●ツッコミどころ満載だったテレビ黄金期
反町隆史、大森南朋、津田健次郎のトリプル主演で、“こんなはずじゃなかった”大人たちの再会と再生を描いた「1988青春回収ヒューマンコメディ」のフジテレビ系ドラマ『ラムネモンキー』(毎週水曜22:00〜 ※TVer、FODで配信/FODで次話先行配信)の第8話が、4日に放送された。

ゲスト出演した水野美紀のアクションが見られた贅沢な物語の分析とともに、俳優・反町隆史の魅力まで、考察してみたい。

反町隆史

○【第8話あらすじ】ついに、No.12のビデオテープが…!

マチルダこと宮下未散(木竜麻生)の殺害を依頼した「トレンディさん」こと望月は、映画研究部のNo.12のビデオテープを探していたようだ。そのテープには「黒江の婆さん」の家で撮った決闘シーンが映っているという。吉井雄太(反町)たちは、黒江の婆さんの孫であり映研の4人目の部員である黒江恵子の記憶をたどる。

決闘シーンの撮影場所を探していた3人に、マチルダは黒江の家を提案する。気が進まない3人だが、婆さんは一同を家に招き入れる。ピアノが弾ける恵子は映画の音楽を担当することになった上、出演もすることに。しかし数日後、黒江の家は全焼し、婆さんは亡くなった。その後、恵子は親戚に引き取られて転校していったのだった。

手分けして恵子を探そうと話す雄太に、藤巻肇(大森)と菊原紀介(津田)は家に帰って家族と向き合うよう諭す。久々に帰宅した雄太は、妻の絵美(野波麻帆)や娘の綾(三浦舞華)のために懸命に家事をする。

大みそかに西野白馬(福本莉子)が働くカフェに集まった3人は、マチルダが消えた37年前の大みそかに思いを馳せる。最後にマチルダと高台で会った後、夜に部室に行った3人は、映研のプレートの裏にマチルダが描いたイラストと「上を向いてガンバレ!」というメッセージを見つけたのだった。

年が明けたある日、白馬は恵子の情報を調べ上げていた。それを聞いた雄太たちはついに彼女に会いに行くことに。最初は3人を忘れていた黒江恵子(水野美紀)だったが、カンフーの動きをしているうちに記憶が蘇ってくる。そして、恵子がNo.12のビデオテープをこっそりマチルダに渡したことも。

映研プレート裏の「上を向いてガンバレ!」が何かの書き置きじゃなないかと推測した雄太は、元映研部室の天井を見上げる。そこには天井裏が。そして雄太が発見した紙袋には、No.12のビデオテープが入っていた。

(C)フジテレビ

○観たいものがてんこ盛りだった贅沢な第8話

なんとも盛りだくさんな第8話だった。まず1988年という時代から見れば、当時は確かに「地上げ屋」という存在が問題視されていた。いわば、地主や借地、借地人と交渉して土地の売買契約や物件の立ち退き契約をする業者たちの通称であり、当時はバブルの時代で地価が高騰し続けていたこともあって、これがとにかくお金になった。ゆえに脅迫や暴力、嫌がらせで無理に立ち退かせる業者もおり、劇中にあったようにトラックで玄関に突っ込むというようなトンデモな手法すらも実際にあった。

こうした時代背景に加え、水野演じる恵子の職歴がすごい。ポルトガルのインディーズの歌手となり、引退後ニューヨークへ。作曲家となったが、次にイタリアで家具職人となり、その後は日本で落語家に。そして、群馬の山奥で害獣駆除をしながら自給自足の生活をしていた。肇が「ひとりの人生じゃないだろ」と視聴者目線でツッコんでいたが、意外とこの時代ならあり得る話だ。

この頃は、「一つの職業をコツコツやる」という価値観もいいが、「自由に自分の好きな仕事をその都度やる」という「フリーアルバイター」が最先端の働き方(?)などと喧伝され(後の時代では契約社員が最先端などと言われたりもした)、さまざまな職業を転々とする人たちが多い時代でもあった。ただ恵子のすごいところは、そのすべての職業で「将来を有望された」点であり、中学生時代もピアノの作曲、カンフーのアクションなどをなんなくこなすという、天才肌なところがあった。

あり得ないと思うかもしれない。そこは、肇の言う通り「ひとりの人生じゃないだろう」とツッコむところだ。テレビを見てツッコむ。雄太や肇、紀介の世代はテレビ黄金期であり、テレビなんて、いい意味で「真面目に」観るものではなく、「ツッコミながら」観るものであった。

上岡龍太郎も過去に番組で、「テレビだけがメディアじゃない。つまり、テレビだけが正しいわけじゃない。少数の意見のクレームで萎縮してしまうと、大多数のテレビが面白いと思う層を無視するわけで、その層にウケる番組を作れば面白くなるが、クレームを言う人の言葉を聞いていたらどんどん縮小する」と語っていた。肇のツッコミは、今の時代のアンチテーゼにも映った。

あと何といっても、水野美紀のカンフー、アクションが見られたのもうれしかった。これぞ、まさにゲスト出演。水野の殺陣のうまさに驚がくしたのは映画『千里眼』(2000年)。その後アクション女優のイメージが定着したが、筆者としては当時、志穂美悦子以来と興奮した記憶がある。

そもそもテレビというのは、視聴者が観たいものを見せていくおもちゃ箱みたいな存在だったはずだ。80年代の地上げ屋、ツッコミどころ満載のストーリー展開、そして水野美紀のアクションと、こんな贅沢な時間はなかった。コンプライアンスの厳しい時代の中で、その範囲内での黄金期のテレビへのオマージュ。そんなふうに楽しめた第8話だった。

●表情一つで心情を表現できる俳優へ
今回は、ついに俳優・反町隆史について語っていきたいと思う。反町隆史が出てきた時代。その頃は、木村拓哉、福山雅治、そして竹野内豊と、いわゆる「平成イケメン」豊作の時代だった。

当時の反町は、ほかのスター同様、存在感そのものが武器であった。長身と低音の声、目力の強さ、直線的でストレートな感情表現。演技はいい意味で荒削りであり、その分、「若さの危うさ」「危うさからくる独特の色気」や「反発力」や「勢い」が画面を支配していた。ただ、単なるイケメンだけではなく、『GTO』の鬼塚英吉など、ちょっとダメ男の役も演じており、演技が上手い下手というレベルを超えて、その“体温”で押し切られるほどのパワーを持ち、ゆえにいまだ名作として君臨している。

では現在はどうか。古沢良太氏も今作の取材会で語っていたが、「圧倒的なスター性を持っていたカリスマが年齢を重ねて良い役者になった(円熟した)」という表現がかなり的を射ていると思う。当時は熱さが目立っていたが、今は「抑制の技術」が見られるようになり、視線を落とすだけ、口角を微細に動かすだけで心情が語られる俳優になったように見える。

また若い頃は「強さ」も見られたが、今は「疲労」「諦観」「皮肉」「優しさ」が自然ににじみ出している。これは「内面沈静型」と言い、いわゆるインナーワーク重視をした俳優になったということだ。翻って初期は圧倒的なフィジカル・カリスマである「身体性主導型」。さまざまな意味で別人であり、これぞ俳優の醍醐味とも言える。

特に『ラムネモンキー』では、その成熟度がすごい。相手の呼吸を待つ芝居。セリフを削ぐような演技で、逆に膨らみをもたせる芝居、感情を“残して”、“置いていく”芝居が見られ、これは反町の味のある年輪が見事に表れている。さらには、あれだけ「熱さ」と「強さ」が主体だったのが、「疲れ果て挫折も経験した50代」を体現しており、あの時代のイケメン俳優のなかでも、最も変化が著しい俳優となったのではないだろうか。

○昭和の名優の生き様の片りんが

よく、若者の間で「痛いオジ」とされるおじさんたちの中で、「昔はイケていた」「当時のイケぶりのノリのままでいる」という評価が聞かれるが、反町は、それを潔く「手放した」。手放したと言っても本人だから多少残るのは仕方ないが、この潔さは、彼がやはり“本物の俳優”である証しだと筆者は思う。

過去に、コミック『松田優作物語』などによれば、石原裕次郎はこう言った。「視聴者も自分と同じように年齢を重ねていく。その時に自分だけ若者でいてもファンから遠ざかるだけ。ファンとともに年を重ねていく自分を見せ、ともに歩んでいきたい」と。そしてむしろその潔さ、若者のカリスマから『太陽にほえろ!』のボス役で見せたような父親のような姿を見せることで、さらなる人気を博した。決して褒め殺しをするわけではないが、筆者は反町隆史に、その石原裕次郎の生き様の片りんを感じている。













(C)フジテレビ

衣輪晋一 きぬわ しんいち メディア研究家。インドネシアでボランティア後に帰国。雑誌「TVガイド」「メンズナックル」など、「マイナビニュース」「ORICON NEWS」「週刊女性PRIME」など、カンテレ公式HP、メルマガ「JEN」、書籍「見てしまった人の怖い話」「さすがといわせる東京選抜グルメ2014」「アジアのいかしたTシャツ」(ネタ提供)、制作会社でのドラマ企画アドバイザーなど幅広く活動中。 この著者の記事一覧はこちら