不評から原点回帰で復活 進化を止めるきっかけとなった9代目トヨタクラウン
今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第87回目に取り上げるのは1991年にデビューした9代目トヨタクラウンだ。
クラウンは2025年に70周年
初代クラウンは1955年1月7日にトヨペットクラウンとしてデビュー。観音開きドアを採用していたことから『観音クラウン』の愛称つけられたモデルだ。2025年はその初代の登場から70周年を迎え、現行のクラウンシリーズのクロスオーバー、セダン、スポーツ、エステートの各種モデルに70周年記念車が設定された。2026年は71年目ということになる。2026年の時点で販売継続中の日本車長寿ブランドでクラウンは1位ランドクルーザー(1951年)の75年に次ぐ第2位で、それに続くのは日産スカイライン(1957年・プリンス時代を含む)となっている。

初代トヨペットクラウンは観音開きドアを採用。以来日本の高級車として70年以上も君臨
保守的なクラウンの変革
日本の高級セダンとして長きにわたり君臨するクラウンだが、ご存じのとおり現行モデルは大きな変革のもと誕生。メイングレードはセダンではなくクロスオーバー(セダンとSUVのクロスオーバー)、スポーツ(クーペタイプSUV)、エステート(ワゴンとSUVのクロスオーバー)となった。セダンはほかのモデルがFF(前輪駆動)ベースとなっているのに対し、MIRAIとプラットフォームを共用するFR(後輪駆動)で燃料電池車(FCEV)を設定するなどショーファー的キャラクターが強めてほかのモデルと差別化されている。
このクラウンの大激変はクルマ界で大きな話題となったが、71年目となる長い歴史のなかで、何度かチャレンジングな試みが展開されていて、今回紹介する9代目クラウンもその代表例のひとつと言えるだろう。

現行の4タイプで最後に登場したのがエステート(2025年3月)はワゴンとSUVのクロスオーバーカー
デビュー時にバブル崩壊開始
9代目クラウンがデビューしたのは1991年10月。諸説あるがバブル崩壊の始まった年だ。日経平均株価は1989年末に当時最高値の3万8915円をつけていたが、1990年10月には2万円台を割り込み経済が低迷。首都圏で始まった地価の下落が全国に波及し始めたのはまさに9代目クラウンがデビューした10月頃だった。

8代目は景気のよさも後押しして大ヒット
日本が浮足立った狂乱時代とも言われたバブル景気だが、2025年12月末の日経平均株価が5万339円48銭(最後の取引日・12月30日)ということに驚かされる。最終取引日の株価を35年ぶりに更新した2024年末よりも1万円以上高いのだ。日経平均株価と景気動向が乖離していることを改めて痛感する。
筆者は1991年のバルブ崩壊時は社会人1年目。広告営業をやっていた関係で、広告が入りづらくなるなどで景気の悪化は実感したが、実生活に関してはそれほど厳しくなった印象はなかった。株や土地を所有していない庶民レベルはバルブの恩恵を大きく受けてないと同時に、悪影響も小さかったのだ。これがバブルの盛り上がり、衰退の両方を経験した庶民の正直な気持ちだ。

9代目は8代目の面影はまったくなしの大胆チェンジ
トヨタ車のトップではなくなったクラウン
デビュー時は景気が後退し始めていたが、クルマの開発期間は当時4〜5年かかっていたため、9代目クラウンの開発がスタートしたのは遅くてもバブル直前。そのため、開発費をふんだんにかけた贅沢な作りとなっていた。これは9代目クラウンに限らず、同時期に登場したほとんどの日本車に言える。
9代目クラウンについて言えば、クラウンを取り巻く環境の変化は無視できない。1989年にトヨタは初代セルシオをデビューさせた。トヨタの上級ブランドとして北米で販売を開始したレクサスのフラッグシップサルーンのLSのトヨタ版だ。つまり、初代セルシオの登場によりトヨタ車のヒエラルキーの頂点に君臨していたクラウンがフラッグシップでなくなったのだ。ただクラウン至上主義という人は一定数いたため賛否あった。

1989年にデビューした初代セルシオ。V8搭載の高級セダンの出来のよさに世界が騒然
上級モデルとスポーツセダンを追加
そんななか、トヨタは9代目クラウンをデビューさせるにあたり、ラインナップを増強させた。”通常の”クラウンの4ドアハードトップ(詳細は後述)は当然のこと、セルシオと従来のクラウンの間を埋める高級セダンとしてクラウンマジェスタ(初代)を設定。バブル景気、日本人の上級志向などもありトヨタは必要と判断。マジェスタはバブル期に開発されただけあってクラウンの名に恥じない高級モデルで、存在感は抜群だった。ロイヤル系にはないマジェスタ専用の豪華装備も多数あった。しかし2代目以降は、ユーザーの目にはマジェスタが中途半端に映り、徐々に存在感を失っていった。

クラウンシリーズの最高級モデルとして追加されたマジェスタ
さらにトヨタは9代目クラウンの派生車としてブランニューモデルの初代アリストを同時に登場させた。国際基準をもとに開発されたトヨタ初のスポーツセダンだ。イタリアデザイン界の巨匠のひとり、ジウジアーロがデザインしたエアロフォルムをまとったデザインは日本車にない肉感的な迫力、美しさを持っていた。

9代目クラウンとコンポーネントを共用する初代アリストはスポーツセダン好きの心をつかんだ
クラウンの伝統を継承
メインモデルである標準クラウンは伝統の継承とチャレンジさが同居。クラウン=保守的というイメージを覆したモデルでもある。

クラウンは3代目からペリメーターフレームを採用
まず保守的という点では、フレーム構造の継承というのが挙げられる。クラウンは初代以来フレーム構造を採用してきた。初代はラダーフレーム(梯子型)、2代目ではX字型の補強メンバーを追加したX型フレームに進化させ、3代目はさらに剛性確保のためフロアの外縁部にフレームを通したペリメーターフレームを採用。軽量化とボディ剛性確保を両立したボディとシャシーを一体とするモノコック構造が主流になってもこのペリメーターフレームにボディを架装する手法を採用してきた。トヨタは効率よりもクラウンとしての重厚な乗り心地、剛性確保に必要と判断していたから。
追加となったクラウンマジェスタ、アリストがモノコック構造を採用していたのに対し、9代目クラウンは従来どおりペリメーターフレームを踏襲。この点は特筆で、技術的に後退したのではなく、トヨタは意図的に伝統を踏襲したのだ。10代目クラウンはモノコックボディとなったため、9代目は最後のフレーム構造のクラウンということになる。

9代目クラウンは最後のフレーム構造のクラウン
クラウン史上初の全車3ナンバーサイズ
しかし9代目クラウンが伝統を継承したのは、クラウンの名前、ラグジュアリーセダンというコンセプト、至れり尽くせりの快適装備という点だけで、それ以外についてはクラウン史に残るレベルでチャレンジングだった。それを具体的に挙げていく。
まず、ボディサイズ。クラウンは日本の高級車として全幅1700mm以下の5ナンバーサイズにこだわってきた。これは最大のライバルの日産セドリック/グロリアも同じ。8代目では全幅1745mmのワイドボディと全幅1695mmの5ナンバーボディが混在していたが、9代目のハートトップモデルでは初めて設計段階から全車3ナンバーサイズとなったのがトピック。全幅1750mmで登場した9代目クラウンについて、トヨタは『全国の駐車場を調査した結果、全幅1750mmまでは充分に許容範囲であることが判明』、とエクスキューズを入れていたように、当時はクラウンにとって3ナンバーサイズ専用とすることは大きな決断だったのだろう。

ロイヤルシリーズは全幅1750mmとなったが、現代のクルマに比べれば小さい
4ドアハードトップのみ刷新
続いてはボディタイプ。クラウンと言えば窓枠&センターピラー付きの4ドアセダン、窓枠のない4ドアハードトップという2本立てが一般的だったが、9代目ではセダンがなくなり4ドアハードトップのみが刷新されたものニュースだった。
販売のメインは4ドアハードトップだったが、営業車、ハイヤー、タクシー、パトカー、公用車などのクランのニーズは意外に多く、8代目のセダン、ワゴン、バンをキャリーオーバー(継続販売)して対応。8代目の4ドアセダンは1995年まで、ワゴン、バンは1999年まで販売された。

どことなくミニセルシオと言った感じのエクステリアデザイン
意欲的デザインが不評
9代目クラウンの最大にチャレンジングだったのはエクステリアデザイン。8代目までのスクエアで角張ったデザインから、前後を絞り込んだエアロフォルムで登場。伝統のラジエターグリルは踏襲するも、横桟タイプとしたことでスポーティさは増したが”威厳”はなくなった。威厳といえば従来のクラウンが、全幅1700mm未満の全幅ながら大きく見えたのに対し、9代目は全車3ナンバーサイズの全幅1750mmの全幅となったのに逆に小さく見え”クラウンらしさ”が消えた。

クラウンらしくないリアと言われたリアデザイン。特にナンバー一が不評
細かいことながら既存のクラウンユーザーが許せなかったのが、リアのナンバープレートがバンパーの間に配置されたことで、高級感が失われたと大不評。クラウンを愛し続けた人だけの感覚だったのだろうが、クラウンはユーザーの満足度がすべてのクルマゆえこれは正直失敗だった。
この挑戦的なエクステリアデザインが災いし、ライバルのセドリック/グロリアに販売面で迫られて、クラウン史ではアグレッシブなデザインで苦戦した4代目の通称クジラクラウン以来の失敗作という烙印を押された。

斬新なデザインで失敗した4代目のクジラクラウン
2Lエンジンを廃止
そのほかではエンジン。4ドアハードトップに搭載されるエンジンは2.5ℓと3Lの直列6気筒DOHCで、8代目まで設定していた2L、直6DOHCエンジンが消滅。クラウンは高級車ながら、買い得感の高さから2Lモデルの販売も無視できないレベルあったが、2LエンジンのニーズはマークII系に任せ、アッパークラスに専念となった。
あと、クラウンと言えば『ロイヤルサルーン』。この名称は5代目(1974〜1979年)で初登場してその後クラウンの代名詞ともなるのだが、9代目クラウンでは4ドアハードトップがロイヤルシリーズとなった。前述のマジェスタ、アスリートとともにロイヤルシリーズとして独立したかたちだ。

9代目クラウンはセルシオ譲りの大きなキャビンが特徴
至れり尽くせりのクラウンらしいインテリア
インテリアに目を移すと安定のクラウン。当時としては最上級の豪華さ、GPSをはじめとする贅沢な内装をうまく演出してユーザーの満足度は高かった。インパネも一世を風靡したデジパネに加えてアナログタイプも用意。若者に媚びないクラウンとなったのだ。

最高級のファブリックを使った贅沢な室内。トップグレードには本革も用意
最大のライバルは日産のセドリック/グロリアブロアムV30。クラウンの最上級モデルの3.0ロイヤルサルーンが364万円に対しセド/グロは350万円。クラウンが16万円高かったが、エンジンはクラウンが230ps/26.5kgm、セド/グロが200ps/26.5kgmと30psの余裕。さらにセド/グロが運転席のみがパワーシートだったのに対し、クラウンは助手席もパワーシートを標準装備し、当時の必須アイテムのCDプレーヤーを標準装備していた。室内スペースもクラウンのほうが広く、ウッドなどを多用するなど、高級感は断然上だった。クラウンの5速ATはスムーズで、ファイナルギアはハイギアード化されていたので静粛性に優れていて、燃費性能も優れていた。

9代目はデジタルメーターよりもアナログのほうが人気だった
マイチェンで復活したことが進化を止めた
デビューから2年経過した1993年8月に不評だったデザインを一新するビッグマイチェンを敢行。前後を絞り込んだデザインは変更のしようがなかったが、横桟グリルからクラウン伝統の行使グリルに変更。さらにリアコンビランプに8代目のデザイン意匠を取り入れ、ナンバープレートの位置もバンパー中央からテールセンターに移動された。デビュー時に取り払われていたCピラーの王冠マークも復活させた。

格子グリルにするだけで威厳が出るから不思議。Cピラーの王冠マークも復活
マイナーチェンジながら、誰もが考える8代目までのクラウンのイメージを盛り込んだ変更により販売が劇的に回復したのだ。これがトヨタの凄いところだが、旧来のイメージに戻したマイチェン後のモデルが成功したことにより、クラウンのデザインはチャレンジングに変更してはダメというのが決定的となった。
トヨタがクラウンを変えることに憶病になったわけではないが、動かしようのない事実を前に1995年に登場した10代目は8代目、9代目のマイチェン後のデザインからキープコンセプト。しかも成功を収めたから、やっぱりクラウンは変えてはいけなかったのだ。

リアコンビが分断されその間にナンバーを装着。ナンバー位置の変更で落ち着きが出て好評
クラウンの劇的なコンセプトチェンジは2003年登場の12代目クラウン、通称ZEROクラウンまで待たなければならなかった。もし、9代目クラウンが成功していれば、クラウンの歴史は変わっていたかもしれない。

激変して大成功を収めた12代目のZEROクラウン
【9代目トヨタクラウンハードトップロイヤルサルーン主要諸元】
全長:4800mm
全幅:1750mm
全高:1440mm
ホイールベース:2730mm
車両重量:1630kg
エンジン:2997cc、直列6気筒DOHC
最高出力:230ps/6000rpm
最大トルク:29.0kgm/4800rpm
価格:364万円
※1991年10月デビュー時のスペック

ミニセルシオ的なデザインの採用でクラウンとしての威厳がなくなったのが苦戦の要因
【豆知識】
クラウンは初代が1955年にデビューだったため2025年で70周年を迎え、その間に16代を数える。3代目までがトヨペットクラウンで4代目からがトヨタクラウンとなった。基本的にクラウンは現行はクロスオーバー、セダン、スポーツ、エステートの4タイプが設定されている。7代目(1983〜1987年)の石坂浩二氏のナレーションによる『いつかはクラウン』というキャッチコピーは60歳以上の世代のクルマ好きなら誰もが知っているほど有名。

『いつかはクラウン』の名キャッチコピーで大人気
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975〜1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/TOYOTA
