一度は復活を遂げた迷(名)車たち 中編 オースティン・マエストロ ランチア・ベータ・モンテカルロ ポルシェ912ほか
ランチア・ベータ・モンテカルロ(1975年)
1975年のミドシップ・スポーツカー、ランチア・ベータ・モンテカルロは、本来はフィアットとして開発されていた。ツインカムの4気筒エンジンが発揮する馬力は121psに留まったが、ピニンファリーナ社によるスタイリングは美しく、それ以上に速く見えた。
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イタリアン・スポーツカー好きが多い北米市場にも輸出され、彼の地ではスコーピオンと呼ばれた。だが、厳しい排気ガス規制に合わせて81psへパワーダウンされており、ガッカリした人も多かったことだろう。

ランチア・ベータ・モンテカルロ(1975〜1978年/英国仕様)
ベータ・モンテカルロの売れ行きを大きく減速させたのは、ブレーキング時にフロントタイヤ側がロックするという悪癖だった。この問題は軽微とはいえず、1978年に生産停止へ追い込まれてしまう。
しかし改良を経て、2年後の1980年にモンテカルロ・シリーズ2として復活。人々の記憶に残る悪いイメージを払拭するため、ベータというミドルネームは省かれた。
エンジンがノイジーだったことに変わりはないが、より大きなホイールと新しいフロントグリルを獲得。そして何より、適正に動作するブレーキが与えられていた。制動力をアシストする、サーボを取り外すという苦肉の策で。
そんなモンテカルロ・シリーズ2の生産も、短期間に終わっている。1981年までに7798台が生産されただけだ。
マニアな小ネタ:コメディ映画「ハービー・ゴーズ・モンテカルロ」にも登場したスコーピオン。サスペンション・スプリングが長く、操縦性は欧州仕様車より劣っていた。
オースティン・マエストロ(1983年)
1983年に発表されたオースティン・マエストロは、横置きエンジンにマクファーソンストラット式のフロント・サスペンションを備えた、合理的な設計の5ドア・ハッチバックだった。スタイリングを手掛けたのは英国の巨匠、デビッド・ベイチュ氏だ。
クルマの見た目とパッケージングは良かった。市場の反応も悪くなかったが、製造品質が足を引っ張った。保守的なイメージも伴って、販売でライバルに勝つことはなかった。

オースティン・マエストロ(1983〜1994年/英国仕様)
1994年、オースティン・モーターをBMWが買収。マエストロは真っ先にモデルラインナップから姿を消した。しかしブルガリアでは、ノックダウン生産という形で1995年に一時的な復活を果たしている。
さらに1997年には中国の第一汽車が権利を購入。ハッチバックのQE6400「ルビー」とバンのQE6440「レアード」へ生まれ変わっている。2003年にはCA6400UAへ派生し、2012年にはデザインが変更されたSUVのイエマへと発展した。
マニアな小ネタ:1998年にブルガリアで売れ残ったマエストロは、英国のとある企業が購入。1台4000ポンド以下という低価格で販売している。
ピアレスGT(1958年)
トライアンフTR3用の部品を流用し、低価格なアストン マーティンを狙ったグランドツアラーがピアレスGT。鋼管で組まれたスペースフレーム・シャシーにドディオン・リアアクスルを備え、1958年のル・マン24時間レースでは小さくない存在感を示した。
初年度には約250台が販売されたものの、製造品質はイマイチで、FRP製ボディの仕上げに洗練性という言葉は似合わなかった。当初はアメリカでの販売も考えられていたが実現せず、すぐにプロジェクトは立ち行かなくなった。

ピアレスGT(1958〜1960年/英国仕様)
経営陣が混乱するなか、ピアレスGTは1960年までに290台の生産で幕を閉じた。しかし、プロジェクトの発起人でレーシングカー・デザイナーのバーニー・ロジャー氏は諦めていなかった。
ほぼ内容を変えることなく、ワーウィックGTとして同じ1960年に復活させている。ロンドンの西、ヒースロー空港そばの小さなワークショップで。
小規模での少量生産を考えていたようだが、価格は1600ポンドとキットカーに近い内容としては高額だった。最終的に45台しか作られていない。
マニアな小ネタ:アメリカの顧客から、V8エンジンのピアレスを作って欲しいとワーウィックへ連絡があったという。それが、後にゴードン-キーブルへの着想へつながったという。
ポルシェ912(1965年)
1964年、ポルシェは水平対向6気筒エンジンをリアに積んだ911を発表。多くの注目を集める一方で、水平対向4気筒エンジンを搭載した356を好んだドライバーの気持ちを遠ざけてしまった。より上級志向の内容で、高い価格が与えられていたためだ。
そこでポルシェは、古いプッシュロッド式の356用4気筒を911に搭載し、装備を簡略化した912を1965年に発売する。1969年にフォルクスワーゲンとの共同で開発された914が発売されるまで、912は好調に売れた。3万300台がラインオフしたという。

ポルシェ912(1965〜1969年/欧州仕様)
新しい914も、手頃な4気筒ポルシェとして一定の役目を果たした。パワーや価格で、911を更に上の水準へ引き上げることも可能とした。ところが人気は伸びず、1975年に販売が終了してしまう。
それを受け、6年間のブランクをおいて4気筒の911というアイデアが復活。ポルシェは912Eを生み出す。新しい924が販売されるまでの空白を埋めるモデルとして、アメリカのディーラーによる要求がきっかけだった。
ところが、同社の量産モデルとしては最も短命に終わる。販売されたのはアメリカ市場の限定で、生産は1975年の1年間のみ。912Eは、2099台しか作られていない。
マニアな小ネタ:オリジナルの912と、912Eが搭載するエンジンはまったく異なる。912Eは、フォルクスワーゲン・タイプ4(411)用の燃料インジェクション版と同じユニットを搭載していた。914にも搭載されていたものだ。
この続きは後編にて。
