「スー・チーさんは本当に生きているの…?」AI疑惑も浮上する“5年ぶり写真”にミャンマー国民の動揺
2021年の国軍クーデターで民主政権が倒されてから5年。拘束され続けてきたアウン・サン・スー・チー氏(80)の写真を、国軍主導政権が突然公表した。ところが、その写真を見た市民の間では「本当に本人なのか」「今も存命なのか」という疑念が広がっている。旅行作家の下川裕治氏がレポートする。
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【画像】AI疑惑が高まると、どこからか新たな「スー・チー氏」の画像が拡散…これにもフェイクが指摘されている
ミャンマーの国軍主導政権は、4月30日、唐突に受刑者への恩赦を発表した。釈放されたのは1519人。そこにはオンライン詐欺で逮捕された外国人11人も含まれていた。
カソン満月の恩赦と政権は説明した。カソン満月とはミャンマーの仏教で仏陀にちなんだ大切な日だが、恩赦の機会として知られているわけではない。しかも2週間前には、ミャンマーの新年にあたるティンジャンの恩赦が行われたばかりだった。市民の多くが不審を抱いたが、それにつづく政権の発表に、事情を察した市民も多かったはずだ。それは、民主政権を主導してきたアウン・サン・スー・チー氏を刑務所から住居軟禁に移すというものだった。同時にスー・チー氏が警察幹部らと話をする写真も公表された。

写真はふたりのミャンマー警察幹部を前に、木製のベンチに座るスー・チー氏をとらえたもの。表情は柔らかい。この1枚の写真をめぐり、いま、ミャンマーは揺れている。
住居軟禁の発表に先立ち、政権トップのミンアウンフラインは、タイのシハサック副首相兼外相、中国の王毅外相と会っていた。現地メディアは、政権の対応は両氏からスー・チー氏の処遇改善を求められたことによるものと分析している。ミンアウンフラインにしても、国軍主導とはいえ、選挙を経て成立した“正常な”政権であることを世界にアピールするいい機会と考えたはずだ。
息子は「2022年に撮影されたもの」と…
2021年のクーデターでスー・チー氏は拘束された。その後の裁判で、33年の禁固刑が言い渡されていた。最後に撮影されたスー・チー氏の公式写真はこの時のものだった。国連、アメリカ、日本やアセアンはスー・チー氏の処遇改善や釈放を求めていた。息子のキム・アリス氏は、スー・チー氏の生存確認を求めつづけていた。
実際、拘束以来、スー・チー氏の動向はほとんど発表されていない。どこに収監されているのかもわからず、弁護団は、2023年以降、スー・チー氏とは会えていないと発表している。健康状態はたまに現地メディアに流れた。歯の治療を望んでいるが、投薬しか認められない……など。しかしそれらは、弁護団が刑務所に手紙を渡し、その返信の内容が現地メディアに伝わったものだった。
しかし今回、公表された写真には、一見、元気そうに話す姿が映しだされていた。口元は穏やかに微笑んでいるかのようだ。
しかしこの写真を目にした市民の多くは、生成AIを使ったディープフェイクではないかと疑った。市民の間では、スー・チー氏はすでに死亡しているという話が広まっているからだ。
息子のキム・アリス氏は英BBCに対し、「この写真は2022年のもの」との見方を示した。
“稚拙なAI”とされたポイントは
ミャンマー内では、生成AIに詳しい若者たちの解析がはじまった。
「膝の上にズームインすると、指が溶けたようにくっついていて、明確な関節や構造がない」
「警察の肩のパッチの文字間隔にエラーがあります。『Police』が『Polic e』になっている」
“国軍の生成AI技術の稚拙さ”を指摘し、鬼の首をとったような勢いの投稿があふれはじめる。
この状況を打ち消そうとしたのか、新たな画像がSNS上に出てきた。出所が不明だが、スー・チー氏が警察幹部と会っている別アングルのもので、防犯カメラ(CCTV)の動画をスクリーンショットで撮ったもののようだ。これに対してもAI疑惑が広まっている。
スー・チー氏は存命なのか──。その真偽はなかなか判然としない。
国軍の狙い通り? ヤンゴン市民の意外な反応
ヤンゴンで市民の声を聞いてみた。国軍の弾圧や民主派・少数民族軍と国軍の内戦に無関心だという女性のMさん(21)はこういう。
「えッ、スー・チーさんは生きていたんですか。最近はまったく目にしないから、もう亡くなったと思ってました。高齢ですし」
市内で茶店を営むMさん(55)も、「存命だったんですか。住居軟禁……それはよかった。刑務所の環境は劣悪ですから」といった反応だった。
市民は意外なほど冷淡だった。かつて、クーデターに抗議する市民はスー・チー氏の顔写真を掲げて路上デモの隊列を組んだ。彼女は民主化のカリスマだった。その熱は冷め、存在感も薄くなっていた。クーデターから5年、スー・チー氏の動向はほとんど知らされないなかで、民主化の象徴は風化しつつあるのだろうか。それが国軍の狙いだったということか。
しかしスー・チー氏の動向を気にかけていた市民もいる。雑貨屋を営むAさん(50)は、政権の発表の裏を読もうとする。
「スー・チー氏は存命だと思っていました。しかし4月中旬のティンジャンの恩赦のとき、悪い予感がしたんです。この恩赦では、クーデター時に民主化政権の大統領だったウィン・ミン氏が釈放されたんです。スー・チー氏も刑期が短くなったと聞きましたが、まったく詳細がわからない。ひょっとしたらって……。心臓が悪いっていう話でしたし。だからスー・チー氏には触れなかった。今回は中国やタイなどの圧力もあって、生きていたときの写真を公表したんじゃないかって」
その後、中国の王毅外相は、スー・チー氏と実際に面会したという未確認情報が独立系メディアから報じられた。これについてもAさんは訝し気だ。
「情報の出方がなにか変なんです。タイミングがね。死亡しているという噂をなんとか抑えようとしているっていうか……」
存命は濃厚だが…
民主派独立系メディアのなかでは信頼度が高い「イラワジ」は、5月2日、「写真は本物である可能性が高い」との調査結果を発表した。同席している警察の幹部の名前も公表している。現地のアナリストはこういう。
「情報を集めると、スー・チー氏は生きている可能性が高い。ただなぜ、政権側はもっと堂々とスー・チー氏の姿を公表しないのか疑問が残ります。すでに寝たきりの状態になっていることも考えられます。また住居軟禁といっても、彼女のヤンゴンの家は競売にかけられているから自宅はありません」
現在のスー・チー氏の軟禁場所については、少しずつ情報が出てきている。国軍はネピドーの高い塀に囲まれた軍幹部居住区に家を新築したとしており、スー・チー氏は「塗装のにおいがきつい」と漏らしているという話も。ただし例のごとくこの情報がどこから出たものなのかは不明で、疑う市民は多い。
5月3日、弁護団は政権に面会を求めたが会うことはできず、いままで通り、手紙を渡すことしかできなかったと発表した。
下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954(昭和29)年、長野県生れ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』でデビュー。『ホテルバンコクにようこそ』『新・バンコク探検』『5万4千円でアジア大横断』『格安エアラインで世界一周』『愛蔵と泡盛酒場「山原船」物語』『世界最悪の鉄道旅行ユーラシア横断2万キロ』『沖縄の離島 路線バスの旅』『コロナ禍を旅する』など、アジアと旅に関する著書多数。『南の島の甲子園―八重山商工の夏』でミズノスポーツライター賞最優秀賞。近著に『僕はこんなふうに旅をしてきた』(朝日文庫)。
デイリー新潮編集部
