「ほめて育てる」「叱らない子育て」の流行が恐ろしすぎるワケ

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人間の心や頭の発達にとって、子ども時代は重要な意味を持ちます。近年、傷つきやすい若者、すぐキレる若者、頑張れない若者が散見されるのは、学力や知力とは関係ない、何か他の能力の不足が関係している――と、心理学博士の榎本博明氏は語ります。ここでは、その能力とは何か、どうしたら高められるのかを紹介します。本連載は、榎本博明著『伸びる子どもは〇〇がすごい』(日本経済新聞出版)から一部を抜粋・編集したものです。

「生徒が傷つかないように」…実力の差に蓋をする学校

子どもたちは、失敗することを通して、現実を生き抜く上で大事なことを学んでいくのである。それなのに、子どもを教育する立場にある大人たちがそこを見逃し、失敗を極力排除しようと過保護な環境をつくってしまっているように思われてならない。

運動会の徒競走で順位をつけなくなったことが話題になったのは、1990年代頃だったと思う。順位をつけないだけでなく、差がつかないように実力が同程度の子ども同士を走らせるようになっていた。

その頃、私は教育委員会関係の仕事をしており、このように足の速さ・遅さという現実に存在する実力の差に蓋をすることの問題点を指摘したものだった。大切なのは、実力の差に蓋をすることではなく、足が遅いからといってバカにしたり、引け目を感じたりしないように教育することではないかと。

その後、学芸会などでだれを主役にするかに気をつかったり、みんなが主役気分を味わえるような工夫をしたりするようになったのも、わが子をなぜ主役にしないのかと文句を言うクレーマー化した保護者への対応とも言われているが、要するに主役になれなかった子が傷つかないようにという配慮によるものだろう。

「ほめて育てる」とか「叱らない教育」といったキャッチフレーズも、1990年代あたりから急速に日本社会に浸透していったが、これも子どもたちを傷つけず、できるだけポジティブな気分にさせてあげようという時代の空気によるものと言える。

塾や学校で懇切ていねいな指導をするのも、子どもたちが失敗して傷つくのを防ぐためと言えるが、それが売り物になるのも、子どもたちを傷つけるのはよくない、できるだけ子どもたちが傷つかないようにすべきといった価値観が広く共有されているからに他ならない。

コーチングの手法を応用した、子どもを傷つけない子育ての仕方がマニュアル化されたりして、子育てをする親たちは、子どもを傷つけないような言葉づかいを心がけたり、子どもをひたすらほめてポジティブな気分にさせようと気をつかう。

失敗による挫折感を子どもたちに与えない教育法が推奨され、教師たちは、子どもたちが失敗しないように手取り足取り導き、また子どもたちがポジティブな気分になれるように事あるごとにほめまくる。

(※写真はイメージです/PIXTA)

ここで改めて考えなければならないのは、子どもたちが傷つかないようにという配慮がほんとうに教育的なのだろうかということである。そもそも子どもたちが傷つかないようにといった配慮が強まってから、はたして子どもや若者の心はたくましくなっただろうか。嫌なことがあっても、思い通りにならないことがあっても、容易には傷つかず、前向きに頑張り続けられるようになっただろうか。むしろ逆に、傷つきやすい子どもや若者が増えたのではないだろうか。

失敗を過度に恐れる子や若者が目立ち、また「心が折れる」というセリフを耳にすることも多くなり、教育現場で傷つきやすい子どもや若者の対応に気をつかわなければならなくなっている現状をみると、傷つけないように配慮する子育てや教育は逆効果なのではないか。

子どもが傷つかないようにと大人たちが過保護な環境をつくり、子どもたちの失敗経験が奪われているせいで、失敗経験が乏しく、失敗に対する免疫がないため、いざ失敗すると大きな心の痛手を負う。立ち直れないほどの痛手を負う。そんなことが起こっているのではないだろうか。

「コスパの良い」子育ては、子どもの考える力を奪う

子どもが失敗しないようにと親が先回りして指示やアドバイスをすることによって、子どもの自発性が奪われたり、子どもが失敗しながら試行錯誤する経験を奪われたりする。その背景事情として、子どもが傷つかないようにといった配慮があることを指摘した。だが、もうひとつ指摘しなければならない背景事情がある。

それは、忙しい親たちがコスパを求めていることだ。今は共働きをしながら子育てをしている親が非常に多い。正社員だろうが、非正規社員だろうが、忙しいことには変わりはない。

帰宅後は両親ともに疲れ切っており、子どもをゆったりと見守る気持ちの余裕がない。翌日も朝早いし、子どもを早く寝かせて自分も早く寝たいという思いに駆られるのも当然だろう。

休日も、溜まった洗濯物を片づけたり、買い物をしたり、布団を干したり、掃除をしたり、やらなければいけないことに追われる。その上に、子どもの習い事の送り迎えがあったりする。子どもが小さいうちは、幼稚園や保育園の送り迎えもある。

すべきことに追われ、気持ちの余裕を失っているため、翌日の支度にしろ宿題にしろ、子どもに過剰に指示を与えがちとなる。わからないことがあって子どもが聞きに来ても、ヒントを与えつつ子どもに考えさせるのでなく、すぐに答えを教えたり、やり方を手取り足取り教えたりしてしまう。

そのため子どもは失敗することがないだけでなく、自分でああだこうだと考えながら試行錯誤するということも経験できなくなる。その結果、失敗を過度に怖れ、失敗すると立ち直れない感受性がつくられるとともに、自分で試行錯誤しながらあれこれ考えたり工夫したりする習慣を身につけることができず、自分でじっくり考えて判断する力をつけることもできない。

コスパというと良いことのように受け止めがちだが、それは努力をできるだけ節約しようという発想とも言える。日本人の仕事の正確さや熟練工のていねいな仕事は、惜しみなく手をかけることで成り立っているのであり、コスパとは正反対の発想のもとではじめて可能なものと言える。

子育てや子どもの教育も、惜しみなく手をかけるべき仕事であり、そこにコスパという発想を当てはめるのは適切とは思えない。心身共に疲れ果てているということはあるだろうが、子どもの将来は子ども時代の過ごし方にかかっている面が大きいのだし、親としてはひと踏ん張りして、じっと見守る気持ちの余裕をもつようにしたい。

欧米式の「叱らない子育て」は効果なし?

「ほめて育てる」「叱らない子育て」などといったキャッチフレーズをしょっちゅう目にするようになって久しい。子育て雑誌やネット上の子育てサイトでも、子どものほめ方がよく取り上げられる。私自身、そのような主旨の取材を受けることも多く、子どもをいい気分にさせればよいといった考えは危険だと警鐘を鳴らすのだが、時代の空気を変えるのは非常に難しい。

2015年に20歳前後の大学生と30代〜60代の社会人を対象に私が実施した調査でも、「小学校時代に先生からよくほめられた」という人は、30代以上では37%なのに対して、大学生では53%と1.5倍になっている。

「小学校時代に先生からよく叱られた」という人は、30代以上では42%なのに対して、大学生では25%であり、前者の方が1.5倍以上となっている。

親の態度に関しても、「自分の父親は厳しかった」という人は、30代以上では43%なのに対して、大学生では32%と少なめになっている。「自分の母親は厳しかった」という人も、30代以上では51%なのに対して、大学生では40%と少なめになっている。「ほめて育てる」「叱らない子育て」といった考えが広まるにつれて、厳しいと感じる基準も違ってきていると考えられるので、現実の親の態度にはこの数字以上の差がみられるはずである。

その証拠に、「父親からよくほめられた」という人は、30代以上では20%なのに対して、大学生では34%と1.5倍以上となっている。「母親からよくほめられた」という人も、30代以上では36%なのに対して、大学生では61%と1.5倍を大きく上回る数字になっている。

こうした時代の風潮に疑問を投げかけたのが拙著『ほめると子どもはダメになる』(新潮新書)である。タイトルは極端なものになっているが、「ほめて育てる」のは危険だと警鐘を鳴らしたものである。

つまり、「ほめて育てる」「叱らない子育て」というのは、親がラクをすることには貢献しても、子どものためにはならない。ほめて育てれば自己肯定感が高まると言われてきたが実際は低下の一途を辿っており、傷つきやすい若者、我慢できない若者、頑張れない若者が世の中に溢れるようになっている。欧米のように個と個が切り離され、義務を果たさない者や実力を発揮できない者は切り捨てられる厳しい社会でほめるのと、日本のように心理的一体感があり、相手を丸ごと受容する社会においてほめるのとでは意味が違ってくる。これからは子どもの心を強く鍛えてあげることが必要だ。

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榎本 博明

MP人間科学研究所 代表