AV業界最後の生き証人・西村忠治が「ビニ本と出会い、クリスタル映像で大ヒットを飛ばすまで」
AV業界のラスボス
「選択肢のない人生だった」
業界最大手メーカー、クリスタル映像・西村忠治代表が意外な言葉を口にした。
1984年秋創業の同社は、レンタル系AVとして出発した最大手メーカーで、現在も代表を務める西村忠治社長は業界最後の生き証人であり、AV業界のラスボスとも呼ばれる。
1947年(昭和22年)生まれ、団塊世代の1人だ。
「将来の夢とか、憧れとか、なりたい職業とか、いくつも道がある人生は恵まれているとしか言いようがない。私が生きてきた道は、食っていくことに精一杯で、夢を語る余裕もなかったから。でも世の中には私のような人間も少なからずいるんですよ」
1980年代前半、アダルトビデオメーカーが続々誕生した。
宇宙企画,KUKI、芳友舎、VIP、アリスJAPAN。
50代以上の男たちにとっては、懐かしい会社名だろう。
裏ビデオに対して表ビデオと呼ばれていたこれらメーカーこそ、AV草創期を担った会社だった。
西村忠治社長のクリスタル映像もその一つである。
半世紀近く前のAVは「石器時代のようなAV」とも呼ばれ、今では信じられないような原始的な手法で撮られていた。
当事者が貴重な証言を公開する。
屋台のラーメン屋でスープの研究に没頭
1980年代前半、女性の裸をメインにしたビデオは、1人で鑑賞できるとあって、猛烈に売れた。
ところが小売価格1万円以上するため、高額過ぎて手が出ない。そこで1泊数百円で貸し出すレンタル店が全国に続々と誕生した。
西村忠治のクリスタル映像はまだ三和プロモーションという社名だった。
長野県の片田舎で8人兄姉の末っ子として生まれ、工業高校を卒業すると上京し就職した。
電気資材の製造・加工販売の会社からスタートし、いくつもの職業を経てきた。
食い詰めて屋台のラーメン屋をやったこともあった。
当時、東京には屋台を貸し出す業者がいたのだ。
ラーメンの麺はどこも同じものを使用するので、あとはスープをいかに工夫するかだった。
寸胴に隠し味になりそうなものを注ぎ足すが、なかなか理想のスープには届かない。
西村青年は居酒屋に立ち寄ると、客が残した鶏の唐揚げの足が何本か残っていた。
持ち帰って寸胴に入れて煮立てると、絶妙な味になった。
それ以後、居酒屋に立ち寄ると、客が残したミカンの皮やサンマの骨、枝豆の皮といった残り物を持ち帰り、創意工夫のスープにした。
客の反応を見ながら、秘伝の出汁に仕上げることに夢中になった。
客が徐々に集まりだした。
ところが、みかじめ料を要求する地回りがうるさくなり、西村青年は思いきってやめてしまった。
ビニ本との運命の出会い
小さな印刷会社で働いたこともあった。
印刷業界というのは、製版、印刷、製本といった工程で、仕事を受注したら、それらがフル稼働する。
職人気質的な世界であり、職人の腕によって印刷の善し悪しが決まるところがあった。
創意工夫が好きな西村青年は印刷工程の腕をあげていった。
「こんな本を刷ってくれないか」と男がやってきた。
カラーの写真集だ。
豊かな乳房や悩ましい白い太股、紅い唇が目をひく。
1970年代末、日本中を席巻することになるビニール本、通称”ビニ本”だった。
68ページオールカラーのヌード写真集の被写体は素人女性たちで、被写体経験がないためにぎこちないポーズと大胆な開脚が売りになった。
週刊プレイボーイ、平凡パンチといった大手の男性週刊誌ヌードよりも露出度が高く、陰毛が見え隠れしていた。
露出度の競い合いが激しくなる。
ビニ本特需が印刷業界を襲った。
昨日まで街の定食屋の常連だった印刷会社の経営者が、寿司屋で毎日、特上を頼む。
羽振りの良さを知ると、板前までビニ本制作をやるようになった。
刑法175条の存在
西村青年も印刷・製本会社が密集する早稲田鶴巻町に、アド企画というビニ本制作会社を興した。
仕事仲間にカメラマンを紹介してもらい、ヌード写真を依頼し、できあがった写真を西村青年とカメラマンで割り付けした。
「1ページに写真を1枚置くか、2枚置くか、3枚置くかのデザインだから(笑)」
西村社長が当時を振り返る。
「今から見たら、単純なデザインだけど、それでも売れたからね。タイトルも大事ですよ。今でも憶えているのは、よく売れたのが『セイ!ヤング』というビニ本でした」
どこかで聞いたネーミングだ。
70年代初め、落合恵子、土居まさる、せんだみつお、といった人気DJが曜日毎に入れ替わる、文化放送の深夜ラジオ番組名から拝借したタイトルだった。
中身は他のビニ本同様、モデルが脱いだものだったが、若い世代がよく知っているタイトルだったせいか、よく売れた。
長野から上京して電気資材の製造や印刷といった技術系を歩いてきた青年が、女体を扱う仕事で食っていくとは、予想もしなかった。
常にどこまで露出できるか、限界への挑戦だった。
わが国において、刑法第175条の存在がある。性器、陰毛が見えてしまうのは法律違反だった。
露出度が高まれば売れ行きはよくなった。作り手はあの手この手で、陰毛やデルタ地帯をぎりぎり見せようとする。
当時業界で流行ったのが、薄い白の生地のパンティを履かせて上からスプレーで霧を吹きかけ、うっすら黒い茂みがわかるカットだった。
生地は徐々に薄くなり、はっきりと茂みが確認できるまでにいたった。
どこまでやれば摘発されるのか、おっかなびっくりやっていたが、よそがより黒い茂みを出してなんでもなかったら、競合相手もより露出を高めてきた。
かくして露出競争はデッドヒート状態になる。
見えすぎ、ということで摘発を受ける同業者もいた。
捻り出した原始的な手法
80年代前半、時代は家庭用ビデオの時代に突入、ビデオに移行する同業者もでてきた。
西村忠治社長も、ビニ本だけでは限界があると感じ、「三和プロモーション」という会社を立ち上げ、AVを制作・販売するようになった。
事務所は早稲田鶴巻町のお隣、新宿区戸山の閑静な住宅街に建つ3階建ての小さなビルの1階だった。
”サンワ”という社名はどこからとったのか、40年以上前のことなのでうろ覚えだ。
印刷関係の仕事をしていたときにそれに似た社名で仕事をとったことから来ていたのかもしれない。
AVメーカーとしては古いほうで、後にクリスタル映像としてスタートしたときにビデ倫(日本ビデオ倫理協会)の審査を受ける登録会社が三和プロモーションだった。
作品もオリジナルで勝負した。
編集機材をそろえているメーカーはごく一部で、西村社長のところも持っていなかった。
陰毛や性器を見せなくさせるモザイク(ボカシ)処理は、高額の編集機材が無ければ不可能だ。
「うちはチャレンジャーだったから、ヘアが映っても現場処理で対応したんです。紙で大・中・小の黒い丸をつくって、針金で吊して、局部の面積に応じて、黒丸を選んで局部を隠した」
編集の段階でボカシを入れるのではなく、その前の撮影の段階で●の形をした紙を針金で吊るし、ヘアを隠すという、原始的な手法だった。
たとえていうなら、全裸に蝶ネクタイを巻いたアキラ100%という芸人が、お盆で股間を隠す、隠し方とでも言おうか。
売れた作品のタイトルは……
端から見たらコントにしか見えなかったが、撮ってるほうは真剣だった。
監督がカメラを回すから、●で隠すのは西村社長みずからがやった。
これなら編集機材でボカシを入れる手間暇が省けた。
突然、画面に●が出てきて局部を隠すのだから、視聴者は何が起きたのか、わからなかっただろう。
こんな子ども騙しの中身でも、チャレンジ精神を評価してくれたせいか、三和プロモーションの売れ行きはわるくなかった。
「なかでもよく売れたのが『ペニス&バギナ』という作品ですよ。カメラマンが監督を兼ねたものだと記憶してるけど」(西村社長)
中身は男女のからみが映っただけの作品だったが、タイトルがそのものズバリなので裏ビデオに思えたのだろう。
タイトルがいかに大事かという見本のような作品だった。
ボカシの処理が旧式ゆえに、まさに石器時代のAVだった。
マンモスが襲ってきても返り討ちにする情熱はあった。
盟友・村西とおるとの出会い
暮らしは楽ではなかった。
西村社長の住まいは足立区西新井の家賃2万8千円、4畳半二間のアパートで、家族5人暮らし。水洗便所ではなく、くみ取り式、ボットン便所だった。
真夏は臭気で息が詰まりそうになった。
キッチンにコンロ1台だけ。
ご飯とオカズ1品が毎度の夕食メニューだった。
育ち盛りの子どもたちだから、おひつはいつも空っぽになる。
「お父さん、お代わりあるよ」
女房が思いやりで声をかけてくれた。
おひつに二口分残っていた。
「おれはもういいよ」
残りは子どもたちの胃袋に消えていった。
西村社長は狭い台所で水道の蛇口から水を出して、お腹を満たした。涙が出て来るのを、顔を洗ってごまかした。
「お父さん、仕事変えられないの?」
一度だけ女房が尋ねたときがあった。
「人を欺したり、嘘をついたりして仕事をするわけじゃないからね。卑屈になったことはなかった」と西村社長は断言する。
その後、かつてのビニ本仲間と組んでクリスタル映像を興す。組んだ相手は、無名時代の村西とおるだった。
すぐに天下をとったわけではなかった。
あれから40有余年。
針金で●を吊していた青年は、後にクリスタル映像という業界最大手ビデオメーカー代表になった。業界の自主審査機関として、一般社団法人「日本映像制作・販売倫理機構(制販倫)」では理事長を務めている。
首都圏高額納税者名簿にも載り、都内にいくつも自社ビルを建てた。
かつての盟友、全裸監督村西とおるはみずからを「AVの帝王」と呼び、西村社長を「ビルの帝王」と呼んでいる。
気づいたら草創期の同業者で今でも現役なのは自分一人になっていた。
ラスボスと呼ばれる由縁である。
