あの時、病院は…

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10年前のあのとき、医療現場は、一体どのような状況だったのでしょうか。
熊本市南区の済生会熊本病院に残っていた熊本地震の記録です。VTRの中で緊急地震速報の音声が流れます。

「余震!余震!」

2度の大地震。あのとき、病院は。スタッフ全員が被害者。それでも、医療を止めなかった。

2016年4月14日。

■中尾浩一院長(当時・副院長)
「9時26分だったんですかね。ちょっとこれはひどいなという感じがした」

当時、済生会熊本病院(熊本市南区)の副院長だった中尾浩一院長。自宅から、病院へと向かった。

■中尾浩一院長
「うちは災害拠点病院という病院に指定されていて、震災が起こった時には災害体制の対応を優先すると義務付けられている」

24時間体制で被災地域の患者を受け入れなければならない。

■宮下恵里さん(当時・看護部長)
「9分後には災害の対策本部ができていたんですね」

当時、看護部長だった宮下恵里さん。災害対策本部の一員として指揮をとった。

■宮下恵里さん
「前震から29分後に(トリアージ)ブースも立ち上がっていた」

トリアージ。災害時に用いられ、患者の状態に応じて治療の優先順位を決める。発生は夜。屋外に設置予定だった軽症患者のブースは寒さを考慮し、院内へ。中等症、重症の患者は、中央ロビーに設けられたブースで対応にあたった。

「余震注意!余震注意!頭隠して!」

余震のたびに手が止まり、安全の確保が難しいと判断。予定されていた手術はすべて中止された。このとき、600人を超えるスタッフが自主的に出勤。それぞれの持ち場で、次の態勢を模索していた。

■宮下恵里さん
「いまの人たちでできる形を考えてもらって、余分にずっと起きたままにしない

仮眠室が設けられ、当番制に切り替わった。その後、災害対策本部とトリアージブースは縮小された。

■宮下恵里さん
「これ以上大きな地震が起こらないならいいなと思いながら帰った」

誰もが収束に向かうと思っていた。

■前原潤一医師(当時・救命救急センター長)
「(前震時)2回目のまさかを経験したというのが…」

救命救急センター長を務める前原潤一医師。前震の時から救急外来で患者の治療にあたっていた。想定を超える2度目の大地震。その直後、病院は停電。さらに水道設備も破損。受水槽は2槽から1槽へ。混乱の中、本震から、わずか5分。最初のケガ人が…。

■中尾浩一院長
「最初の前震よりはるかに多い患者さんが来たような気がする」

発生から35分後、再びトリアージブースを設置。県内では、被災により受け入れ不能となる病院が続出。患者は、済生会へと集中していった。

■前原潤一医師
「やるしかないのでですね。できる範囲の所を対応するというようなのがスタッフの動きだった」

スタッフ全員が被災者。それでも、医療を止めなかった。スタッフ一丸となり、24時間体制を維持。受け入れた患者は、14日と15日で189人。16日は321人。通常の6倍にのぼった。あの日、現場にいた一人ひとりの判断が、多くの命をつないだ。

■中尾浩一院長
「当院もそういった災害なり、起こりうることに関してトレーニングをしていますから、そういったことがただのトレーニングで終わらずに、身体に覚え込んで反射神経で動けるような、そういった病院にしたい」

経験は、次の世代へ。