日本と似てるようで似てない?メキシコに在るサッカーと日常
文 星野智幸
メキシコ人とは体型もパスサッカー主体というスタイルも似ているので、日本の目指すべき一つの手本はメキシコのサッカーだ、としばしば言われ、実際に日本代表監督に元メキシコ代表監督のハビエル・アギーレが就任したりもした(サッカー以外の事情で交代を余儀なくされたのは残念だったけれど)。
しかし、メキシコのリーグをスタジアムで見ると、この比較にはあまり意味がないことを実感する。メキシコのサッカーは日本と似ていない。サッカーはおろか、日常の文化が違い過ぎるのだ。
意外なことに、メキシコのリーグ戦を見に行っても、Jリーグほど観客は来ていない。一部の人気あるチームはそこそこ入るが、他はけっこう空席が目立つ。10年以上前に、まだ強豪ではなかったモンテレイの試合を、ビッグクラブであるクラブ・アメリカのホーム、アステカ・スタジアムに見に行ったことがあったが、10万人収容の会場の1階席ホームスタンド側にのみ、ちょびっと観客がいるだけ。数千人程度だっただろうか。巨大なスタジアムなだけに、寂しい限りだった。同じラテンアメリカでも、国民がサッカーに命を懸けているアルゼンチンのスタジアムの熱狂とは、だいぶ温度差がある。
一番衝撃的だったのは、2年前にクルス・アスルのホームで、対モナルカス・モレリア戦を見に行った時だ。クルス・アスルは圧倒的に攻め、獲得したPKを蹴るのは元メキシコ代表の中盤の要、ヘラルド・トラード。だがトラードがこれを外すと、なんとクルス・アスルのサポーターたちは、トラードがボールを持つたびに激しいブーイングを浴びせ始めたのだ。試合はまだ前半、両チームともスコアレスなのにである。以後、試合終了まで、トラードは自分を応援してくれるはずのファンから、どれほどいいプレーをしようが、ブーイングを浴び続けた。
Jリーグにはあまり存在しない文化だろう。不甲斐ない試合やプレーに時にブーイングが飛ぶことはあるが、Jリーグのサポーターは基本は試合の間は選手とともに戦い、鼓舞するという姿勢でいる。クルス・アスルのサポの八つ当たりにも見えるやや暴力的な厳しさに、メキシコリーグでプレーするのは大変だと感じた。もちろん、このファンの厳しさはヨーロッパにも南米にも共通する環境で、日本の優しさの方が異例なのだが。
元来が陽気で能天気なメキシコのサッカーファンは、その多彩で愉快な応援とバリエーション豊かな扮装で盛り上げるのがとても上手いけれど、諦めるのも早い。諦めたとたん、苛烈なダメ出しが始まる。そして物を食う。メキシコの観客は試合の間中、食べ続ける。売り子も観戦の邪魔になるほど大量にうろうろしている。
要するに、メキシコサッカーは、その過剰なまでの重圧が通常の環境だということである。容赦のない観客に囲まれて、平常心でプレーできる図太さが、メキシコのサッカー選手の標準なのである。
この図太さ、落ち着きが、メキシコサッカーのベースとなる。スタジアムで見ていて、Jリーグとの違いを思い知らされるのが、タイトなプレスをかけられている時のプレーの質である。どんなに敵が厳しく迫ってきていても、慌ててボールを失うことは少ない。そして、相手を出し抜くプレーでかわす。メキシコではこの相手を出し抜く態度が、日常の文化となっている。人をからかうのが好きというか。
私がブラジルW杯の日本対コートジボワール戦を見に行った時のこと。メキシコ代表のシャツを着たメキシコ人の一団もなぜか観戦していて、日本の観客にいたずらを仕掛けた。メキシコには、敵のキーパーのゴールキックの際に「プート!」と罵声を浴びせる応援があるのだが(この言葉の差別性がその後問題になったが、今でもメキシコ人はやめない)、近くにいた日本人たちにこの応援を教えたのだ。ただし、自チームのキーパーのキックの時に叫ぶ、と嘘を教えて。何も知らない日本の観客は川島が蹴るたびに楽しげに「プート!」と唱和し、それをメキシコ人たちが爆笑するということが繰り返された。私は不快だったので、ハーフタイムにメキシコ人たちに「いたずらの限度を超えてるだろ」と言ったら、「いやあ、あいつら間違って覚えちゃったもんだから、これから訂正しようと思ってるんだよ」とバツが悪そうに言い訳した。このあたりは無邪気で子どもっぽい。
街の公園に行くとたいてい、金網で囲まれコンクリートで固められた小さな多目的コートがある。空いていれば、誰でもミニサッカーやバスケをしてよい。コンクリートはでこぼこで、そんな固い地面でサッカーをしたら数回で足を痛めるようなコートだが、そこで街の人はよくサッカーをしている。若者が多いが、中年のおじさんや子どもも混ざっている光景もしばしば見かける。
初めて見た時は、下手だなと思った。日本でフットサルをする巷の人たちの方が、上手いし慣れている。ところが、見ているうちに、その感想が間違っていることに気づいた。確かにテクニックはない。組織的にスペースを作ったり使ったりもあまりできない。けれど、1対1の駆け引きはものすごく長けているのだ。相手が出れば引き、引けば出る。とにかく相手の動きをよく見ているし、予測能力が高い。経験値も高いのだろう。股抜きなどに成功すると、必ず相手をあざ笑う。そして、サボっているようで、実はすごく動く。無駄に動いていないのである。みんな小太りで、あんなでこぼこのコンクリートコートで、あまりサッカーっぽく見えないぎこちない仕草ながら、結果的に見れば敵に取られないトラップをして、相手の裏をかくようにパスを出したり抜いたりしている。ストリートサッカーをしているブラジル人などを映像で見ると、見るからに達者だが、メキシコのストリートサッカーは、まるで上手く見えないのに、よくよく観察するととてもサッカーになっているのだ。
これがメキシコのパスサッカーの基礎を作っていると思う。日本のパスサッカーは、駆け引きに弱い。日頃の重圧も少ないから、ここぞという局面で正確さを失うことが多い。メキシコのパスサッカーは、メキシコの文化の中で生まれてきた、叩き上げのスタイルなのである。
裏をかくのが好きなのは、複雑な屈折を表してもいる。相手をからかうややねじれたこの気質は、自分に向かうと自虐のギャグとして発揮される。実はメキシコ人が最も得意とするのは、陰に別の意味を含めたアイロニックな笑いである。メキシコで最も人気のあるチームの一つ、プーマスの調子が悪く、メディアで子猫扱いされていた時(「プーマ」とは豹の一種の「ピューマ」のこと)、ホームでの試合は、自分たちを猫になぞらえた自虐的な文言があれこれ書かれたTシャツを着たサポーターだらけだった。クルス・アスルのサポーターが自チームのトラードをブーイングし続けたのも、自虐の一種だろう。この屈折したアイロニーは時に、強権的で腐敗して暴力的な政府を批判するときも発揮される。
ルチャ・リブレもそうだが、駆け引きの連続は、ショウとしても最高に面白い。ぜひ現地で生で見てほしい。ただし治安にだけは気をつけて。
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