麻酔薬で眠らせ奇跡の救出劇…タイの洞窟で遭難したサッカー少年12人とコーチ、5年後に見舞われていた“悲痛な別れ”【ラオス洞窟遭難で再注目】
世界が無事を祈った洞窟遭難事故
5月下旬、ラオス中部の洞窟で住民7人の遭難事故が発生した。大雨による増水で洞窟の入り口が塞がれ、脱出できなくなったという。30日までに5人が生還したが、残る2人の行方はわからず、現在も捜索が続いている。
【実際の写真】浸水した暗闇の洞窟にダイバーが突入…決死の救助作戦 5年後に集まったサッカーチームと関係者の笑顔も
救助にあたり国内外の専門家が協力するといったニュースが流れるなか、頻繁に比較された同様の事故があった。アジアを専門とするジャーナリスト(以下同)が解説する。
「2018年6月下旬にタイ北部のタムルアン洞窟で13人が遭難した事故です。全員救出に至るまでの2週間半、海外メディアも盛んに報じたことで、世界中から13人の無事を祈る声が上がりました。ラオスの遭難事故では、当時の救助に参加したダイバーらにも再び声がかけられたそうです」

かつて世界を騒がせたニュースの主役たち。「あの人は今」の海外版として今回紹介するのは、タムルアン洞窟で救出された13人、地元サッカーチームの少年たち(11〜15=当時)とコーチのエーカポン・ジャンタウォンさん(25=当時)である。救出後は一躍有名人となった彼らだが、救出から5年目の2023年には悲しい別れに見舞われていた。
遭難10日目の吉報
「タムルアン洞窟の遭難事故が発生した2018年6月23日は雨季に入る直前でしたが、ラオスの事故と同じく大雨で洞窟が水没し、13人は奥へ逃げ込むしかなかった。しかも、サッカーの練習帰りだった彼らは洞窟の途中で荷物を置いてきたため、連絡手段を持っていなかったのです」
子供たちの帰りが遅いことを心配した両親が、洞窟の前で彼らの自転車を見つけたことで遭難が発覚した。
「深夜から捜索が始まったものの、洞窟は全長約10キロ以上あり、内部をよく知る専門家も少ない。しかも鉄砲水は収まらず、水抜き活動も当初は“焼け石に水”の状況。洞窟内を進むには潜水するしかありませんが、暗闇の中で狭所ばかりの『ケーブ(洞窟)ダイビング』は高い技術力と判断力が必要で、誰でもすぐにできるものではないのです」
タイ海軍と海外から駆け付けたダイバーたちは、決死の覚悟で13人を探した。吉報がもたらされたのは遭難から10日目のこと。
「7月2日、6時間以上かけて奥に進んだ英国人ダイバー2人が13人を見つけました。第9空間と呼ばれる2500メートルの地点です。13人は衰弱していましたが大きなケガなどはなく、その際に撮影された動画にもしっかりと名前を言う姿が残されています。まずは食料などを運び、ダイバーが交代で常駐することになりました」
伏せられた麻酔薬の使用
しかし、ここからが大問題だった。13人がいる場所までには多数の難所があり、酸素タンクの途中交換も必須。しかもすでに、交換用タンクを運んでいたタイ海軍ダイバー(当時)のサマン・グナン氏が命を落としていた。
「プロですら到達困難な場所からどうやって13人を救出するのか。雨季が終わるまで待つ案もありましたが、第9空間の酸素はだんだんと薄くなり、再び大雨が近づいていました。時間がない中で決まった作戦は、彼らを麻酔薬で眠らせ、ダイバーが“運ぶ”というものです。眠っている間に溺れたり、逆に目が覚めてパニックになったりする危険性も高かったのですが、とにかく時間がなかった」
遭難から16日目、ついに救出作戦が始まった。
「1人ずつにダイビングの装備をつけて、麻酔薬の注射を打ち、眠らせる。その状態で第3空間まで運び、次のダイバーに引き渡すという手はずです。3日間かけて全員を無事に運び終わると世界でも速報となりましたが、麻酔薬の使用は作戦決行前に公表されていません。担当した医師らは、翌年7月に発行された医学誌で詳細を明らかにしました」
救助に携わった人数は約1万人といわれる。救助活動そのものに大きく貢献し、勲章が与えられた188名には、JICA関係者の日本人3人も含まれていた。
「助けられた良い子として行動しなくては」
救出された13人は世界の有名人となったが、その前にクリアすべき件があった。
「ジャンタウォンさんと少年2人はそれぞれミャンマー難民でしたが、救出から1カ月後にタイ国籍を与えられました。母国で僧侶の修行を積んだ経験があるジャンタウォンさんは、遭難中に祈りと瞑想の時間を設けて子供たちを落ち着かせていたそうです。時計を使って一日のリズムを崩さないよう工夫するなど、統率力が称賛されました」
後に制作されたドキュメンタリーによると、サッカーチームの隠れた役割は貧しい彼らを非行に走らせないストッパーだった。仲間を思う心、協力の大切さ、自制心は日ごろから意識的に養われていたようだ。
「救助の順番を決める際も、13人で話し合い、譲り合って決めています。救助後の入院先でも礼儀正しく、少年の1人は後のドキュメンタリーで、『たまたま閉じ込められて有名になった。助けられた良い子として行動しなくては』と当時の心境を明かしました」
洞窟の前に掲げられた3人の肖像
少年たちは世界中から招待され、米国のテレビなどにも出演した。周囲の興奮が落ち着いた後は地元での生活に戻った者と、海外へ飛び出した者がいる。
「コーチは立派な少年サッカーチームを設立し、今も子供たちと向き合っています。タイ国籍を与えられたうちの1人で、13人を発見した英国人ダイバーと最初に英語で会話をしたアドゥル・サムオン君は米国留学中です。14歳だった救出当時から奨学金提供の申し出はありましたが、英語力が足りず、数年の猛勉強の末に掴んだチャンスでした。将来の夢は医師で、現在もInstagramには米国生活やタイ帰省時の元気な様子が投稿されています」
2023年、救出から5年目の式典が行われたタムルアン洞窟には元救助チームの関係者と少年たちの姿があった。しかしそこに、当時13歳だった“ドゥム”ことドゥアンペット・プロムテープ君はいなかった。
「ドゥム君は奨学金でチェンマイのスポーツ校に進学し、2022年9月からは英国留学と順風満帆のはずでしたが、2023年2月にまさかの訃報が流れたのです。寮の自室で意識不明の状態で発見され、2日後に病院で亡くなり、その年の10月に英国で出た検視結果は自死。理由は勉強の悩みなどいろんな憶測が飛びましたが、結局は明らかになっていません」
5年目の式典には、救出活動中に死去したグナン氏、県知事として救出作戦の陣頭指揮を執り、式典を目前にしてがんで死去したナロンサック・オソタナコーン氏、そしてドゥム君の肖像が掲げられていた。たった5年、されど5年の長さを感じさせる情景であった。
デイリー新潮編集部
