食料危機は本当に迫っているのか?――「食べること」を問い直す知の冒険
人口爆発、気候変動、そして深刻な食品ロス――人類の未来を脅かすこれらの課題に、私たちはどう立ち向かえばいいのでしょうか?
『世界はいつまで食べていけるのか――人類史から読み解く食料問題』(バーツラフ・シュミル/栗木さつき 訳)は、エネルギーや文明の構造を読み解いてきた知の巨人が、ついに「食料」という最も根源的で、最も非効率なテーマに挑んだ一冊。
培養肉、有機農業、菜食主義、遺伝子組み換えといった現代の “希望” を冷静に検証し、食料をめぐる私たちの「思い込み」を、数字と歴史で丁寧に解き明かします。
人口増加と食料供給
地球の歴史上、ほとんどの生物が絶滅する天変地異が何度も繰り返されたという天変地異説(カタストロフィズム)には長い歴史があり、はたして世界の人々に食料を供給できるのかという懸念は、1798年にトーマス・ロバート・マルサスが著書『人口論』で「人口が増える力は、人間が生存するうえで必要な食料を生産する地球の力よりもはるかに大きい」と警告してから、ずっと払拭されずにきた。
この流れを受けて、人口増加が飢饉(ききん)や戦争や疾患によって抑制され、長期的に見れば停滞しないかぎり、食料供給の伸びは急激な人口増加に追いつかないという説が誕生したのである。
だが、詳しく調べてみれば、マルサスでさえも結局のところ「マルサス主義者」ではなかったのであり、これは食料生産の歴史と科学において半ば忘れられている事実が多いことをよく示している。というのも、マルサスは『人口論』の第2版(1803年)ではもっと事態を楽観視していたのだ。「たしかに将来の見通しは……われわれが望むほど明るいものではないだろうが、完全に気落ちする必要もないだろう。人間が満腹になれるよう、徐々に順を追って改善されていく状況を妨げるものはないからだ」と述べているのだから。しかし残念なことに、いずれ食料の供給が足りなくなると声高に言い立てる人たちはこうした事実にまったく目を向けていない。
世界人口が増えつづけ、環境問題が深刻化するなか、世界の食料供給に関する懸念は依然として残っているし、なかには極端に不安視する声もある。たとえば2022年5月のガーディアン紙で、イギリスの作家で政治活動家のジョージ・モンビオは「世界の食料システムは、2008年に危機を迎える直前の国際金融システムの様相を呈しつつある。金融システムの崩壊は人々の安定した生活に壊滅的な影響を及ぼした。食料システムが崩壊した場合の打撃については考えるまでもない。そのうえ、食料システムにおける問題がどんどん悪化しているというエビデンスは急増している」とまで言い立てたのだ。
これは世間にあふれかえっている怪しげな主張や完全な誤報の一例にすぎない。私はこの10年ほど、生活における数々の基本的事実に関する理解が乏しい、もしくはまったく無知な人たちが言い立てる説にたびたび憤慨してきた。それらの言説には有機物であれ機械であれ、作物であれエンジンであれ、食料であれ燃料であれ、そのトピックに関する知識がまるで足りていないのだ。
では、そもそもあなたは世界の食料システムについて心配すべきなのだろうか? 今後数十年のうちに飢饉に見舞われるおそれのある場所に、あなたは暮らしているのだろうか? 社会は崩壊しつつあるのだろうか? 簡潔に応じるのであれば、その答えは「おそらくノー」だ。あるいは詳しく応じるのであれば、食料生産の歴史や最新の科学的知見に基づいて、光合成の効率や1日に必要な栄養所要量といった生物物理学的に重要な点についても説明することになり、長さはちょうど――本書1冊分になる。
近い将来、驚異の破壊的イノベーションが誕生し、食料システムに革命をもたらす。そんな文章を読みたい方に申し添えておくと、本書はそのような趣旨の作品ではない。むしろその逆で、徐々に展開していく変化の力について論じる。つまり非現実的なことばかりに目を向けるメディアやポピュラー・ノンフィクションの作家が無視しがちなものに着目していくのだ。さらに言わせてもらうと、実際の数値だけで十分に報道する価値があり、注目を集めることもできるのに、不正確で誇張した惹句(じゃっく)を連ねる必要がどこにあるのか、理解に苦しむ。
2050年のエネルギー摂取
たとえば、世界ではいま成人1人当たり、1日に平均約3000キロカロリーの食料が提供されている。と当時に、世界の食品廃棄物は1人当たり約1000キロカロリーに及んでいる。それにもかかわらず、この状況をすぐさま改善しようとする動きは見られない。だが、あなたが収入の3分の1を失いつづけているのであれば、早急に手を打とうとするはずだ。本書ではそうした現実も直視していく。
なぜ私たちはごくわずかな種類の植物や動物を育てて食料を生産してきたのだろう? もし、古代の祖先たちが現代のエビデンスを入手できていたら、まったく異なる動植物を選んで育てていたのだろうか? 糖質摂取を制限して脂質を主要エネルギー源とするケトジェニックダイエット(ケトン食)から、「超加工食品」を避ける方法にいたる最新流行の食事法について、もっとも信頼の置ける研究はどう評価しているのだろう? はたして2050年を迎える頃、世界は家畜を解放したうえで、植物由来または人工的につくられた代替肉でエネルギーを摂取するようになり、罪悪感を覚えずにすむテクノ・ヴィーガン・ユートピアで暮らしているのだろうか? 私自身は、肉の消費量を減らすことには賛成だ――世界の穀物生産量の3分の1、アメリカでは3分の2が家畜の飼料になっているのだから。だが、その結果、果物やナッツ類をより多く食べることになるのであれば、いずれにしろ、環境にとってはよいことではないかもしれない。
では有機農業はどうだろう? はたして万能薬なのだろうか? これまでの数世紀、農業で利用できる技術はすべて「有機」であり、たいてい人口の約8割が農業に従事し、糞尿を集めて肥料にするといった地味な仕事をこなしていた。ところが、こんにちの富裕国では食料生産に従事している人の割合は1~3%にすぎない。さて、あなたなら肥やしを集めたいだろうか。
さらに重要なことに、農業こそ人間が生存するための営みであるという考え方そのものが、このところ非難の対象となっている。では、農業が出現したからこそ、人類は繁栄できたのだろうか? それとも、ポピュラー・ノンフィクションの大勢の書き手が主張しているように、農業の出現こそが史上最悪の災厄だったのだろうか? 本書では、この2つの説についても慎重に評価していく。
食料問題は、意見や感情に流されてはならない
本書は、食料に関する私の50年にわたる研究の集大成でもある。端緒(たんしょ)となったのは1970年代後半に、もっと専門的な内容の著書(アメリカの主要作物であるトウモロコシのエネルギー分析)の執筆のための調査だった。1982年に出版されたこの作品は、私にとって食料をテーマとした初めての著書となった。さらに1980年代に発表した著書のうち5作では、作物や食料に関する章を設けて紙幅を割いてきた。
2000年には、食料に関するさまざまなトピックを論じた著書『世界を養う――環境と両立した農業と健康な食事を求めて』を発表し、光合成や作物の収量から畜産や食習慣までを俎上(そじょう)に載せた。また、その翌年の2001年には『土壌を肥やす』を発表し、現代の農業に欠かせない窒素肥料として土壌に投与されているアンモニアについて詳しく説明した(本書でも後述する)。そして21世紀に入ってから発表した3冊の著書『日本の食生活の変遷とその影響(小林和彦氏との共著)』、『生物圏を収穫する』、『私たちは肉を食べるべきか?』でも、やはり食料について論じた。
2014年以降は鉄鋼、石油、天然ガス、エネルギー大転換、エネルギーと文明、成長とサイズなどのトピックをとりあげてきたが、2022年に出版された『世界の本当の仕組み』では「食料生産を理解する」という章を設けている。ひらたくいえば、私にとって食料問題は一過性の関心事ではない。
そうは言っても、食料や農業について論じるには膨大なデータと幅広い知識が必要となるため、それぞれのトピックについて広範な見解を述べたくても、ある程度の制限をみずから設けなければならない。そこで本書では、世界の食料システムの基本的な特徴について説明し、その際には定量化した情報を根拠にする。というのも、食料問題においては、意見や感情よりも数字のほうがはるかに重い意味をもつからだ。そのうえで、農学、作物学、エネルギーアカウンティング、栄養、健康などさまざまな分野に目を向け、8つのきわめて重要なトピックについて論理的に考えていこう。
本書の前半では、食料を栽培するための生物物理学の基本について見ていく。後半では、世界の食料システムの実態を数値化し、私たちの食生活に欠かせないものを説明し、このシステムを急進的に変えるべきだという近年の説を疑問視していく。とはいえ、読者のなかには、いま流行している「農業と地球規模の気候変動」、「持続可能な農業」という2つのトピックに関する広範な説明や批評を期待している方もあるかもしれない。だが、その場合は、ほかの本を当たっていただきたい。このような無秩序に広がるトピックに関する本はすでに数多く出版されていて、集めれば小さな図書館ができるほどなのだから。
本書では、現代の食料生産と栄養に関する包括的な見解を述べるのではなく、基本事項についてあくまでも定量的な評価をしていく。農業や食料に関する多くの本にはそれほど数字が出てこないだろうが、本書には数字があふれている。この点についてお詫びするつもりはなく、逆に胸を張りたい。というのも、数字こそが希望的観測への解毒剤であり、現代の作物栽培・食料・栄養摂取の状況と限界をしっかり把握するには、数字を見るしかないからだ。数字を基盤に考えれば、食料に関する基本的な現状を不正確に解釈したり、誤解したりするリスクを大きく軽減できるし、地球規模の農業の未来について大げさに言い立てたり、非現実的な約束をしたりする人たちの話を無批判に受け入れることもなくなるだろう。
『世界はいつまで食べていけるのか――人類史から読み解く食料問題』では、
第1章 農業はなにをもたらしたのか?
第2章 私たちはなぜ、いくつかの種の植物だけを大量に食べるのか?
第3章 私たちが育てられるものの限界
第4章 なぜ、私たちはある種の動物を食べ、ほかの種の動物は食べないのか?
第5章 食べ物とスマホ、どちらがより重要?
第6章 健康であるためにはなにを食べるべきか?
第7章 環境への負荷を減らしながら、増加する人口を食べさせる― 疑わしい解決策
第8章 増えつづける人口を食べさせる―どんな方策に効果があるのか
という構成で、世界の食料問題について考えます。
バーツラフ・シュミル
マニトバ大学特別栄誉教授。カナダ王立協会(科学・芸術アカデミー)フェロー。エネルギー、環境変化、人口変動、食料生産、栄養、技術革新、リスクアセスメント、公共政策等の分野で学際的研究に従事。2000年、米国科学振興協会より「科学技術の一般への普及」貢献賞を受賞。2010年、『フォーリン・ポリシー』誌により「世界の思想家トップ100」の1人に選出。2013年、カナダ勲章を受勲。2015年、そのエネルギー研究に対してOPEC研究賞が授与される。おもな著書に『Numbers Don't Lie 世界のリアルは「数字」でつかめ!』『SIZE』(以上NHK 出版)、『Invention and Innovation』(河出書房新社)、『エネルギーの人類史』(青土社)。

