スポニチ

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 20代、30代の親しい友人といえば、安井かずみさん、かまやつひろしさん、篠山紀信さん、田村正和さん、寺山修司さん、それに高田賢三さんをはじめとする文化服装学院の同期生。ぱっと頭に浮かんだだけでもこんなに多くの人たち。それも皆さん、後にそれぞれの世界で大活躍するんですから、凄いメンバーだったんですよね。

 人生に無駄なことなど一つもない。良き友人や仲間と過ごす楽しい時間や会話は仕事へのエネルギー。未熟な私を知らないうちに成長させてくれていたのです。親友のZUZU(ズズ)こと安井かずみさんが次々と芸能界から新しいお客さまを連れて来てくれて、いつの間にか私の名前も知られるようになっていました。

 青山のキラー通りにお店を移転したのは、1970年(昭45)。その名もズバリ、ブティック「ジュンコ」に変えました。確かその頃だと思います。子供ながらに憧れていた大スターとお近づきになることができました。私の中で歌姫と言えば、昭和も今もこの方しかいません。不世出の歌手・美空ひばりさんです。

 ひばりさんには仕事でもプライベートでもいつも優しく接していただきました。「ひばり御殿」と噂された、代官山の大きなお屋敷を訪ねると、決まって「お茶漬け、食べる?」とほほ笑みながら声をかけてくれました。そんな時、私はたとえ空腹でなくても「はい、いただきます」と二つ返事。だって、物凄く美味なんですから。実はこのお茶漬けは、ひばりさんのお母さま(喜美枝さん)の特製。お宅にお邪魔する時は、もちろん、名古屋の名鉄劇場など公演先の楽屋でも、私がごあいさつに伺うと「ジュンコさんにお座布団2枚」と言った後、必ず出してくれました。

 ある日、ご自宅へ呼ばれていくとお手伝いさんが台所に一人。私は思い切ってレシピを尋ねてみました。なんとご飯にかかっていたのは、お茶ではなくスッポンのだし汁だったんです。

 ひばりさんとの親交のきっかけをつくってくれたのは、ひばりさん母子がよく行っていた青山の「紫」というクラブのオーナー。皇后さま(香淳皇后)から頂いた美しい帯で「イブニングドレスを作ってほしい」とひばりさんが、そのオーナーと私の店を訪ねて来たのです。あいにく、その時、私はパリにいてお目にかかれず、後日、ご自宅に伺ったというわけです。

 ところで、青山のキラー通りの名付け親、誰だかご存じですか。皆さん、意外と知らないんですよ。正解は、私です。本来は外苑西通り。全然オシャレじゃないですよね。近くに青山墓地もあるし、当時、ピンキーとキラーズの衣装を手がけていて、そう呼ぶようにしました。この名称も今ではすっかり定着したようですね。

 ◇コシノ ジュンコ 文化服装学院在学中に装苑賞を受賞。1978年から22年間、パリ・コレクションに参加。世界各国でファッションショーを開催、国際的な文化交流に力を入れる。オペラ、DRUM TAOの舞台衣装、花火、ユニホーム、インテリアのデザインなどを手がける。フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ受章、旭日中綬章受章。2025年11月には文化勲章受章。大阪府岸和田市出身。