【私の雑記帳】『財界』主幹・村田博文

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東京五輪に思うこと
 緊迫感の漂う中で、技を競い合う喜びが次第に高まる──。

『2020東京五輪』が1年延期されて、今年7月23日(木)から8月8日(日)までの17日間、開催されている。

 新型コロナ感染症によるパンデミック(世界的大流行)の中で、153か国・地域から約1万2000人の選手が参加。無観客による開催という異例の大会になったが、コロナ禍で制約がかかる中、ある国の選手が、「競技に参加できる喜びを感じています。国を代表して誇りを持って競技に臨みたい」と語る姿には勇気づけられる。

 国難な状況にあるからこそ、その国難に立ち向かうことの意義があるということ。

 いち早く来日していたウガンダの選手団の中に陽性反応が出た選手がいたり、行方不明者が出たりと開催前に波瀾も起きた。

 一方で、豪州の女子ソフトボールチームも開催の数週間前に来日、群馬県太田市で事前合宿し、練習に励んできた。地元・太田市もこれを温かく見守り、コロナ禍でスキンシップを伴うおもてなしは出来なかったものの、大歓迎の姿勢は豪州選手団に伝わったようだ。「太田市の方々に深く感謝します」という豪州選手団の発した言葉に救われる気がした。

 人種、言葉、文化は違えども、同じ地球という惑星に住む人間同士、「互いに健闘しよう」ということで心が通い合う。これぞスポーツマンシップである。

クーベルタン男爵の言葉に
 近代オリンピックの父といわれるピエール・ド・クーベルタン男爵(1863―1937)は、「勝つことではなく、参加することに意義がある」と語った。

 もともと、この言葉は男爵が考え出したものではなく、1908年のロンドン五輪が開催された際、当時、英米両国は犬猿の仲で、米選手団はロンドンで様々な嫌がらせを受けたという。

 米選手団は気を休めようと、大聖堂の聖餐式に出席。そこで大主教が、「参加することに意義がある」旨の発言をしたというのだ。

 この事を聞いたクーベルタン男爵が同じ発言をし、瞬く間に各地に広まったということらしい。

 ともあれ、いざこざや対立はいつでも、どこでも発生する。要は、そうした気持ちをどう鎮静させるか。今回の東京五輪でも、日本の統治(ガバナンス)能力が問われている。

 クーベルタン男爵は、「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つことが大事」とアスリートたちに呼びかけた。スポーツの祭典の原点から学ぶことは多い。

無観客にも意義が……
 もっとも、今回の東京五輪では選手団は東京都中央区晴海の『選手村』に閉じ込められ、一般市民との交流はほとんどない。これも、コロナ禍での感染防止のため止むを得ない措置。

 無観客での開催ということで、人々はテレビ・新聞などのメディア、それにネットを通じて競技をはじめ五輪関係の動きを見つめることになる。

「観客がいてこそ……」とアスリートの多くは言うし、観客の声援が自分の能力を引き出す元になるのは事実。しかし、クーベルタン男爵の『自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ』という言葉どおり、いかに自己と向き合うかが問われる。

 また、内外の観客も今回は競技会場に行けず、〝ヴァーチャル〟観戦になる。それはそれで、メディアを通じて観戦し、心の交流を広げられるはず。五輪史上初の無観客試合で残念だが、新たな感動が必ず生まれるはずである。

食を通じて幸せの輪を
「食を通じて世界中に幸せの輪を広げていきたいと。食の喜びを広げていきたいと思います」