※この記事は2020年12月16日にBLOGOSで公開されたものです

小松の親分さんが天に昇った。小松政夫――、50代半ばである自分には、70年代バラエティでの「伊東・小松」、伊東四朗とのコンビに尽きる。

このコンビの絶頂期は「笑って!笑って!!60分」(TBS 1975年春スタート)、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(NET/テレビ朝日 1976年秋スタート)となる。それらの番組は当時10歳の自分にとって日常そのものであり、小松政夫という人は常におかしなフレーズを発し続ける、とりわけおかしな芸人だった。

“小松の親分さん”の人気フレーズ「ヒジリキホッキョッキョ」

「笑って!笑って!!」は土曜12時30分からの1時間番組だった。土曜は学校がお昼に終わる。家に帰ってテレビをつけると、そこに毎回登場していたのが「小松の親分さん」というキャラだ。

基本設定は毎回同じ。町の空き地で子ども達(ハンダース、エバ、他)がいて何かモメている。そこにヤクザの親分(小松)と子分(伊東)が現れて説教をする。しかし、子どもが発するささいな一言で親分は落ち込み、いじけて座り込む。そんな親分を立ち直らせる決めフレーズを伊東が発する、「ズンズンズンズン、小松の親分さん、小松の大親分!」。

親分は涙をぬぐって気を取り直し(この、涙をぬぐう小芝居のおかしさたるや・・・)、伊東は親分をさらに気を良くさせるため大太鼓を叩き、小松が歌う。テンションが上がった小松が太鼓に乗って応援団長のようになる。そこで発せられるのが、

「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ (※飛ーベ飛べ飛べガッチャマン) ガーッチャマンに負けるな負けるなガッチャマン ソレー(応援盛りあげ)」

「※」のフレーズはあったり無かったりだった。当時10歳だった自分はこのフレーズをどう受け止めていたか? 思い返せば、「大人がガッチャマンって言ってるぞ、よくわからないけど変でおかしいや」という、子どもなりの親近感が入口で、「だけどなぜ、ガッチャマンに負けるなと敵を応援してるのに、そのあと、負けるなガッチャマンと、どっちも応援しているのだ?」という不可解さに一瞬迷いこみ、ま、どうでもいいかとやり過ごす、そんな印象だった。

ガッチャマンの前節となる「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」に関しては、まったく意味を感じなかった。無意味であることをとても自然に受け止めていた。

江戸時代から?無意味な言葉の流行史

無意味な言葉は当時の子どもの身の周りにあふれていたように思う。例えばマンガ放送(アニメという呼び方はまだ無かった)からは「魔法使いサリー」(1966年~)の主題歌は「♪マハリーク マハーリタ ヤンバラヤンヤンヤン」。「ひみつのアッコちゃん」(1969年~)では「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」「ラミパスラミパス ルルルルル~」・・・(後年知るがアッコちゃんのフレーズはウラに意味設定があったという)。まとめるなら呪文系ナンセンスフレーズか。

テレビCMにも流行となる無意味な言葉が登場している。パイロット万年筆のCMで大橋巨泉が発した「みじかびの きゃぷりてぃとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」(1969年)。これは70年代になるとタモリのハナモゲラ語へと繋がる。

無意味な言葉は60年代~70年代、「ナンセンス」という意識の隆盛を背景に捉えることもできるが、俯瞰すれば、どの時代であってもそれはある。

遡れば――、江戸時代なら(これしか知らないが)落語「らくだ」には「♪かんかんのう きゅうれんす」という流行り踊りのフレーズが登場する。

明治時代になると、歌舞伎に対となる新派劇(現代劇)の創始者と言われる川上音二郎が流行らせた「オッペケペー節」(1880年代~)がある。「オッペケペー オッペケペー オッペケペッポー ペッポッポー」、この語感に明治人たちはテンション爆上がりになったのだ。これは今でいうなら音ネタのブリッジにあたる。

大正時代になると「東京節」(1919年~)か。「♪東京の中枢は丸の内~」で始まる歌のサビが「♪ラメチャンタラ ギッチョンチョンでパイノパイノパイ パリコトパナナでフライフライフライ」。これは外来語を取り込みつつの、意味アリと意味ナシの混在によるハイブリッドな不明語かな。

日本が辿ってきた「無意味な言葉史」は、底の浅さが露呈する前に切り上げるが、いずれにしてもこのワケのわからない無意味な言葉というのは、時代時代に現れては、不可解ゆえの謎めいた魅力、つい言いたくなる魔性、繰り返したくなる中毒性、などなどあって、人心を揺さぶっては消えていく、なんだか「妙」で「変」なコトダマ(言霊)のカタマリなのだろう。

でもって、「ニンドスハッカッカ」に戻ります。小松の親分さんが発した「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」を耳にしたことのある誰もが、100人が100人、それは意味のない言葉であると捉えていると思う。もちろん自分自身もその一人だ・・・った。2014年までは。

「ヒジリキ」は雅楽器の篳篥(ヒチリキ)だった説

2014年春、縁あって法螺貝の先生と知りあった。そこで日本古来の様々な楽器を再認識したことが頭の中で何か繋がったのかもしれない。ふと「小松政夫のヒジリキホッキョッキョって、篳篥(ヒチリキ)のことじゃないか?」、そう思ったのだ。

篳篥は雅楽で用いられる小ぶりな笛だ。今であれば雅楽演奏家の東儀秀樹が時々吹奏していたりする。ちなみに2018年のR-1ぐらんぷり決勝で登場した、平安女官キャラのカニササレアヤコが吹いていた小竹の筒を束ねて山型にしたようなのも雅楽器だが「笙(しょう)」である。ちょと違う。

ふと考えた「ヒジリキホッキョッキョ」のヒジリキは篳篥(ヒチリキ)かもという推察。すぐさま「ホッキョッキョ」という語感が笛の音に近いことが、この推察を強めた。

小松政夫は九州福岡の出身だ。であれば、これは九州界隈の方言か何かで「ヒチリキ」が「ヒジリキ」と訛り、音のオノマトペ=擬音語として「ホッキョッキョ」が当て嵌められた・・・のではないかと。

ガッチャマンという固有名詞に引っ張られ、ずっとスルーしてきたフレーズに実は意味が潜んでいた、のだとしたら、これはお笑い史における中々の発見かもしれない、という小さな興奮を抱いた。

すぐさまネットで「ヒジリキホッキョッキョ」を縦横に検索する。しかし出てくるのは小松フレーズのごく一般的な紹介と「意味はない」「無意味」という見解のみ。それが「篳篥」と示唆する類の言及は皆無だった。

判然としない「ニンドス」の由来

では、「ニンドスハッカッカ」はどうなる? もしも「篳篥」との連句で並ぶなら、これも何らかの楽器と音を表したフレーズなのかも? 「ニンドス」という楽器が「ハッカッカ」と鳴っているというような・・・。

「ハッカッカ」が音だとすれば、おそらく打楽器だ。「ニンドス」という打楽器。となると、「ニンドス」と「ヒジリキ」は例えば太鼓と笛の組み合わせかもしれない。

古来から、「太鼓(や鐘)と笛」の組合せは祭礼や儀式に付きものであり、囃子というリズム&メロディーの基本構成だ。誰もが知っているであろう「村祭り」という唱歌は「♪村の鎮守(ちんじゅ)の神様の きょうはめでたいお祭り日 ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる笛太鼓」と、まさに太鼓と笛のワンセットを歌いあげている。

また、昔ながらの古い子守歌である「♪ね~んねんころ~りよ おこ~ろ~りよ~」の歌詞でも、「♪里のみや~げに何もろた~ で~んでん太鼓に 笙(しょう)の笛~」と、太鼓と笛のワンセットを一節にしている。

そういう組み合わせのひとつに「ニンドス」と「ヒジリキ」があり、九州界隈で古くから口伝されてきた何らかのフレーズなのかもしれないと、推察の枝葉を伸ばしながら「ニンドス」を超検索してみる。しかし「ニンドス」という楽器も、それらしき意味ある単語もとんと引っ掛からない。

ヒチリキがヒジリキに訛ったなら、ニンドスも何かが訛った言葉という可能性も踏まえ、「インドス」「キンドス」「シンドス」「チンドス」などの「同母音変換」をしたり、語尾も「ニンゴス」「ニンゾス」「ニンボス」などに変換もしてみたが、まったくヒットなし。

しかしながら「ニンドス」、そのままでインドっぽいし、仏教用語にありそうな気配ムンムンだが何も出てこない。是空。

もしこの「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」が九州地方の何らかの方言だという線でさらに掘るなら、言語学とか民俗学とか、専門分野に踏み込むリサーチになり、自分にそこまでの余裕もなく、いったん保留で撤退した。

本人に直球質問 返ってきた意外な答え

しかし、星巡りというのはあるもので、年が明けて2015年2月、構成を担当しているラジオ番組(ニッポン放送「高田文夫と松本明子のラジオビバリー昼ズ」)に小松政夫氏がゲストで出演。これは直で訊いたら案外さらっと氷解するかもしれないぞと、本番後ににじり寄り、小松さんご本人に立ち話させて頂く機会を得る。

「あのう、ひとつお聞きしたいことがありまして・・・、小松さんのフレーズの、ニンドスハッカッカ、ヒジリキホッキョッキョで、あのヒジリキっていうのはもしかすると和楽器の篳篥のことではないかと思いまして・・・、それがホッキョッキョ~と鳴っているフレーズではないかなあと。ただ、そうなりますと、ニンドスっていうのがいったい何なのかわかりませんで、これも楽器のひとつなのかもしれないと・・・。それで、小松さんの地元である九州の方言に、もしかしたらそういうコトバがあるんじゃないかと思ったりしたんですが・・・」

すると小松さん、「ああ、あれはですねぇ、学校の先生が言ってたんですよねぇ、先生の口ぐせでね、それを覚えて言ったものなんですよねぇ」と、若輩スタッフのぶしつけな質問に生真面目に応じてくれた。

「え? 学校の先生があれを言ってたんですか?」
「そうなんですよねぇ。変でしょ(笑)。だから覚えてて、そのまま使ったんですよね」
「そうですか・・・そしたら例えば当時、そのニンドスとかヒジリキって何ですかって生徒たちが尋ねたり、もしくは先生から、ニンドスってのはこうでヒジリキってのはこうですよって、生徒達に教えたりとかは?」
「無かったですねぇ。ただいきなりそれを言うんですよ。授業の中で答えられないでいると、『あらあら小松君、ニンドスハッカッカ、まあ、ヒジリキホッキョッキョ』、って具合に」
「あ、そうだったんですか・・・」

小松さんは1942年生まれ。福岡県博多にある草ヶ江小学校で少年時代を送り、この「ニンドスハッカッカ」は先生から生徒の一人として口伝されたのだった。

自著で綴られた先生とのエピソード

この「ヒジリキ=ヒチリキ」仮説を、このたびの訃報に触れて思い出し、改めてリサーチをしてみた。そこで、小松さんの自著に、このフレーズにまつわるエピソードが詳しく書かれているのを知った。

< 小松政夫・著 「ひょうげもん」(さくら舎 2019年刊)より >

小学生のころの成績は良くありませんでした。図画工作だけは5段階評価の「5」でしたが、算数は「2」とかでしたね。そのころ久保シマ先生がよく口にした言葉が、後に私のギャグの一つになりました。先生が私に「はい、雅臣君、2足す3はいくつかな?」と質問します。私が「4でーす」と答えると、先生は「あれれ、なーぜかしら、なぜかしら」と首をかしげながら、胸の前で両手を交差させて歌うように言いました。「ニンドスハッカッカ、まあヒジリキホッキョッキョ」。あのころも、そしていまだに言葉の意味は分かりませんが、リズミカルでテンポ良く、気になってずっと耳に残っていました。そして「ニンドスハッカッカ、まあヒジリキホッキョッキョ。飛ーベ飛べ飛べガッチャマン、ガーッチャマンに負けるな負けるなガッチャマン」というはやり言葉に仕立てました。(略)久保先生は私の成績を上げようとおまじないをかけたのかもしれません。」

ああ、なんとファンタジックな先生だったんだろう。なんとも温かな教室の光景が目に浮かんでくる。全国各地に、変な口ぐせを発する先生はあちこちにいるだろうが、この久保先生はとびきりファンタジックだ。

それにしても久保先生には、ニンドスやヒジリキがいったいどのように伝わってきたのだろう? 

まあ、今となっては知る由もないが、この久保先生がいたおかげで小松政夫少年に「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」は口伝され、小松の親分さんによりこのフレーズが全国のお茶の間に届けられたということだ。

あと少し考察を続けるなら、テレビで幾度も発せられたフレーズだから、もしも語源を知る人が聞いたら「小松政夫がテレビで言ってるあの言葉は、元は〇〇〇〇だ」なんていうウンチクが回り回って、小松さんの耳に届いたとしてもおかしくない。

また、久保先生自身が自作したという可能性もある。もしそうなら、小松さんがテレビからこのフレーズを発するのを久保先生が見かけたら、「あの言葉はね・・・」と、秘めた話を近親者に懐かしく語っていてもおかしくない。

だが、そんな語源にまつわるエピソードが回り回ってくることもなく、久保先生が教室で発したフレーズのまま、意味不明のまま、小松さんは「ニンドスハッカッカ マー ヒジリキホッキョッキョ」をたずさえて天に昇ってしまった。

ここで述べた「ヒジリキ=ヒチリキ」はあくまで思い付きの仮説に過ぎない。それに、こうして書いているうちに、「ニンドス」は楽器ではなく、「ニンドスハッカッカ」自体が、太鼓を打ち鳴らす「ニン!」「ドス!」「ハッカッカ!」という擬音なのかも・・・なんてさらなる考えが浮かんだりもしている。

そんなとりとめのない話なのだけど、先々ひょんなことから扉が開き、無意味だと思われていた言葉が意味に結びつく(まさかの)展開があるやもしれない。もしそうなったアカツキには、天にいる小松の親分さんにご注進したい。「実は小松さん、あのニンドスハッカッカ、ヒジリキホッキョッキョなんですが・・・」。おそらく小松さん、素でいる時の物静かなトーンで「ほおーぉ、そうでしたかぁー」と目を細めて、ニンマリしてくれそうな気がする。