「お医者さんはいませんか」に名乗り出るか否か。現役医者が語る【人の命】か【自分の罪】か

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AIの登場により、「病院の診察室にいる白衣のお医者さん」のイメージは、いまからの10年で大きく変わる。

その激変の時代に医師になるとはどういうことか。

医師であり、医療未来学者でもある著者が、これから医師になろうとする娘、そして医学部を目指す若い人たちへ向けて語る、医師の仕事のリアルとキャリア、そして「未来の医師の姿」とは。『医療未来学者の父が 医師になる娘へ語る これからの医の世界』より気になる章をピックアップしてご紹介します。

「人の命」か「自分の罪」か

医師は、病院の中だけで医師である訳ではありません。プライベートな時間でも、目の前で急に人が倒れたら、医師としてできることは全力で対処する。それが本来あるべき医師の姿だと思います。しかし、医療器具もない状況で、できることが限られていて何かミスを起こしたら、責任を取らなければいけないのでは? と不安に思うかもしれない。

僕も若い頃、そのような状況に直面したことがありました。まだ20代半ば、研修医だった頃です。やっと取れた休みで行った弾丸ツアーのような海外旅行の帰りにシンガポール航空の飛行機に乗っていたら、その機内で急病人が出ました。機内アナウンスで医師が呼ばれたから、僕はとっさに手を挙げました。本当はそこで立つべきではなかったのに、無知な僕は無謀にも、自分の知識と経験を頼りに、その患者さんを診察し、腹痛で大騒ぎする40代女性に、機内に準備されていた救急セットに入っていたブスコパンの注射を打ったのです。女性の腹痛は収まり、僕は拍手喝采を受けて席に戻りました。

医局に戻って自慢げにその話をしたら、先輩にこっぴどく怒られました。なぜ怒られたか、わかるでしょうか? もし、腹痛の女性が亡くなっていたら、僕は殺人罪に問われる可能性があったのです。シンガポール航空機内の出来事だったため、法律はシンガポールの国内法が適用されます。そうなると、シンガポールの医師免許を持っていない僕の医療行為は、単なる傷害罪、当然ながら、違法行為に当たるからです。

アメリカやカナダの一部では、キリスト教の教えに由来する「善きサマリア人の法」という法律があります。この法律がある国では、事故や緊急時に善意で他人を助けた場合、結果的にミスしたとしても法的責任を問われません。しかし、シンガポール機の機内では善きサマリア人の法は関係ありません。もし訴えられたら、シンガポールの法廷に立たなければならない可能性まであったのです。

そのときは結果的に、乗客の女性は回復して、僕は(受けてはいけない)拍手喝采を浴びました。僕はすっかりいい気になっていたのですが、先輩に指摘されて、すっかり落ち込んでいました。まだその傷も癒えない1ヵ月後くらいのある日、航空会社から自宅に「お礼」として送られてきたのは、500円分のテレホンカード。法律を犯して医師としてやったつもりだった行為の対価が五500円。

もちろん、目の前で苦しんでいる人がいたからとっさにやっただけで、お金が欲しくての行動じゃありません。それでも、あのときの経験は、医師の責任の重さと、社会の認識とのギャップを、身をもって知る良い機会でした。

もう一つ、日本の新幹線でも同じようなできごとがありました。東日本大震災の後、当時教員をやっていた会津大学(福島県会津若松市)の学生たちと現地へボランティア活動に向かう途中でした。そのときも車内で急病人が出て、医師が呼ばれたのです。シンガポール航空の一件以来、原則的に名乗り出ることはなかった僕ですが、その日は偶然にも荷物に聴診器を持っていました。ボランティアで被災地に医師が行くのに、聴診器や痛み止めやら抗生剤くらいの軽い薬は持っていないとなあ、と思ったものですから。

すぐに病人のもとへ駆けつけると、重度の狭心症か心筋梗塞の疑いがありました。そこで、慎重に判断し、新幹線を途中の駅で止めてもらい、救急搬送の手配をしてもらったのです。

このときも、聴診器以外の医療器具はほとんどありませんでした。限られた状況の中で、僕なりにできることをしたつもりです。もしあのとき、新幹線を止めずに仙台まで行ってしまっていたら、患者さんの命は危なかったかもしれません。日本で善きサマリア人の法は適用されませんが、民法の緊急事務管理という規定で同様の内容がカバーされているのです。なお、興味深い調査があり、2024年にエムスリーが行った医師アンケート(機内の救急対応、「リスク高く訴訟怖い」が多数〈臨床ニュース〉)だと、約25%の医師が緊急の呼び出しには応じないとしています。

これらの経験を通して、あなたに伝えておきたいのは、医師の責任とは、単に法律や制度で定められた範囲に留まらない、ということです。医師は、常に人の命と隣り合わせ。だからこそ、どんな状況であっても、目の前の命を救うために、自分に何ができるのかを考え、最善を尽くす覚悟が求められます。

ただし、今の僕だったら、あの飛行機の中で同じ状況に遭遇しても、注射はしないでしょう。違法行為だと知ったからです。もちろん、目の前で命が危険に晒されている状況で、自分が救えるスキルを持っているのに何もしないのは、医師として非常に苦しい。人の命と自分の罪を天秤にかけるような、究極の選択です。

でもそこで感情に流されて、無責任な行動をとってしまうと、かえって多くの人を不幸にする可能性がある。一人を救護して捕まってしまったら、その後で救えるかもしれない何百人もの命に携われなくなるからです。あるいは、自分が英雄的な行為をした影響で、他の医師たちも同じように無責任な行動をとるようになったら、医療全体にマイナスになりかねない。

これはいわば職業規範みたいなもので、医療のプロフェッショナルである以上、感情より理性で判断しなければいけない場面もあるのです。

医師という職業は、常に誰かの生と死の境界線で働いています。この現実を受け入れ、どんな場面に直面しても覚悟を持って臨む。その心構えが求められます。あなたも、医師としてのスキルや知識だけでなく、そうした心の強さや冷静な判断力もぜひ身につけて、人間としての深みを持った医師になってほしいと思っています。

人の死に向き合った数だけ成長していく

あなたはまだ、人の死に正面から向き合ったことがありません。以前、自分がそのような立場に置かれることになったら、「まったく怖くないとは断言できない」と話していましたね。医学部の実習では、患者さんの死に触れる機会があります。そのとき初めて、少なからず怖さを感じるかもしれない。人の命を救うことの責任の重さに、改めて気づかされることもあるでしょう。医師として、患者さんの死を経験したとき、自分がどのような気持ちになるのか、不安も感じると思います。

人の死と向き合うことは、医師にとって、もっとも重く、そして避けられないテーマです。あなたがもし人の死を「怖い」と思うなら、その気持ちはとても正直で、もともと持ち合わせている繊細な感受性です。医師も人間ですから、怖くない振りをする必要はありません。自分に嘘をつかず、自分の気持ちに正直でいてください。

僕自身も若い頃、担当していた患者さんが亡くなったとき、「もしあのとき、別の診断をしていれば、あるいは別の治療法を選んでいれば、もしかしたら命を救えたのじゃないか」と、自分を責める日々が続いたものです。僕は研修医時代に、たて続けに3人の患者さんの死を経験しましたが、言葉では言い尽くせないほどの学びがありました。

医師は、人の命を救うために日々戦っています。だからこそ、救えない命に直面したときの無力感や葛藤は、想像を絶するものがある。どれだけ手を尽くしても、どんなに努力しても、救えない命はあります。それは、医師という職業の宿命なのかもしれません。

僕が研修医の頃に、担当していた患者さんの容体が急変し、どうすることもできない状況に追い込まれたことがありました。上の医師に相談しようにも、連絡がつかない。刻一刻と状況が悪化していく中で、僕はたった一人で、命に関わる決断を迫られたのです。あのときほど、自分の無力さを感じたことはありません。しかし、そういう経験があったからこそ、「自分で判断し、責任を取る」という医師としての覚悟が、少しずつ僕の中に芽生えたのだと思います。

「死なせないために、あれもこれもやる」。そんな思いで、がむしゃらに治療にあたる。その過程で、患者さんの家族の思い、患者さん自身の本音、治療に伴う苦痛や経済的な負担など、さまざまな要素を考慮しなければなりません。時には、治療の選択を巡って、家族と意見が対立することもあれば、看護師さんから、「あと5分で決めてください」と究極の判断を迫られることもある。そのように濃密な時間を経験して初めて、本物の医師になります。人の死に向き合った数だけ、医師として成長していくのです。

この先、日本で安楽死が合法化される可能性もあります。患者さん自身の意思に基づき、命を終わらせることを手助けする役目を、医師が担う日が来るかもしれません。そのときは、医学的な知識だけでなく、哲学や倫理観といった教養が、これまで以上に求められるようになるでしょう。

僕の知り合いの医師に2人、人の死に向き合うことが辛すぎて、臨床医を諦めた人がいます。彼らは、医学の知識は豊富だったけれど、患者さんの死と正面から向き合う覚悟を持てなかったのかもしれない。でもそれは決して彼らが弱かったからではありません。彼らにとって、その道が向いていなかっただけのことなのだろうと思います。

今後、あなたが人の死に直面したときも、「本当にこの仕事を続けられるか?」と、自分自身に問いかけてみてください。それでも「この道を進みたい」と決意したらもちろんのこと、もし他の道を選んだとしても、僕は心から応援します。

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