〈深呼吸、深呼吸。精神集中。今日もいける。私は可愛い。これで決して、自分が「六畳一間のボロ屋敷」からやってきた住人であることは、世間様にはバレないはずである。今日も色々とキメていこう。仕事とか恋愛とか、人生とか、色々。〉

【写真】手つなぎシーンでクラス全員から無視された『野ブタ。をプロデュース』

 このあと、28歳の亜希子は突然、通勤途中の駅のホームから動けなくなる。一時的なパニック症状と診断を受けて精神科に通うも、その後は通勤もままならなくなり、退職。会社員としての食い扶持は途絶え、資産は手元にある10万円のみとなった。

『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)の著者で、かつてSDN48として紅白出場経験もある大木亜希子さんの実話である。


大木亜希子さん

 この後、大木さんは職なし金なし彼氏なしの「詰んだ」状況からわずか1年半で2冊の本を刊行。『小説現代』(2020年8月号)に書き下ろし小説を発表し、文筆家としての道を歩いている。この驚異的な回復の裏には、書籍名にもある58歳のおっさん「ササポン」との同居生活が大きく影響しているという。

 15歳で芸能界に飛び込んで女優になり、20歳でアイドルデビュー、25歳で会社員、30歳で小説を書いた彼女が獲得してきたキャリアと、アラサー女性が抱える「生きづらさ」の正体について聞いた。(全2回の1回目/#2へ続く)

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芸能界を選んだ理由は「私そこそこかわいいからいけるんじゃね?」

 そもそも大木さんが芸能界に入ったのは、歯科医院を営む実父が亡くなったことからだった。裕福な家庭を支える大黒柱が失われたことから、4姉妹の末っ子の大木さんも働くことを決意する。中学3年生のときに固定給の入る芸能事務所に入り、15歳で山下智久や亀梨和也といった錚々たるキャストと共にドラマ『野ブタ。をプロデュース』(NTV)に出演する大チャンスを掴む。

「芸能界を選んだのは、お恥ずかしながら『私そこそこかわいいからいけるんじゃね?』くらいの理由でした。最初の頃は朝ドラのオーディションにも受からなきゃだし、民放の連ドラで3番手までに入りたいしで、ギラついた野生動物みたいになっていました。自分がこの場所でどうやって活躍してステップアップしていくかばかりを考えていて、人生に下り坂や一時停止があるなんて想像もしていなかったです。

 でも『野ブタ。をプロデュース』で人気俳優と私で腕を組むシーンが放送されたことが原因で、放送の翌日にクラスメートのほぼ全員から嫉妬されてしまい無視されました。生きづらさのはじまりを考えると、このときからスタートしていたような気がします」

「感じの良い女の子」であろうと己を律した日々

「それで芸能コースのあった日出高等学校(現・目黒日本大学高等学校)に転校したんですが、ドアを開けたらクラスの子たちが確定申告の話をしているような世界が広がっていて。女優をしている子のなかで誰が一番早く泣けるかをゲームで競ったり、マネージャーの悪口を誰かが愚痴るのも日常茶飯事という魑魅魍魎が跋扈する教室でしたが、みんな大人の世界で働く苦しさを分かち合っていたんだと思います」

 さらに当時の事務所はタレントを守るために渋谷や原宿といった繁華街へ外出することを一時的に禁止しており、仕事に差し障りが出る可能性もあるからと恋愛も基本的にはNG。大木さんは自分を押し殺し、仕事でも学校でも次第に素を出せなくなっていく。

 

 さらに20歳でSDN48に加入しアイドルになると、ファンやスタッフに対して「感じの良い女の子」であろうと、ますます己を律していった。

「10代の女優時代はバーターでドラマの出演が決まることもあったんですが、自分の実力で勝ち取った仕事じゃないことも重々わかっていたので、うまく自信を持てなかったんです。そしてアイドルになると今度はファンに好かれなきゃ、スタッフに気に入られなきゃという気持ちが強すぎて、人を嫌いになってはいけないと思い込んでいきました」

 誰からも嫌われないよう、「好印象フォーマット」に自分を落とし込んでいった大木さんだったが、女優としてもアイドルとしてもなかなか芽が出ない。そしてSDN48が解散になると武道館コンサートから一転、地下アイドルとして活動を始め、お客さんが3人という日もあった。そんなとき、さらに彼女を迷わせる一言が芸能界の大物から投下される。

「25歳のとき、たまたまお会いする機会のあった業界関係者の方に、藁をもすがる気持ちでアドバイスを求めたんです。芸能界で生き延びるために。するとそこで言われたのは、『君は感じが良すぎる』。

 性格に難があったりプライベートでやんちゃしているような、ちょっと欠陥のある人間の方が俳優としてはむしろ魅力になる。だからあなたは“良い人”であることを矯正したほうがいい、という意味でした」

25歳で「自分らしくあれ」と逆矯正

「10代のときからずっと枠からハミださないようにハミださないようにと、めちゃくちゃ気をつけて生きてきたのに、今度は25歳で突然『自分らしくあれ』と逆矯正を受けてしまったんです。しかもそれを言ったのは何人もの売れっ子タレントを育て上げてきた芸能界の大物。これが呪いとなって1年近く引きずりました」

 スカートが1センチでも短いと怒られ、紺色はNGだけど白ソックスはOK。そんな理不尽なブラック校則でコテンパンに個性を叩き潰された後、社会に出ると一転、「自分らしく」のプレッシャーにさらされる。

 大木さんのいた芸能界のみならず、日本で教育を受けてきた20代、30代なら誰しもがこんな矛盾だらけのシステムに翻弄されてきただけに、身につまされるものがある。

「どこか着飾った自分を見透かされたんだと思います。これまでいた世界を飛び出し、自分に何ができるかを考えたとき、会社員になって、そこでライターとして死に物狂いで働きました。一時再起不能なまでにメンタルが追い込まれましたが……」

 10代の頃から大人の顔色を窺い続けてきた大木さんは、すべてをなくし底つきをしてはじめて、彼らのまなざしを跳ね返すことになる。

写真=末永裕樹/文藝春秋

おおき・あきこ/ライター。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で女優デビュー。数々のドラマ・映画に出演後、2010年、秋元康氏プロデュースSDN48として活動。その後、タレント活動と並行し、ライター業を開始。2015年、しらべぇ編集部に入社。2018年、フリーランスライターとして独立。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』。

「結婚、彼氏は?年収は?」の呪縛…30歳元アイドルが小日向文世似おっさんと“同居生活”で蘇るまで へ続く

(小泉 なつみ)