抑制の芝居でここまで緊張感を作れる俳優は、そういない――大森南朋が『ラムネモンキー』で見せる真骨頂
●サブタイトルにある「ゾンビ」その背景と歴史
反町隆史、大森南朋、津田健次郎のトリプル主演で、“こんなはずじゃなかった”大人たちの再会と再生を描いた「1988青春回収ヒューマンコメディ」のフジテレビ系ドラマ『ラムネモンキー』(毎週水曜22:00〜 ※TVer、FODで配信/FODで次話先行配信)の第6話が、18日に放送された。
今回のハイライトは、なんと言っても大森vs近藤芳正のシーンから見えたベテラン俳優の魅力。そしてキョンシーの仕草や『バタリアン』といった言葉も飛び出したため、サブタイトル「怪奇!毒ガス工場のゾンビ」にある「ゾンビ」のうんちくについても触れてみる。

大森南朋 (C)フジテレビ
○【第6話あらすじ】ランボーを暴行した犯人とは…?
吉井雄太(反町)は妻の絵美(野波麻帆)から離婚届を突きつけられ、藤巻肇(大森)のアパートに転がり込む。肇は小野寺さつき(中越典子)から仕事を持ちかけられるが、それは建設会社の会長・石渡秀信(近藤芳正)がポケットマネーで制作する自伝映画だった。嫌味を言いながらも引き受ける肇。
マチルダこと宮下未散(木竜麻生)の失踪について調べる中、肇は当時の映像の中に怪しげな人物(野仲イサオ)を発見する。当時の雄太たちは、その男を「ランボー」と呼んでいた。
西野白馬(福本莉子)が働くカフェで、雄太、肇、菊原紀介(津田)はランボーの思い出を語る。中学時代、映画のロケ地を探していた3人は化学工場に忍び込む。そこへ突如現れたランボーは雄太の首根っこをつかむ。慌てて逃げ出す3人だったが、初老とは思えないスピードで追いかけてくるランボー。肇は足を踏み外して転び、脱臼してしまう。ランボーは肇の脱臼を処置し「先生を連れて来い」と一喝する。…それがランボーと3人の出会いだった。
不気味で得体の知れない存在だったランボーは、町でトラブルが起きると現れて無言で鎮めていた。3人はランボーについて調べることに。一方、肇は石渡の映画の脚本を書き上げるが、脚本を読んだ石渡は気に入らず、自らの武勇伝を語り出す。じっと耐える肇。
そんな中、1988年にランボーとともに工場で働いていた男が見つかった。当時の名簿を見た紀介は、ランボーとマチルダが同じアパートに住んでいたことを発見する。いよいよ怪しいと思っていた矢先、肇は、ランボーが暴行を受け、血まみれで倒れていた過去の事件を妹から聞く。鶴見巡査(濱尾ノリタカ)に調査してもらったところ、暴行した相手は、竿竹売りの鳥飼久雄(村上航)。そんなある夜、夜に雄太ら4人を見張っていた男の姿が…。追いかけるも取り逃してしまう。

(左から)津田健次郎、大森南朋、反町隆史 (C)フジテレビ
○『バタリアン』は走るゾンビの元祖
ランボーはマチルダにつきまとっていたのではなかった──。ランボーは復員兵。その戦友の妹がマチルダであり、マチルダを気にかけて、よく側にいたのだ。今回の冒頭のシーンでは、マチルダが工場から逃げ出し、それを追っていたのが、包帯をぐるぐる巻きにしたゾンビ(?)のような姿をしたランボーという妄想だったのだが、それらが次々と明らかになる事実で、正史に塗り替えられていくのは、もはやお約束展開となっている。
劇中では、それらすべてが80年代に流行した映画などのオマージュで形成されているが、第6話は、ランボーの設定が映画『ランボー』をほぼなぞっているのをはじめ、特に情報量が多かった。多くの映画タイトルが飛び出したが、サブタイトルに合わせ、ゾンビに重点を置いて語ってみる。
まず最初のシーンで、中学時代の肇(青木奏)が両手を前に突き出してぴょんぴょん跳んでいるのは、映画『霊幻道士』などでおなじみの、キョンシー。キョンシーはいわば、中国のゾンビとも言える存在で、日本では『霊幻道士』が1986年に公開され、大ブームに。その後、次々と続編が作られていった。ちなみに、現在の「ゾンビ」映画のフォーマットを作ったのは、いわずと知れた、ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968年)だ。
実は、さらにその原型がある。それが、1954年に刊行されたリチャード・マシスンのホラー小説『地球最後の男』(2007年にも映画化され『アイ・アム・レジェンド』の名で知られる)。リチャード・マシスンは、スティーブン・スピルバーグの出世作『激突!』の原作でも知られるホラー小説界の神様的存在で、実は『地球最後の男』はゾンビではなく、吸血鬼もの。
これまでの吸血鬼作品は、吸血鬼1人に多くの人々が襲われる展開が基本だったのだが、リチャード・マシスンは逆転の発想で、周囲が吸血鬼だらけで人間は1人、というスタイルを作り出した。世界中の人間が吸血鬼なので、これが世界崩壊=黙示録的な意味合いが生まれ、これも定番に。これらのスタイルを踏襲し、吸血鬼をゾンビに置き換えたのが、ジョージ・A・ロメロであり、以後それがゾンビ映画のフォーマットとなる。ちなみに、ゾンビに噛まれると噛まれた人もゾンビになるというのは、原型に吸血鬼があった名残りだ。
ところで、ここ昨今のゾンビはヨロヨロ歩くだけでなく、走るものも多い。その元祖といえるのが、ドラマでもその名前が飛び出した『バタリアン』(1985年)だった。さらに、ただ走るだけでなく、ゾンビ役に陸上選手を起用することで、とてつもなく速く走るゾンビを魅せたのが、ダニー・ボイル監督の『28日後…』(2002年)。この走るゾンビをホラー映画ファン以外にも広げた立役者が、ロメロ監督の映画『ゾンビ』(1978年)をリメイクした、『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004年)と言われている。
●大森南朋の役者力が爆発した回
さて。今回の第6話は、肇を演じる大森南朋の役者力が爆発した回となった。建設会社の会長・石渡の自伝を映画化するチャンスをもらった肇は、懸命に脚本を仕上げるも、石渡から、けちょんけちょんにダメ出しをされてしまう。その仕事をもちかけた、さつきはハラハラするが、肇はグッと自分を押し殺し、石渡の言葉を否定せず、受け入れる。
この肇の感情は複雑だ。自身の作品へのプライドはある。だが、原作クラッシャーと言われてしまう自分の評価も知っている。さらには、元は犬猿の仲であるさつきの前で、脚本をけなされる屈辱感に耐え忍ぶ。そして今は仕事を干されており、クライアントの意見は絶対というプロ意識を重視しながら、とにかく大人の対応を続ける。これらの感情を、見事芝居で成立させてしまったのだ。
大森の真骨頂は、感情を爆発させることではなく、爆発させないことにある。肇が飲み込んだ言葉の数だけ、画面の沈黙は重くなる。抑制の芝居でここまで緊張感を作れる俳優は、そう多くない。
映画情報サイト『Fashion Press』の2017年12月16日の記事で、大森はこう語っている。「カメラの前にただ立つことが、一番究極の形に近い。恐怖や緊張をなくして、自然な佇まいでいること──それが演技の究極だと思っている」。この言葉のように、大森の演技は“佇む”というシンプルな動作がそのまま内面の揺れにつながるタイプだ。言葉で叫んだり大きく動いたりせずとも、 視線の揺れ、沈黙の間、抑制された反応そのものが重い感情として画面に落ちる。

(左から)大森南朋、中越典子 (C)フジテレビ
○近藤芳正と対を成す激突
そしてこれと対を成すのが、憎たらしいけど、どこか憎めない、愛らしいおじさんを演じさせれば右に出る者はいないと筆者が思う、近藤芳正だ。この掛け合いが面白い。最後に肇は、石渡に「うすっぺらい人生」と言い放つ。感情を抑えた大森の芝居は、さり気ない重さがあり、その重力に対し、近藤演じる石渡が途端に、軽くてうすっぺらい人間に見えてくる。ベテランの実力派俳優の2人だからこそ生まれたこのシーンは、見ていて思わず拍手をしたくなるほどだった。
この第6話でも、マチルダ事件の真相究明は大きくは動かなかった。ランボーはマチルダ事件の犯人ではなく、次に挙がった容疑者は、竿竹売りの男。だが徐々に事件への妄想の薄膜が剥がれ落ちていき、見えなかった真相が積み上げられていく…。この積み重ねが本作の醍醐味ではあるのだが、いまだ回収されていない言葉「マチルダには近づかないほうがいい」の理由が分からない。
明らかになる真相、これがどう、その言葉へと結びついていくのか。第7話で少しでもその扉が開くのか。そして今度は、どんな80年代ネタが飛び出すか。期待値は上がり続ける。






(C)フジテレビ
衣輪晋一 きぬわ しんいち メディア研究家。インドネシアでボランティア後に帰国。雑誌「TVガイド」「メンズナックル」など、「マイナビニュース」「ORICON NEWS」「週刊女性PRIME」など、カンテレ公式HP、メルマガ「JEN」、書籍「見てしまった人の怖い話」「さすがといわせる東京選抜グルメ2014」「アジアのいかしたTシャツ」(ネタ提供)、制作会社でのドラマ企画アドバイザーなど幅広く活動中。 この著者の記事一覧はこちら
反町隆史、大森南朋、津田健次郎のトリプル主演で、“こんなはずじゃなかった”大人たちの再会と再生を描いた「1988青春回収ヒューマンコメディ」のフジテレビ系ドラマ『ラムネモンキー』(毎週水曜22:00〜 ※TVer、FODで配信/FODで次話先行配信)の第6話が、18日に放送された。
今回のハイライトは、なんと言っても大森vs近藤芳正のシーンから見えたベテラン俳優の魅力。そしてキョンシーの仕草や『バタリアン』といった言葉も飛び出したため、サブタイトル「怪奇!毒ガス工場のゾンビ」にある「ゾンビ」のうんちくについても触れてみる。

○【第6話あらすじ】ランボーを暴行した犯人とは…?
吉井雄太(反町)は妻の絵美(野波麻帆)から離婚届を突きつけられ、藤巻肇(大森)のアパートに転がり込む。肇は小野寺さつき(中越典子)から仕事を持ちかけられるが、それは建設会社の会長・石渡秀信(近藤芳正)がポケットマネーで制作する自伝映画だった。嫌味を言いながらも引き受ける肇。
マチルダこと宮下未散(木竜麻生)の失踪について調べる中、肇は当時の映像の中に怪しげな人物(野仲イサオ)を発見する。当時の雄太たちは、その男を「ランボー」と呼んでいた。
西野白馬(福本莉子)が働くカフェで、雄太、肇、菊原紀介(津田)はランボーの思い出を語る。中学時代、映画のロケ地を探していた3人は化学工場に忍び込む。そこへ突如現れたランボーは雄太の首根っこをつかむ。慌てて逃げ出す3人だったが、初老とは思えないスピードで追いかけてくるランボー。肇は足を踏み外して転び、脱臼してしまう。ランボーは肇の脱臼を処置し「先生を連れて来い」と一喝する。…それがランボーと3人の出会いだった。
不気味で得体の知れない存在だったランボーは、町でトラブルが起きると現れて無言で鎮めていた。3人はランボーについて調べることに。一方、肇は石渡の映画の脚本を書き上げるが、脚本を読んだ石渡は気に入らず、自らの武勇伝を語り出す。じっと耐える肇。
そんな中、1988年にランボーとともに工場で働いていた男が見つかった。当時の名簿を見た紀介は、ランボーとマチルダが同じアパートに住んでいたことを発見する。いよいよ怪しいと思っていた矢先、肇は、ランボーが暴行を受け、血まみれで倒れていた過去の事件を妹から聞く。鶴見巡査(濱尾ノリタカ)に調査してもらったところ、暴行した相手は、竿竹売りの鳥飼久雄(村上航)。そんなある夜、夜に雄太ら4人を見張っていた男の姿が…。追いかけるも取り逃してしまう。

○『バタリアン』は走るゾンビの元祖
ランボーはマチルダにつきまとっていたのではなかった──。ランボーは復員兵。その戦友の妹がマチルダであり、マチルダを気にかけて、よく側にいたのだ。今回の冒頭のシーンでは、マチルダが工場から逃げ出し、それを追っていたのが、包帯をぐるぐる巻きにしたゾンビ(?)のような姿をしたランボーという妄想だったのだが、それらが次々と明らかになる事実で、正史に塗り替えられていくのは、もはやお約束展開となっている。
劇中では、それらすべてが80年代に流行した映画などのオマージュで形成されているが、第6話は、ランボーの設定が映画『ランボー』をほぼなぞっているのをはじめ、特に情報量が多かった。多くの映画タイトルが飛び出したが、サブタイトルに合わせ、ゾンビに重点を置いて語ってみる。
まず最初のシーンで、中学時代の肇(青木奏)が両手を前に突き出してぴょんぴょん跳んでいるのは、映画『霊幻道士』などでおなじみの、キョンシー。キョンシーはいわば、中国のゾンビとも言える存在で、日本では『霊幻道士』が1986年に公開され、大ブームに。その後、次々と続編が作られていった。ちなみに、現在の「ゾンビ」映画のフォーマットを作ったのは、いわずと知れた、ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968年)だ。
実は、さらにその原型がある。それが、1954年に刊行されたリチャード・マシスンのホラー小説『地球最後の男』(2007年にも映画化され『アイ・アム・レジェンド』の名で知られる)。リチャード・マシスンは、スティーブン・スピルバーグの出世作『激突!』の原作でも知られるホラー小説界の神様的存在で、実は『地球最後の男』はゾンビではなく、吸血鬼もの。
これまでの吸血鬼作品は、吸血鬼1人に多くの人々が襲われる展開が基本だったのだが、リチャード・マシスンは逆転の発想で、周囲が吸血鬼だらけで人間は1人、というスタイルを作り出した。世界中の人間が吸血鬼なので、これが世界崩壊=黙示録的な意味合いが生まれ、これも定番に。これらのスタイルを踏襲し、吸血鬼をゾンビに置き換えたのが、ジョージ・A・ロメロであり、以後それがゾンビ映画のフォーマットとなる。ちなみに、ゾンビに噛まれると噛まれた人もゾンビになるというのは、原型に吸血鬼があった名残りだ。
ところで、ここ昨今のゾンビはヨロヨロ歩くだけでなく、走るものも多い。その元祖といえるのが、ドラマでもその名前が飛び出した『バタリアン』(1985年)だった。さらに、ただ走るだけでなく、ゾンビ役に陸上選手を起用することで、とてつもなく速く走るゾンビを魅せたのが、ダニー・ボイル監督の『28日後…』(2002年)。この走るゾンビをホラー映画ファン以外にも広げた立役者が、ロメロ監督の映画『ゾンビ』(1978年)をリメイクした、『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004年)と言われている。
●大森南朋の役者力が爆発した回
さて。今回の第6話は、肇を演じる大森南朋の役者力が爆発した回となった。建設会社の会長・石渡の自伝を映画化するチャンスをもらった肇は、懸命に脚本を仕上げるも、石渡から、けちょんけちょんにダメ出しをされてしまう。その仕事をもちかけた、さつきはハラハラするが、肇はグッと自分を押し殺し、石渡の言葉を否定せず、受け入れる。
この肇の感情は複雑だ。自身の作品へのプライドはある。だが、原作クラッシャーと言われてしまう自分の評価も知っている。さらには、元は犬猿の仲であるさつきの前で、脚本をけなされる屈辱感に耐え忍ぶ。そして今は仕事を干されており、クライアントの意見は絶対というプロ意識を重視しながら、とにかく大人の対応を続ける。これらの感情を、見事芝居で成立させてしまったのだ。
大森の真骨頂は、感情を爆発させることではなく、爆発させないことにある。肇が飲み込んだ言葉の数だけ、画面の沈黙は重くなる。抑制の芝居でここまで緊張感を作れる俳優は、そう多くない。
映画情報サイト『Fashion Press』の2017年12月16日の記事で、大森はこう語っている。「カメラの前にただ立つことが、一番究極の形に近い。恐怖や緊張をなくして、自然な佇まいでいること──それが演技の究極だと思っている」。この言葉のように、大森の演技は“佇む”というシンプルな動作がそのまま内面の揺れにつながるタイプだ。言葉で叫んだり大きく動いたりせずとも、 視線の揺れ、沈黙の間、抑制された反応そのものが重い感情として画面に落ちる。

○近藤芳正と対を成す激突
そしてこれと対を成すのが、憎たらしいけど、どこか憎めない、愛らしいおじさんを演じさせれば右に出る者はいないと筆者が思う、近藤芳正だ。この掛け合いが面白い。最後に肇は、石渡に「うすっぺらい人生」と言い放つ。感情を抑えた大森の芝居は、さり気ない重さがあり、その重力に対し、近藤演じる石渡が途端に、軽くてうすっぺらい人間に見えてくる。ベテランの実力派俳優の2人だからこそ生まれたこのシーンは、見ていて思わず拍手をしたくなるほどだった。
この第6話でも、マチルダ事件の真相究明は大きくは動かなかった。ランボーはマチルダ事件の犯人ではなく、次に挙がった容疑者は、竿竹売りの男。だが徐々に事件への妄想の薄膜が剥がれ落ちていき、見えなかった真相が積み上げられていく…。この積み重ねが本作の醍醐味ではあるのだが、いまだ回収されていない言葉「マチルダには近づかないほうがいい」の理由が分からない。
明らかになる真相、これがどう、その言葉へと結びついていくのか。第7話で少しでもその扉が開くのか。そして今度は、どんな80年代ネタが飛び出すか。期待値は上がり続ける。






(C)フジテレビ
衣輪晋一 きぬわ しんいち メディア研究家。インドネシアでボランティア後に帰国。雑誌「TVガイド」「メンズナックル」など、「マイナビニュース」「ORICON NEWS」「週刊女性PRIME」など、カンテレ公式HP、メルマガ「JEN」、書籍「見てしまった人の怖い話」「さすがといわせる東京選抜グルメ2014」「アジアのいかしたTシャツ」(ネタ提供)、制作会社でのドラマ企画アドバイザーなど幅広く活動中。 この著者の記事一覧はこちら
