厩務員としての“パドックデビュー”は4月25日(土)東京10レースの予定

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 1978年に調教助手として競馬界に入り、1989年に調教師免許を取得。以来、アパパネ、アーモンドアイという2頭の三冠牝馬を育てた名調教師・国枝栄氏。今年2月に定年を迎えた氏が、華やかで波乱に満ちた48年の競馬人生を振り返りつつ、サラブレッドという動物の魅力を綴るコラム連載「人間万事塞翁が競馬」。引退後に厩務員(ヘルパー)として第二の人生を送るという異例ともいえる決断をした氏だが、調教師時代とはどんな違いがあるのか。

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 調教師として最後の競馬開催が終わった翌日の謝恩会では「残りの人生は自分らしく競馬に携わっていきたい」と挨拶した。それはヘルパーの厩務員として日々馬の世話をすることだったわけだ。

 私を受け入れてくれることになったのが今年で開業23年目の小島茂之厩舎。ブラックエンブレムとクィーンスプマンテでGIを勝っており、最近ではオニャンコポンが活躍している。小島調教師は今年58歳、GIを勝ったりすると、お祝いの品を送ってくれるような奇特な人柄。かつて私が始めた「栗東留学」に早い時期から取り組んだ調教師でもある。

 先輩ということで相談されることはあるかもしれないけれど、調教方針やローテーションなどを決めるのはあくまで調教師。厩務員としては調教師の指示に従いながら、担当馬と会話をし、馬が心地いいように工夫もして世話をすることを第一に考える。それで檜舞台に行って結果が出れば、考えていたことは間違っていなかったのだなと思う。よしんば結果が出なくても、あのやり方ではダメだというのが分かる。自分でその感触を把握できるのが新鮮だし、厩務員でなければわからなかったこともあるだろう。自分の仕事をやるだけではなく、厩舎の一員としても協力していくつもりだ。

 ヘルパーは非正規雇用なので日給制、報酬は世間相場と大きくは変わらない。だが、担当の馬がレースで結果を出せば賞金の5%が「進上金」としていただける。自分がやった仕事で結果が出ればその分の報酬を得られるというのはすごく魅力的だ。

 調教師はいい馬をつくるためにはこうすべきだと思っていても、従業員を介してやらなければいけなかった。時にはその従業員が調教師の考えを理解していなかったこともある。また従業員から「この馬は怖がりな性格だ」と言われても、自分ではっきり確信したわけではないのに、報告に従って調教メニューを考えたりしていた。そういう意味で調教師というのはダイレクトに馬とふれ合うことができないといった思いがあった。

 気楽な立場になったと言っても、一応調教師だったので下手なことはできない。あらためて動物学的な本を読んだり、厩務員に基本的なことを教えてもらったりした。

 それでも厩舎によって勝手は違う。新しい職場では小学校の1年生みたいなもので、作業の段取りに慣れるまでは1か月ぐらいかかりそうだよ。

 私の担当馬は6歳牡馬で3勝クラスのトクシーカイザー。キンシャサノキセキ産駒でダート中心、前走は3か月ぶりのレースで3着に頑張った。もう1頭は近く入厩するナダル産駒の2歳牡馬トゥザファイナル。新しい環境に慣れさせるよう、いろいろ考えなければいけないな。

 毎日が楽しみでモチベーションは高いけど、その分プレッシャーもある。おたおたしていたら「口ばっかりじゃないか」とか、馬に引っ張られたりして「なんだやっぱりじじいだな」なんて思われたら、使ってくれた調教師にも申し訳ないからね。

※週刊ポスト2026年5月1日号