4月で施行1年の「70歳就業法」。65歳以降も働くことを可能にする法律だが、企業は必ず雇わないといけないわけではない。人事ジャーナリストの溝上憲文さんは「コロナ禍の業績低迷で企業に余裕はなく、60歳以降の再雇用社員のモチベーションも総じて低い。数年後には社員の2割を占めるバブル世代が定年を迎えるため、できるだけ人を減らしたい企業が多い」という――。
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■人事部は法律しばりのない「65歳以上」を振り落とす

「70歳就業法」がこの4月に施行1年を迎える。現在、60歳の定年以降は希望者全員が65歳まで再雇用などで働くことを法律で義務づけているので“事実上の定年”は65歳となっている。

70歳就業法(正式名:改正高年齢者雇用安定法)は、さらに5年間働くことを可能にする法律だが、誤解している人が多い。

今の会社で70歳まで面倒を見てもらえるので、それなりに働いて、その間の蓄えと年金で老後は何とかなるだろうと思っている人もいるかもしれないが、とんだ間違いだ。

70歳就業法はあくまで努力義務である。「70歳まで働く機会を与えてください」というのが法律の趣旨であり、企業に必ず雇えと言っているわけではない。

65歳までと違い、希望者全員を再雇用する必要はなく、対象者を限定する基準を設けることが可能だ。

つまり、65歳以降も働きたくても働けない人、もしくは働かなければならない人が働けないケースが発生することになる。

メディアの中にはこの法律を「70歳定年法」と呼ぶところもあるが、誤解を招く表現だろう。

厚生労働省の指針では対象者の基準について、

「過去○年間の人事考課が○以上」
「過去○年間の出勤率が○%以上」

といった具体的かつ労働者が客観的に予見可能である基準(数字)にすることを求めている。一定の基準を設けて社員を選別することができるのだ。

■65歳以上の社員を「福祉的な雇用」をする企業

実際にどのくらいの企業が選別基準を設けようとしているのか。

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経団連の調査によると、対象者基準を設ける企業は再雇用などの「継続雇用制度(自社・グループ)」で83.8%と大多数だ。また、今回は他社での再雇用や自社の社員を業務委託契約にして仕事を発注する仕組みも選択肢に加わった(「他社での継続雇用制度」66.7%、「業務委託契約を締結する制度」84.6%)。

再雇用や業務委託であっても対象者を選別する企業が多くなっている(「2021年人事・労務に関するトップ・マネジメント調査結果」2022年1月18日)。

その背景にはさまざまな理由が考えられるが、大きく2つある。まず、人件費コストの増加だ。サービス業の人事部長はこう語る。

「コロナ前は70歳まで全員が働ける仕組みをつくろうとの意見も人事部内であったが、コロナ禍で業績不振が続き、とてもそんな余裕はない。70歳まで再雇用するにしても会社が必要とする専門性やスキルの持ち主に限られるだろうし、65歳以降の賃金は下げざるを得ないだろう」

もうひとつは再雇用社員のモチベーションの低さだ。現在の65歳までの再雇用制度は年収が一律に60歳時点の半分程度に下がり、管理職は役職を外れることが多い。公的年金の支給の空白期間を埋めるために福祉的に雇用している企業も少なくない。その結果、社員側には、同じフルタイムにもかかわらず現役時代より安い給与で働かされるため、モチベーションが著しく低下する人も少なくない。

こうした事情を抱えている企業の多くは、生産性が低い社員を70歳まで雇うことに大きな負担を感じている。

電機メーカーの人事担当者はこうぶちまける。

「再雇用社員の中には他律的でぶら下がり意識が強い社員もいる。現在のまま、単純に70歳まで希望者全員を雇用延長することは難しい」

■社員の2割占めるバブル世代の社員を60歳までに削りたい

実は企業がもっと危惧しているのは60歳以降の再雇用社員よりも、あと数年で60歳を迎えるバブル期入社世代への対応だ。

今は60歳以降の社員はそれほど多くはないが、バブル期入社世代の50代は全社員の2割を占めるともいわれる。もちろんその中には会社にとって有用な人材もいるが、一方で仕事に対する意欲・気力が低い“働かないおじさん”もいる。

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企業によっては毎年数百人単位で60歳を迎えるところもあり、以前のように福祉的に雇用する余裕はない。本来なら将来の人手不足に備えて戦力化しないといけないのだが、戦力にならなければ人件費の持ち出しになる。「本当は削りたい」と本音を漏らす人事担当者も少なくない。

そのためコロナ禍で中高年社員をターゲットにした早期退職者募集も増えているが、対象者を50代に限らず、60代の再雇用社員も対象にしている企業も目立つ。

しかも早期退職者募集の実施をするのは4割以上が黒字企業であり、今のうちに不要な社員を少しでも削っておきたいという意図がアリアリだ。

■50代後半の評価が60歳からの給与に反映される

会社に残ったとしても50代のバブル入社組にはさらに厳しい試練が待ち受けている。多くの企業は従来の福祉的雇用の反省を踏まえ、65歳以上に選別の基準を設けるだけではなく、60歳からの再雇用者にも成果・業績と処遇の一致を厳格化する仕組みの構築を進めている。

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たとえば、56歳から60歳までの5年間の人事評価で給与などの処遇を決め、上位ランクに位置づけられた人は60歳時点の給与を再雇用後も保障し、下のランクに位置づけられた社員は給与が半減する制度にした企業もある。

ある情報機器メーカーでは51歳以上の社員を対象に面談を毎年実施し、評価が低く、新しい仕事に挑戦する意欲が欠けている社員には早期退職による割増退職金プランを勧めている。

同社の人事部長はきっぱりと次のように話す。

「会社にぶら下がり、しがみついている社員が65歳までいてもらうのは互いに不幸だ。50代から緊張感を持って仕事をしてもらわないと、60歳以降も意欲を持って働いてもらうのは難しい。そのための仕組みだ」

この会社では60歳以降の再雇用については今までの仕事で得意とするスキルや分野を自ら提示してもらい、その仕事に見合った賃金を支払う仕組みを検討している。

「自分がやりたい仕事など得意分野で働いてもらう。スキルによって時給1500円、2000円、3000円と格付けし、単年度契約で働いてもらう。ただし、スキルが生かせる部署があるとは限らないし、中には『あの人はちょっと勘弁してよ』という部署もある。うまくマッチングできなければ安い時給で働くことになる。60歳までのスキルや職場での信頼を勝ち得ているかが大きく問われることになる」

■50代で切られる人、65歳で捨てられる人、70歳まで輝く人

60歳以降の処遇が50代の働き方で決まるだけに、定年はまだ先のことだと考えている50代前半や40代も決して漫然と過ごすことは許されない。

これまでの再雇用制度は人事評価もなく、いい働きをしても処遇に反映されることは少なかったものの、「一定のメリット」もあった。とりわけ一律の給与に安住し、働いたふりをしてきた人たちは左うちわの生活がおくることもできた。ところが、新たな制度になるとそんな態度は通用しなくなるだろう。

さらに注意しないといけないのが65歳以降の雇用だ。

70歳就業法では会社が一定の基準を設けることで企業が働く人を選択できると述べたが、再雇用満了後(65歳時)は、満了前の評価結果で優秀な人だけが70歳まで雇用が約束される。評価が低い人は働きたくても65歳契約満了で打ち切りになる。

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70歳就業法は、できれば70歳まで雇用してほしいという国の考えのもとで作られた法律だが、逆に企業側は身構えてしまい、リスクを減らす方策を検討しつつある。

「70歳まで働き口が自動的に与えられ、老後も安心」と高をくくっていた人たち、もしくは「60代になって働かされている」と愚痴をこぼすような人は厳しい時代が到来しようとしている。50歳からの働きぶりしだいでは“老後破産”に陥る人も少なくないと思われる。

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溝上 憲文(みぞうえ・のりふみ)
人事ジャーナリスト
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て、独立。経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。著書に『人事部はここを見ている!』など。
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(人事ジャーナリスト 溝上 憲文)