「木箱から見つかったのは5体の死んだ赤ちゃん」169人が死んでいた⋯逮捕してわかった、資産家夫婦の【恐るべき貰い子ビジネス】(昭和23年の事件)
昭和23年、職務質問された男の木箱から、おむつに包まれた5体の乳児遺体が発見される。捜査で浮上したのは、助産師界の第一人者である妻と元警察官の夫が営む産院だった。
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169人もの命を奪った、凄惨極まりない「貰い子ビジネス」とは――。鉄人社の文庫新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)

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木箱から出てきたのは5体の乳児遺体
1948年(昭和23年)1月12日19時半ごろ、東京都新宿区弁天町の路上を見回り中の警視庁早稲田警察署(現・牛込警察署)の巡査2人が、自転車に乗る1人の男を職務質問した。
荷台にみかんの絵が描かれた木箱が4つ積まれており、その中身を尋ねても曖昧な答しか返ってこない。
巡査らは全ての木箱を開けるよう要求。渋々男が応じて開けられたそこには、ニットのシャツとおむつに包まれた乳児の遺体が5体入っていた。
巡査が問い詰めたところ、男は葬儀屋で、同区市谷柳町の「寿産院」から遺体の火葬を頼まれ同区榎町の自宅に運ぶ途中だという。
男が言うには、その産院からの依頼は昨年8月に始まり、これまで30体以上を火葬してきたそうだ。巡査は不審に感じつつも、男が埋葬許可書を保持していたことから、そのまま帰宅させる。
しかし、報告を受けた早稲田署の署長は即座に事件性を疑う。いくら食糧難のご時世とはいえ、30人以上の乳児が死亡とはただごとではない。署長は翌日、葬儀屋のもとに捜査員を派遣。死因を調査するために遺体の処置を待つよう指示するとともに、検察庁にも手配し国立東京第一病院にて司法解剖を行った。
結果、3体は餓死、2体は凍死で、胃袋に食物の入った形跡がないことが判明。
同署は殺人の不作為犯とみて令状を請求し、15日早朝に寿産院院長の石川ミユキ(同52歳)と夫の石川猛(同55歳)および葬儀屋の男を逮捕する。
その後、取り調べと捜査によって明らかになったのは、日本の犯罪史でも稀に見る乳児の大量殺人と、悪質極まりない貰い子ビジネスの実態だった。
犯人は「助産師界の第一人者」
本件の主犯格である石川(旧姓:小丸)ミユキは1897年(明治30年)、宮崎県で生まれた。県立職業学校を卒業後、18歳で上京し東京帝国大学(現・東京大学)病院付属産婆講習科に入学。当時の女性としては注目に値すべき高学歴だ。
1919年(大正8年)に内務省指定校である同院を卒業したため、無試験で産婆(助産師)の資格を取得し、以降20年以上にわたり産院を経営。1942年4月の東京大空襲前に寿産院を開業した。逮捕当時の肩書は日本助産婦看護婦保健婦協会理事、東京都助産婦会牛込支部長および牛込助産婦会会長。
1947年の『婦人年鑑』においては助産師界の第一人者の一人として紹介されており、同年4月には発足からまもない新宿区の区会議員選挙に無所属で立候補し、落選している。
一方、夫の猛は1894年茨城県生まれ。農学校を2年で中退し、18歳で兵役に志願し、憲兵軍曹で除隊した。警視庁巡査となった1919年、26歳のときに3歳下のミユキと結婚し、谷中署、王子署などに勤務後、1926年に退職。
以降は定職に就かずに妻の事業を手伝うようになる。ちなみに、夫妻の間に実子はなく、家庭は猛と先妻の間の息子および養子3人(男2人・女1人)の6人暮らし。傍からは裕福な一家に映っていた。
優れた助産技術を持つミユキの産院には、多くの女性助産師が集まった。しかし、実際にミユキの働きぶりを目にした彼女たちは、ほどなく「鬼産婆」のあだ名で院長のことを噂するようになる。その名の由来は、ミユキが1943年から始めた一つの事業に起因していた。
親にとって不都合な子供たち
主に未婚の男女の間に生まれ、始末に困る私生児を預かって寿産院で養育し、子供を欲しがる者に引き渡す貰い子ビジネス(特殊産院)だ。現代で言うところの、特別養子縁組の斡旋である。
戦争中だったこの当時、人口の増強を目的に政府も推進していた事業だが、その背景には一つの刑法の存在があった。人工妊娠中絶を罰する堕胎罪で、これを犯した者(妊婦本人や医師、助産師など)は3ヶ月以上7年以下の懲役に処せられることになっていた。
そのため不倫関係でできた子供や父親不明の私生児は、出産後に闇に葬られるケースも少なくなかった。
こうした悲劇を防ぐため、育てられない子供を一定の金額で貰い受け、実の親に代わって養育するのが特殊産院で、当時は戦争未亡人、ダンサー、女給、娼婦などに多くの需要があった。
〈《懲役は⋯》「死ぬのは当然でしょう」赤ちゃん169人を死亡させても「親が悪い」と責任転嫁⋯貰い子ビジネスで大富豪になった『夫婦のその後』(昭和23年の事件)〉へ続く
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))
