をつけた。
