芸能生活20周年を迎えた佐々木希が語る、逃げ出したくなったこともあるほど辛かった新人時代に救われた先輩の言葉

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2026年でデビュー20周年を迎えた佐々木希さん。待機作も複数控えており、ドラマ、映画、CM、ブランドプロデュース業にとますます精力的に活動している。「自信がなかった私が20年も続けてこられたなんて感慨深い」と芸能生活20周年を振り返る。今回は、秋田でのびのびと育った佐々木さんが、「まさか自分が!?」と驚きの早さで決まった芸能界デビューから上京したてまでのはじまりの物語をお伝えする。

バイト先での出会いがデビューのきっかけに

佐々木さんが芸能界に入ったきっかけは、ショップ店員時代。偶然、秋田を訪れていた『ヤングジャンプ』の編集者に声をかけられたのは、あまりにも有名な話だ。

「街角スナップの撮影だったのですが、最初は恥ずかしくて『写真なんて無理!』と断っていました。でもアルバイト先の店長が背中を押してくれて(笑)。その時の写真が、『ギャルコンJAPAN』に掲載され、初代グランプリに選ばれました。あの時は『まさか自分が(掲載されるなんて)!』と驚きました」

グランプリを機に『ヤングジャンプ』のグラビアでデビュー。「緊張してうまく笑顔になれなかった」というハワイロケの写真が誌面に掲載されると、編集部には芸能事務所からの問い合わせが殺到。その数はなんと十数社にのぼったという。事務所各社と面談し、現在の事務所に所属することを決めた佐々木さん。選んだ理由は空気感だった。

「所属タレントのコラボグッズなどを持ってきて自社の説明をしてくれて、そのアットホームな雰囲気が安心できたんです。一番自然体でいられそうな事務所だなと思いました。所属が決まった後も、アルバイトは最後までやりきりたくて、上京を待ってもらうなど、寄り添ってくれたところもありがたかったです」

一方で、あまりにもトントン拍子に進むデビュー、そして上京することにもなり気持ちが追いつかない部分もあった。

「正直、芸能界に強い憧れがあったわけではなくて、“せっかくだから行ってみようかな”くらいの気持ちだったので、事務所や編集部まわりの方の熱意とは若干の温度差を感じていました。いつもそばにいてくれた幼馴染の親友は、刻々と変化する私の周囲の状況を知りながらも見守っていてくれて。うちの兄たちは、軽い反応でした。唯一、うちの母は、『うちの希が!? 希が決めたなら行ってきなさい』と心配をしつつも、盛り上がっていたようです(笑)」

上京前夜にうれしいサプライズが待っていた

そして、ついに上京が決まった18歳のある日。出発前夜にうれしいサプライズが。

「いつものように遊ぶ約束をしていた友達に急に目隠しをされて、そのまま車で移動することに。『なに、どこ行くの?』なんて会話をしながら着いたのが浜辺でした。目隠しを外すと、そこには友人たちがサプライズで集まっていて、もう涙、涙でした。みんなでバーベキューをするなど、盛大に見送ってもらいました」

その翌日、まだ興奮が冷めやらぬまま、母と一緒に飛行機に乗って東京へ。芸能界デビューを果たす。

その後、『ヤングジャンプ』と同じ出版社のファッション誌『PINKY』のモデルオーディションで見事グランプリを獲得。2006年にモデルデビュー。華々しいスタートの一方で、上京したての生活は、決して余裕のあるものではなかったという。

「駆け出しの1、2年は本当にお金がなくて。母にお米を送ってもらったり、100円ショップのわかめスープやはるさめでやりくりしていました。さらに当時困っていたのは私服企画です。新しい洋服を何着も買える余裕はなかったので、古着屋さんで揃えることもありました」

また、10代の一人暮らしということもあり、事務所が設定した門限もあった。

「18歳の頃は21時、19歳は22時までに帰って、必ず家の電話からマネージャーさんに『帰りました』という報告をするというルールがありました。一度、縛られるのが嫌になってしまって何日か忘れましたが、たしか3日ほど電話をしなかった時がありました。すると、マネージャーさんから『連絡が取れないなら警察を呼ぶけどいいの?』というメッセージが入って、慌てて電話して謝りました。マネージャーさんの方が一枚上手でしたね(笑)」

慣れないモデル業で、心を救われた言葉

駆け出し時代からお世話になった『PINKY』は、佐々木さんにとって“イチから育ててくれた場所”だという。

「ポージングの仕方など基礎から教わりました。美容室に連れて行っていただいて、ヘアチェンジなどもやっていただきました。私は体型にコンプレックスがあるし、元から華奢な人には敵わないと思いながらも、食事を工夫して体型を維持していました」

また、いかに多くの服を着られるか、いいページに出られるか、みんなが良きライバルとして切磋琢磨する環境にも圧倒されたという。

「モデル同士の輪の中にうまくなじむことができず、殻にこもってしまっていたこともありました。その当時は自分のスタンスにも悩んでいました」

そんな時、救いとなったのが先輩モデルの言葉だった。

「ある日、鈴木えみさんと一緒の撮影で、ふたりきりになった瞬間に『みんなの輪になじむことができず、どうしたらいいですか』と相談したら、『そんなこと気にしなくていいよ!』と言ってくださって。その言葉が大きく響いて、心のもやもやが吹き飛びました」

ケツメイシの『東京』を聞いて号泣した日

想像していた芸能界と自分の生活とのギャップ、母親のいない日常、さらに人の多さや東京のスピード感に慣れない自分に対し、ストレスを感じる日々だった。

「体調を崩したり、全身にじんましんが出たりすることもありました。家事もすべて一人で行うのは初めてで、慣れない東京生活でとにかく寂しくて。幼馴染の親友や、母と毎日電話をしていました。

ある日、ホームシックになりすぎて、神奈川にいた二番目の兄に会いに行き、泣いたこともあります。佐々木家では辛いことがあると、兄たちがギターを弾いてくれたり、みんなで音楽を聴いたりするのが定番で。その時、兄の家で聴いたケツメイシさんの『東京』が胸に刺さりました。慣れない東京暮らしの中で、兄たちが近くにいることはとても心強かったです」

次回の連載は、5月20日更新予定。活躍の場が広がるにつれ、大きくなっていく葛藤。壁にぶつかりながらも一歩ずつ前へ進んだ軌跡に迫る。

【スタッフ】

撮影/森脇裕介 ヘアメイク/犬木 愛 取材・文/佐藤美穂

【佐々木さん着用衣装・問い合わせ先】

ワンピース¥25300(税込)/アンティミテ

アンティミテ 03-6801-6096 https://www.intimite.jp/

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