『教皇選挙』©2024 Conclave Distribution, LLC.

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 バチカン市国に位置するシスティーナ礼拝堂の煙突から白い煙がのぼり、サン・マルコ広場が歓声に包まれる。日本時間5月9日午前1時過ぎにアメリカ出身のロバート・フランシス・プレボスト枢機卿が、新教皇・レオ14世として即位することが発表された。

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 日本では教皇を決定する秘密選挙、コンクラーベを題材とした映画『教皇選挙』の興行収入が7億円を突破し、ゴールデンウィークには満席が続いた盛況っぷりである。第97回アカデミー賞で脚色賞を受賞し、コアな映画ファン層を中心に人気を集めていた本作であったが、フランシスコ前教皇の逝去し、12年ぶりとなるコンクラーベが開催に。現実とフィクションがリンクしたことで、さらに客足を伸ばしたと言えよう。そのような状況下で開催されたコンクラーベとあって、日本国内での注目度も大いに高まった。

 映画評論家の小野寺系氏は、今回のコンクラーベに対し、「過去数回のコンクラーベでは今回同様2日から3日ほどで教皇が決まっており、早期決戦がトレンドになってきているのかなと感じました。その一方で、教皇がプレボスト氏に決まったという点には少し驚きました」と所感を述べる。

※以下、映画『教皇選挙』のネタバレを含みます

アメリカという超大国の出身者から教皇を選出するのはどうかという問題意識が、各国の枢機卿の間にあるではないかという予想もありました。ただ、今回選出されたプレボスト氏は80年代頃から何度もペルーで布教活動をされており、どちらの国籍も持っています。アメリカ人としての印象が薄いという面では選びやすかったのかもしれません。プレボスト氏は、映画『教皇選挙』でリベラル派の人物として登場したベリーニ枢機卿のイメージに重なる部分が多いです。プレボスト氏は基本的にはリベラルで、フランシスコ前教皇の遺志を継ぐのではないかと推測されている一方で、過激な改革派ではなく、バランス感覚のある人物として知られています。保守派からも支持を得やすい存在だったのではないでしょうか」

 アメリカとローマ教皇というと、先日トランプ大統領がSNSでローマ教皇に扮した自身のコラージュ画像を投稿したことで話題になった。アメリカ人初となる教皇の誕生はトランプ政権をさらにに勢いづかせるものになるのでは、という推測に対し、小野寺氏は以下のように論じた。

「プレボスト氏は、2025年2月、アメリカのヴァンス副大統領をSNS上で批判していました。アメリカから初の教皇が選出されたということで、ある程度は国民も盛り上がりそうですが、トランプ政権としては冷や水を浴びせられた感覚かもしれません。もしかしたら今回プレボスト氏に投票した枢機卿たちが、アメリカの政治状況を頭に浮かべていた可能性はありますよね。とはいえ、そもそもコンクラーベは、神が人の心に働きかける力だと言われている「聖霊」が枢機卿数たちに囁きかけ、そのインスピレーションを与え、その囁きを基に教皇を選ぶというのが前提だと言われています。政治的な方向性以外に、宗教的な性質も含んでいるところが、コンクラーベが一般的な選挙とは違う面白い点ですし、意外な結果が生まれやすい理由なのかと思います」

 そして、実際のコンクラーベを経たことで、『教皇選挙』のリアリティが浮き彫りになったと小野寺氏は語る。

「コンクラーベ自体は秘密選挙なので、礼拝堂の中で実際に何が起きているかを知ることはできませんが、『教皇選挙』は、私たちが知り得る範囲では非常に忠実に描かれていたと思います。外部から確認できる場面、例えば煙の色で教皇選出を知らせる場面などは、ほぼ現実と同じように再現されています。ただ、屋外の撮影はバチカンではなく、ローマ市内の別の建物で行われ、礼拝堂内部の場面に関しては、チネチッタ撮影所で敢行されました。こちらは手に入る情報などを基に再現されていますが、美術監督も『厳密さよりも映画的な迫力を優先した』と語っていたように、やや映画的な意匠が加わっています。また、コンクラーベの参加にあたり、枢機卿たちが、予習として『教皇選挙』を鑑賞していたとの報道もありました。(※)驚きもありますが、よく考えれば納得できる気もします。というのも、教皇の在位は政治家の任期に比べて長く、回数が限られているため、参加経験のある人は限られています。しかも秘密選挙ですから、位の高い聖職者であっても、参加者以外は詳細を知ることができないのだと思われます。。だから、映画のようなフィクションであっても、そういった映像を参考にして概要をつかむしかないというのが、正直なところだったのではないでしょうか」

 最後に、コンクラーベと『教皇選挙』を踏まえたうえで、今回の選挙の争点にもなったカトリック内部における分断を小野寺氏はこのように分析した。

「そもそも同じ神を信じているのに、なぜ保守派とリベラル派という対立軸が生じるのかという疑問もあるかと思います。争点の一つとなっているのは、性的マイノリティに関してです。前教皇は『同性愛者も神の子』という発言にもあったように、彼らも祝福を受けるべきだと主張していました。カトリックは聖書に則っていますが、新約聖書にはマグダラのマリアをはじめとして、社会から疎外されている人々や貧しい人を慈しむべきだという博愛の精神が説かれています。その考えに基づくのであれば、性的マイノリティを認めるべきだというのが、前教皇をはじめとしたリベラル派の意見でした。一方で、旧約聖書の『レビ記』には同性愛を禁じる記述があり、新約聖書では同性愛に関してはっきりと明言されていない以上、そちらの記述を尊重すべきだというのが、一部の保守派のロジックだと考えられます。さらに保守派の主張を掘り下げると、神学者トマス・アクィナスの言葉を根拠としている部分もあります。アクィナスは『神が人間に与えた肉体は自然の摂理に適うものであり、その摂理から逸脱する行為は神の意志に反している』という主旨の考えを述べており、それが性的指向の多様性に基づく営みを否定する根拠になっていました。『教皇選挙』も現実世界と同様に保守派とリベラル派の対立が描かれていましたが、最終的に教皇となった枢機卿による『この体も神がお創りになったもの』という台詞は、この「神が創った自然」という、保守派が強調する概念を逆に利用した、強烈なカウンターなのです」

 奇しくも現実世界と重なり、実際のコンクラーベに参加する枢機卿たちの“参考書”にもなった『教皇選挙』。現実世界のコンクラーベを見届けた今だからこそ劇場で観直すと、また新たな発見があるかもしれない。

参照※ https://hollywoodreporter.jp/movies/109407/(文=柴理咲子)