4月8日、朝井まかてさんの新刊時代小説『豆は煮えたか』が刊行されます。舞台は江戸・深川。手のひらを重ねると少し先の未来が見えるという不思議な力を持つ水茶屋「ささげや」の女主人・お玉が、水茶屋に集ってくる人々と心を重ねていく連作短編集です。今回は、なんと、朝井さんのご友人で、同じく作家の大島真寿美さんがスペシャルゲストとして参加。収録前には占いのできる小社社員による手相・タロット鑑定も行い、占いの話題から死生観まで、にぎやかな鼎談となりました。

【画像】朝井まかてさん

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『豆は煮えたか』朝井まかて(文藝春秋)

「深川の大きな椎の木が最初に浮かんだ」

――今作の着想のきっかけを教えていただけますか。

朝井:小説を書くときに最初に頭に浮かぶのが、わりとビジュアルであることが多いんです。「オール讀物」から時代小説をとお声がけをいただいたとき、まず浮かんだのが深川、そして大きな椎(しい)の木でした。その幹にしがみつくように開いているささやかな水茶屋があって…、主(あるじ)は平凡な顔立ちをした女がひとり。

 お店は繁盛してなくて、すると食べていくために何か別の稼ぎが要る。そうだ、「江戸の占いカフェ」はどうかしらん、と。でも占いは裏稼業なので大っぴらじゃなく、しかも彼女は占い師を装ってはいるが、相手と手のひらを合わせると「将来が見えてしまう」不思議な能力の持ち主?と発想が広がりました。実は、私が江戸時代を好んで書くのは、不思議なことを不思議なまま受け入れる心が、今よりもたくさんあったと思うからなんです。

お玉は「ごく当たり前に落ち込む女性」

――主人公のお玉は、30代から40代にかけての落ち着いた年頃の女性で、体の不調も感じ始めています。お玉をどのような人物として描こうと思われたのですか。

朝井:等身大の女性として描こうと思いました。不思議な能力を持たせてしまったからこそ、彼女はその力を持て余して、ちょっとしんどいこともあるんじゃないかしら、と。

――腕の良い菓子職人だった夫を不慮の事故で亡くしてから、水茶屋の名物だった豆餅をお玉も作ろうとするのですが、なかなか上手にできません。

朝井:一生懸命やってみるんだけれども不器用で、いつ店じまいをしようかなんて迷いつつ、少し先の未来を見ることができるという、持って生まれた能力を使ってなんとか暮らしているわけです。ですから、お玉は人格的にあまりできた人にはしないでおこうと考えました。ごく当たり前に落ち込んだりもするし、厄介事は避けようという気持ちもあったりする。

 ただ、手のひらを合わせて相手を見るということは、相手の人生がかかっているということは承知しているので、占う時はとても真剣で、少し人格が変わる感じにしています。

みんなが息を飲んだ、朝井さんの手相・タロットの結果

――実はこの収録の前に、占いのできる小社社員が、お二人の手相とタロットを見る、という一興がありました。ここからは、ぜひ大島真寿美さんにもお話に入っていただきます。

大島:すごかったですよね。お互いの手相が全然違うの。

朝井:私はいろんな線が多いんだよね。大島さんの手はちっちゃくて、しわが少ない。大人と子どもくらい違う(笑)。

大島:しわが少ないのは、脳みそのしわが少ないからだって言われて(笑)。で、私、運命線がないと言われたんです。

朝井:でも「M(の形のしわ)が両手に二つあるから、運命線はいらないくらい強運」って。

大島:よくわからなかったんだけど……「空気が読める人ですよ」って言われたんです。

朝井:それが意外でしたわ(笑)。「空気が読める」、そして「とても努力をしている」と言われていて、それを聞いたときの大島さんの顔ったら――強力な武器を得たような顔!

 でも人間って、自分が見ている自分や自分が期待している自分を、照らし合わせたくなるものですよね。若いころって特に、安心したくて、答え合わせをしたいような気持ちがあると思うんです。私たちは今回、単に楽しく占いをしてもらったんだけど、大島さんは早速、占いでもらった言葉を武器にしています(笑)。

大島:そうかも(笑)。

朝井:私には金運の線そのものがないと言われました(笑)。「ここツルツルです、こっちもツルツルです」って言われながら、「貯金、ありません」ってつい答えたら「そうでしょうね、お金のことを全く考えてませんね」って。でも、私の両手、運命線が手首から指先まで両方しっかり通ってて「運だけで生きてますね」って。それも、はい、ってうなずいた(笑)。

大島:あと頭脳線と感情線が一緒になっていて、ロジカルよりも感覚派だって。

朝井:それも自覚があります(笑)。全くロジカルにものを考えられないので。おっしゃるとおり、って思いました。

大島:タロットは、切ったカードの中から自分で一枚引く形で占ってもらったのですが、なんと私は「エンペラー」のカードだったんですよ!

朝井:エンペラーって皇帝ですよ、無敵じゃないですか!

大島:「このまままどっしりと構えていれば大丈夫です」みたいな感じで占いが終わってしまって(笑)。

朝井:そのままでいらっしゃい、という(笑)。

大島:一方で朝井さんが引いたカードが……荒野の中でひとりたたずむ、黒っぽいマントの旅人みたいな絵で。

朝井:そう、死神に見えた。私、「明日死ぬんですか?」って思わず騒ぎました(笑)。

大島:そしたら見てくださっていた社員の方の指がカタカタカタ……って震えはじめて。

朝井:周りで見ていたスタッフも、みんな息を飲んでいましたよね。

大島:こちらから眺めていたら、まかてさんを囲む面々が「はっ」としているのがすごくリアルに見えて(笑)。どうやって収拾するんだろうと思いながら。

朝井:私、占いが示すものを言語化することこそが腕であり、とても難しいのだ……と、小説にも書いたんですよね。まさにそのありさまを目の前で見せていただきました。

大島:一生懸命言葉を探してくれていましたよね。

朝井:あのカードは「孤独……でも、乗り越える」という意味らしくて。ひとりで抱えちゃうから、もっと周囲に頼りなさい、と社員さんはおっしゃいました。たしかに、私が誰かに何かを相談するときはよほどのことで。当たってるわあ。

大島:小説家って基本的に孤独な仕事だから、朝井さんには近すぎるカードじゃないかと思いながら聞いていました。

朝井:孤独の上塗りですよね(笑)。でも孤独は嫌いではないんですよ。だからこうやって友人と会うと、おしゃべりが止まらなくて。昨晩、大島さんとご一緒してから、今日までずっとしゃべっているものね。

お玉のもとに集まる人々

――実際にこうして占ってもらう様子を拝見すると、お玉のもとに占いを求めてやってくる人々の気持ちが分かる気がしました。

朝井:私は何十年ぶりかで占いを体験しましたけど、“私って、こういう人らしいんだわ”って語ることも楽しいですね。堂々と自分語りができる(笑)。

 で、小説の話にもどりますと、お玉のもとを訪れる人たちは相談事があるわけで、それは普段の人間関係に差し支えない、縁もゆかりもない他人だから話せる、ということがあると思います。人にあまりおおっぴらに言いづらい悩みであったり、ちょっと暗い気持ちであったりすることを占者に打ち明けますから。あ、自分はこういうことを思っていたんだ、こういう人間だったのだと、心中で確認していく場面もあります。

――アドバイスというよりは、気づきを促す感じでしょうか。

朝井:お玉の場合は、相手のちょっと先の将来が見えるという能力なので、あまりアドバイスめいたことを言わせたくなかったんです。それによって相手の人生を規定するようなことではなくて。でも、ありきたりな励ましもさせたくない。

 だから、お玉自身が、悩みながら言葉を探しつつ、でも本当に素直な気持ちを相手に伝えているというふうに描いたつもりです。

――お互いに真摯に向き合うところから生まれる関係性ということですね。

朝井:そうですね。でも、お玉が見えるのは4、5年先の未来。どの道を行こうか迷っていたり、この縁談が嫌で、命がけでも好きな人と一緒になりたいといった人にとっては、全身で安心できるものではないし反発もします。でも、今の自分を認め、何かを考えるきっかけになる。占いとはそういうものではないかとも思うんですよ。

――「手相は未来の占いではなく、その人が過去にどんなことをよく考えてきたか、何を心がけてきたかが出るもの、つまり結果なんです」とその社員が言っていました。

大島:そうでしたね。だから金運が無いと出ているのも分かる(笑)。

朝井:そうでしょうよ、って思ったけど(笑)。

タイトル「豆は煮えたか」の由来

――タイトルの『豆は煮えたか』についても教えていただけますか。「豆は煮えたか」は、お玉に占いをしてほしい人の符牒でもありますが、この言葉をタイトルにしようと思ったのはなぜでしょうか。

大島:すごくいいタイトルだと思います。私、大好きです。

朝井:ありがとうございます。でも、深く考えていたわけではなくて……。名物が豆餅だから、あんこを炊く。でもお玉は下手くそでうまく煮れない。とはいえ、いずれ豆餅にも何がしかの発展はあるんだろう……。じゃあ豆。そう、豆は煮えたか?という疑問形がいいなと。

――豆餅をモチーフにされたのは、豆餅がお好きだからということもあるのですか。

朝井:大好きです。素人にはやっぱり作れないものだから。お餅も小豆も、扱うのは難しい。しかも一つのお菓子にいくつもの食感と味があるということは、それぞれに手間暇がかかるわけですよね。大変なスイーツです。

江戸の死生観と、占いを欲する気持ち

――江戸時代は、現在と、平均寿命や死生観が異なります。そんな人々にとって、将来を占うということはどういう気持ちだったんでしょうか。

朝井:江戸時代は、家柄や身分がある程度固定化していますよね。その良い面としては、あれこれ自分の将来を考えなくてもいいところ。でも、それは自分の選択ではないので、圧倒的に自由ではないとも言えます。だから逸脱したい人もいるし、親の決めた縁談から逃げたい人もいる。大島さんが浄瑠璃作者・近松半二を描いた『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』の世界のように、いろいろな事件が起きるわけでございます。

 そのあたりの、人間の心の構造というのは、寿命とは関係ないのではないでしょうか。いつの世も、人の悩みは尽きまじですね。

大島:占いを欲するのは、未来がたくさん見えているときなんじゃないかという気もします。「私たちはこの年齢で未来がそんなにないですし、何を占ってほしいですかと言われてもね」って、さっきも笑いながら話しましたよね。

朝井:ええ。私も作中で書いたのですが、占い師さんは、「占的(せんてき)」がはっきりしないとだめらしくて。でも今日の私たちは「別に見てほしいことはないんですよ」というふてぶてしさで(笑)。

大島:じゃあなんで来たんだ、という(笑)。そういえばさっき、二人とも「死ぬまで書く」と手相に出ていると言われましたよね。

朝井:ペンを持ったまま死ねるなら、本望ですよね。それだったら幸せかな。わからんけど(笑)。

――最後に、読者の方々へのメッセージをいただけますか。

朝井:何がしかの理由で道に迷った人が、少し不思議な力のあるお玉のもとにやってきて、数年後の自分のちょっとした変化を知ることで、それがまた何がしかの変化を起こします。そして、お玉自身も少しずつ変わっていきます。

 そんなささやかな出会いが起こす変化を描いていて、“運命”って、誰かと気が合って一緒に歩く、一緒に何かを見る、という、とても日常的な出会いのことなのではないかと、今日改めて感じています。『豆は煮えたか』でもさまざまな出会いの甘さ、しょっぱさがたくさん出てきます。どうぞお楽しみください。

――『豆は煮えたか』(朝井まかて著、文藝春秋)は4月8日発売です。ぜひお手に取ってご覧ください。

(朝井 まかて,大島 真寿美/文藝出版局)