あぶらとり紙からの脱却!化粧品や飲食で存在感を高める老舗企業「よーじや」:読んで分かる「カンブリア宮殿」

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2月5日(木)に放送した「カンブリア宮殿」のテーマは、「経営危機から復活!”よーじや”」。

【動画】経営危機から復活!老舗企業 大変身の舞台裏



あぶらとり紙のイメージ一新〜京都の老舗企業が変貌



京都市東山区のよーじや祇園本店。よーじやは、あぶらとり紙で有名な、創業から122年になる老舗企業だ。そのあぶらとり紙は手軽な京都土産として重宝されてきた。

1904年、國枝商店として創業。当初は舞妓などにおしろいなどを販売していた。その後、当時「楊枝(ようじ)」と呼ばれていた歯ブラシを取り扱い人気に。楊枝を売る店だから「よーじやさん」と呼ばれるようになり、屋号も変わったという。

あぶらとり紙は1920年代、舞台役者から相談を受けて販売。おなじみの、イラストを使ったロゴマークになったのは1960年代のことだ。その後、テレビドラマで映ったのがきっかけとなり1990年代「京都土産のあぶらとり紙」がブームに。以後、よーじやといえばあぶらとり紙となった。


だが、実はこの商売には課題があった。あぶらとり紙は土産品のイメージが強くなりすぎて、いつしか普段は買われない商品となっていたのだ。ブームが去ると、よーじやの経営は傾いた。

そんな老舗の危機を救ったのが、よーじやグループ代表・國枝昂(36)。2019年に代表となった國枝が世間を驚かせたのが、60年続いたロゴマークの変更だった。

大胆な改革を断行したのは2025年3月のこと。よーじやの象徴のような手鏡の女性のイラストから、シンプルな文字のロゴマークに変更した。その代わりに登場させたのが新キャラクター。洋服を着た今風な「よじこ」を誕生させ、イメージ刷新を行った。


「120周年をきっかけに『よじこ』という名前をつけました。キャラクターとして手鏡の中から出てきてもらった。世界的に有名な京都ブランドに乗っかって商売をしてきましたが、これまでの30年間はあぶらとり紙で乗り切れても、これからの30年間を同じビジネスで乗り越えられるかというと、難しい」(國枝)

若きトップによって120年以上続く京都の老舗が大変貌を遂げている。

「『脱・観光依存』を掲げて、よーじやのイメージを変えていく」(國枝)

よーじや國枝流改革1〜「脱・観光依存」



京都土産の定番として一大ブームを起こしたあぶらとり紙だが、ブームが去って以降、売り上げを大幅に減らしている。

「35年前にあぶらとり紙ブームが来て、観光の象徴として成長したのですが、新しい需要を取り込む努力をしなければ残れる保証はないという強い危機感がある。『脱・観光依存』を掲げて努力していかなければいけない」(國枝)

「脱・観光依存」の一環として國枝が始めたのが京都以外の場所への出店攻勢だ。

2024年には東京・足立区の百貨店「マルイ」の中に、よーじや北千住マルイ店をオープンさせた。その店舗は化粧品売り場の一角に。コスメショップのような雰囲気の売り場に並ぶのはシャンプーや入浴剤など、これまでとは違った品ぞろえだ。


アイテム数は約170。土産品ではなく、日常的に使ってもらうための商品を数多く開発した。

一番人気となっているのが850円のハンドクリーム。使いやすい商品に女性ファンがつき、売り場はにぎわっている。

2025年11月には、福岡市中央区によーじや天神地下街店をオープン。こちらも地元客を集めて連日大にぎわいとなっている。

よーじやは現在全国に20店舗(※別業態を除く)あるが、半分は観光地以外にあり、その売り上げが6割を占めるまでになった。

「これまでリピーターをつくる努力を本当にしてこなかった。『脱・観光依存』という方針を続けると社内で宣言しましたし、当初掲げた方向性からぶれることなく突き進んでいます」(國枝)

よーじや國枝流改革2〜「脱・あぶらとり紙依存」



看板商品としてよーじやブランドをけん引してきたあぶらとり紙だが、最近は「古い」「昔流行っていたものという感じ」という声も聞かれる。今でも一定の人気はあるが、売り上げはこの20年で4分の1に減った。

そこで國枝はさらなる改革に動き出している。

この日、社内で参加したのは「よじこ」がデザインされたパフェの試食会。新しく売り出す味を試してみるのだと言う。

「今、私が何の経営者かというと、化粧品店の経営者とは1ミリも思っていない。新しいものを生み出す経営者という感覚でやっています」(國枝)

2025年2月、國枝は京都市下京区によーじや四条河原町店という、よーじやの看板を掲げたカフェをオープン。評判は上々で客の絶えない繁盛店となっている。

ここで振る舞われるのがロゴマークを入れたスイーツの数々。抹茶カプチーノやロールケーキにまで「よじこ」が描かれている。


「よーじやというブランドをやっているだけではイメージを変えることは難しいと思ったんです。不採算事業として中途半端に残っていたのが飲食だったのですが、この飲食店を真剣にやれば、『脱・観光依存』を実現し、イメージを変えるきっかけをつくれるのではないかと思いました」(國枝)

カフェだけではない。2025年11月、京都市下京区に出店したのはそば店「10(じゅう)そば」。「安くておいしい」と、昼時には行列ができる人気店となっている。

そば粉100%の十割そばの「ざるそば」が500円。そばはゆでたてで提供。そば切りを機械化し、コストを抑えて低価格を実現した。天ぷらは注文が入ってから揚げる。


メニューには「クラムチャウダーのつけそば」(990円)のような変わり種もある。

2015年から10年のよーじやの売り上げを見ると、コロナ禍の落ち込みはあったが、國枝改革でV字回復。主力商品も入れ替わり、かつて全体の約8割を占めていたあぶらとり紙の売り上げは、今は2割弱まで減った。

「飲食があぶらとり紙の店舗数を超えるのが目標。今が勝負どころだと思っています」(國枝)

業績低迷・社内対立!〜「未来を描ける会社へ」



國枝は大阪大学出身。卒業後は監査法人に勤務し、公認会計士を目指していた。だが、資格取得を目前にして、よーじやのメインバンクから突然連絡が入り、「会社が危ない」と知らされた。

「ほとんどの商品の売り上げが右肩下がりでした。銀行からは『今のままいくと、これ以上融資できなくなる可能性もなくはない』と。倒産してもおかしくない、銀行に見捨てられても仕方がないと思いました」(國枝)

そんなタイミングで父親が病に倒れ、國枝は29歳で後を継ぎ、5代目代表に就任する。

だが、待っていたのは「『何をしに急に帰ってきたんだ』『何をしに息子が代表者として入社したんだ』『経験もゼロで入ってきたのか』と、顔に書いてあると感じました。入社した時、全員敵か味方か分からなかった」(國枝)という社内のムードだった。

当時の息子が置かれた厳しい状況を、母親・久美子はこう振り返る。

「はたから見ていて、よーじやのブームの延長線上で商売をしていたので、そこに飛び込むことは人間関係も含めて大変だろうと分かっていました。親心としては苦労をかけたくないという思いの方が強かった。申し訳ない気持ちと頼もしい気持ちで見守っているという感じでした」


当時のよーじやは、業績が振るわなかっただけでなく、社内に二つの派閥があり、分断も深刻だったという。

一つはあぶらとり紙を販売していた部署。社内では「オリジナル派」と呼ばれていた。もう一つは化粧品などを扱う部署。こちらは「コスメ派」と呼ばれ、別組織のように動いていたという。コスメ派はエステ事業も展開していた。

二つの派閥の分断を象徴するのがユニホーム。オリジナル派とコスメ派に分かれ、同じ会社内で別々のユニホームを着ていた。

「社内対立があり、制服も別だったり、雰囲気は悪かったです」(國枝)

離職率は約30%に達した。会社を去る者が絶えなかったのだ。

「従業員からは『未来を感じない』と。『どう頑張れば評価されるのか』『どう頑張れば役職がつくのか』が感じられない職場でした。若手も含めてスタッフが将来を描ける会社をつくるという目標が明確だったので、入社時の孤独感は相当なものでしたが、自分がやろうとしていることを達成するんだ、という気持ちは相当強かった」(國枝)

さらなるピンチがよーじやを襲う。コロナ禍となり、京都から観光客が消えてしまったのだ。その影響は大きく、1日の売り上げがゼロとなる店舗もあった。

このままでは会社はもたない。危機感が広がり、社内から改革に賛同する声が上がるようになった。國枝も新しいよーじやを目指し、改革のペースを加速させた。

國枝は年功序列を廃止し、特に開発に関しては若手を中心としたスタッフを集めた。こうした取り組みで社内の空気も変わったという。

「私はまだ2年目ですが、アイデアを出しやすい環境です」(企画開発部・北野仁菜)

「以前は新商品も年に一つあるかないかの頻度だったので、今の開発頻度はスピードが違うなと」(企画開発部・川村美優)

変化は現場の店舗でも起きている。前出のそば店「10そば」のよーじやフードサービス・宮田智之は「180度大きく変わりました。以前は先を見据えてとか、何も考えていなかった。どうやったらみんなに喜んでもらえるか、先のことを考えるようになり、そのあたりが大きく変わったし、感謝もしています」と言う。

國枝が代表に就任して約7年。よーじやの離職率は3割から1割まで下がり、会社は「挑戦する集団」に変貌した。

食を通じて京都に貢献!〜5代目の新たな挑戦



國枝はこの日、京都市山科区の農家「粟津農園」のダイコンを視察していた。こうした地の食材を使うことに國枝はこだわっている。

「我々は120年、ずっと地元の人に支えられてやってきましたが、ここ数十年は地元の人から観光客向けの店だと思われています。遠い存在になってしまい、しっくりこないものがある。食べることを通じて京都に貢献できるのではないかと思いました」(國枝)

地元・京都を見つめ、2025年11月には新しい店をオープン。そば店「10そば」を夜は創作料理の店「26(にーろく)ダイニング」にした。


「26」は京都府内にある26市町村を指す。その名産品、例えば舞鶴なら万願寺とうがらし、京都市なら九条ネギといった具合に、京都各地の食材を使おうというコンセプトだ。野菜だけでなく、魚介類も京都各地の生産者と繋がっている。

國枝が「甘い」と評した「粟津農園」のダイコンはおでんの具材になっていた。そこにかけたのは「丹波しめじ」を使ったきのこのクリームソース。ピンクペッパーがより複雑な味わいを生み出す。


この店も連日大にぎわい。その多くは地元・京都の人たちだ。客からは「よーじやが新しく出店したと聞いて興味があった」「京野菜をふんだんに使われている店は新鮮。京都民としてありがたい」といった声が聞かれた。

「100年企業をつくれたのは京都の人たちがあってこそだと思っていて、気持ちとしては原点に返りたいと思っています」(國枝)

京都の良さを京都の人に。國枝の思いが料理となって伝わっていく。

※価格は放送時の金額です。

〜村上龍の編集後記〜
「よーじや」と言えば「あぶらとり紙」だが、最近、違ってきている。大正初期に「歯ブラシ」を売りに出し「楊枝」と呼ばれていたらしい。食べたものなどが、歯に詰まるのを避けることができるということで、そういう名称になったのだが、さすが京都だと思う。昔からおしゃれな街だった。國枝さんは「あぶらとり紙」を売上割合から減らすという無謀なことをやった。成功した。歯ブラシを売る普通の店になったのだ。

<出演者略歴>
國枝昂(くにえだ・こう)1989年、京都府生まれ。大阪大学経済学部卒業後、EY新日本有限責任監査法人入社。2019年、よーじやグループ入社、代表就任。

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