「貯金5000万円で“老後は勝ち組”のはずだった」大手商社を退職、住宅ローン完済の69歳男性がカン違いしていた“老後資金の盲点”
◆十分な老後に忍び寄った異変
神奈川県横浜市在住の佐藤義雄さん(仮名・69歳)は、苦笑しながらそう振り返る。
大手商社を定年退職後、再雇用は選ばなかった。若い頃から堅実に働き、住宅ローンも60代前半で完済。退職金の大半には手をつけず、企業年金を含めた月の収入は夫婦合計で28万円。預貯金は5100万円あった。
世間では「老後2000万円問題」が騒がれていたが、義雄さんにとっては“別世界の話”だった。
「旅行も外食も我慢しなくていいし、子どもたちにも迷惑はかけない。少なくとも、お金のことで老後に困ることはないと思っていました」
実際、暮らしは穏やかだった。月に数回は夫婦で外食し、年に一度は国内旅行へ出かける。長女夫婦の子どもが遊びに来れば、少し多めに小遣いを渡す。スーパーで値札を見てためらうこともない。長年働いてきたご褒美のような、静かな老後だった。
その前提が崩れたのは、67歳の冬だ。
朝、洗面所から大きな物音がした。駆けつけると、妻が床に倒れていた。声をかけても反応が鈍く、救急車で搬送された先で告げられた病名は、くも膜下出血。一命は取り留めたものの、後遺症が残る可能性が高く、退院後も長期のリハビリが必要だと言われた。
「先生の説明を聞いているときは、頭が真っ白でした。助かってよかったという気持ちと、これからどうなるのかという不安が、一気に押し寄せてきました」
入院中は高額療養費制度もあり、思ったほど医療費は膨らまなかった。だが、本当の負担は退院後に始まった。
築30年近い自宅は2階建てで、浴室にも玄関にも段差が多い。妻が安全に暮らすには、手すりの設置、段差の解消、引き戸への変更、1階だけで生活できるよう和室の改修も必要だった。見積額は総額380万円。介護保険で一部は補助されるとはいえ、焼け石に水だった。
さらに介護タクシーと通院費用で月12万円前後。紙おむつや介護用品、配食サービスなどの細かい出費も積み重なった。以前は夫婦の生活費が月20万円台で収まっていたのに、気づけば毎月の支出は年金収入を大きく上回るようになっていた。
◆想定外だった介護と認知低下
追い打ちをかけたのが、認知機能の低下だった。退院後しばらくして、妻は昨日の会話を覚えていないことが増えた。義雄さんが「今日、病院だよ」と言っても、「そんなの聞いてない」と怒り出す。夜中に突然、「会社に遅れる」と着替え始めたこともあった。
施設入居も頭をよぎり、夫婦で見学に回り始めたが、そこで突きつけられたのが現実だった。入居一時金は500万〜800万円。月額利用料も決して安くはない。
「2000万円じゃ全然足りない。いや、5000万円あっても、こういうことが起きると安心なんてできないんだと思い知らされました」
それでも義雄さんが本当にこたえたのは、通帳の残高ではなかった。ある日、病院の待合室で妻がふいにこう言ったという。
「あなた、どちらさまでしたっけ」
冗談かと思った。だが、妻の目は本気で戸惑っていた。その瞬間、義雄さんは老後の前提がすべて消えた気がした。
「お金が減るのももちろん怖い。でも、それよりつらかったのは、妻の顔つきや話し方が、少しずつ別人みたいに変わっていくことでした」
