“コミケの女帝”七瀬葵氏の作品集

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 日本最大の同人誌即売会「コミックマーケット(以下、コミケ)」が、昨年12月30日〜31日に東京ビッグサイトで開催された。コミケの1回目は1975年12月21日に虎ノ門日本消防会館で行われ、その後、規模の拡大とともに会場を変えながら継続し、昨年末で107回目、50周年という節目を迎えた。

 そんなコミケで圧倒的な人気を誇り、“コミケの女帝”と呼ばれた作家がいる。イラストレーター・漫画家の七瀬葵氏である。1990年代、七瀬氏の同人サークル「パワーグラデイション」は、同人誌を買い求める人が建物の外まで列を作る“シャッター前サークル”の象徴であった。

 また、七瀬氏が同人誌でたびたび描いた「サムライスピリッツ」のキャラ“ナコルル”の絵は、メーカー側からも高く評価され、同作のアニメ(OVA)でキャラクターデザイナーとして抜擢されるに至った。こうした公式と同人作家のコラボレーションは今でこそ珍しくないが、当時としては画期的なことだった。

“コミケの女帝”七瀬葵氏の作品集

 コミケの歴史を語る上でも、オタク文化を語る上でも重要なクリエイターの一人といえる七瀬氏に、90年代のコミケで残した数々の伝説について話を聞いた。また、近年七瀬氏が関心をもつ生成AIの話題にも触れつつ、同人文化や二次創作の在り方についても語ってもらった。【文・取材=山内貴範】(全2回のうち第1回)

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初めてのコミケでいきなり壁サークルに

――七瀬先生が初めて同人誌即売会に参加したのはいつ頃のことですか。

七瀬:1992年の夏頃、都心近郊で開催されていたイベントで“コピー本”を出したのが始まりです。作った本は「ストリートファイター2」の二次創作。当時、私は専業主婦でしたが、純粋に格闘ゲームが好きという思いで参加した感じですね。好きなキャラクターの絵を描いて並べた、アニメの設定画集のような本でした。

 翌年の4月、別のイベントでそれを売っていたら、編集さんが名刺を渡してくださって。そして、8月に出た「餓狼伝説」というゲームのアンソロジーコミックで商業誌デビューしています。10月〜11月頃には格闘ゲーム「あすか120%」のキャラクターデザインの話が来たりと、様々な仕事が入ってきました。

――同人誌即売会に参加してすぐスカウトされたというエピソードからも、七瀬先生の才能の片鱗を感じます。コミケに参加したのはいつでしょうか。

七瀬:コミケ初参加は94年で、島中(注:もっとも一般的な同人サークルで、ホールの中央に島のようにスペースを配置されることからそう呼ばれる)に配置されました。2種類の本を用意したんですが、なにぶん初めてのコミケ。どれだけ刷ればいいのかわからず、出版社の担当編集さんに意見を求め、1種類あたり1000部ずつ刷ったんですよ。

 そしたら、当日は島中の限られたスペースに大量の段ボールが積まれて騒動になってしまい、“壁”に移動するように言われました。だから、初回からコミケは壁サークル(注:同人誌を買い求める人の列ができるサークルは、ホールの壁側に配置されるためそう呼ばれる)だったんです。ちなみに、用意した本はすべて(売れて)なくなりました。

誰とも被らない絵柄を研究

――いきなり2000部を搬入して完売したんですね。壁からシャッター前(注:同人誌を買い求める人の列が長くなり、建物の外に流す必要があるため、シャッターの前にスペースを配置されるサークル)にステップアップしたのはいつ頃で、何部ほど搬入していたのですか。

七瀬:コミケがビッグサイトに移る前、晴海(注:東京国際見本市会場のこと)の時代には、既に1万部を超える部数は刷っていましたね。そして、96年に会場がビッグサイトに移動した最初のタイミングでシャッター前になりました。

――そして、99年の夏コミでは七瀬先生のサークルで大変な騒動が起きています。6時間並んでも新刊が買えない人が続出し、コミケ終了まで列を捌ききることができなかったとか。私の知り合いも並んだけれど買えなかったと言っていますし、会場は大混乱に陥ったそうですね。

七瀬:騒動が起こった原因は、サークルカットに「今回でファイナル(注:最後の参加、という意味)」と書いてしまったためだと思います。しかも、頒布物も種類が多かったため、受け渡しに時間がかかり、終会の時点でまだ、(ビッグサイトの)東館を一周半、列が残っている状態でした。

 私は頒布に必死で、まさかそんなことになっているとは知らず、状況を把握できていませんでした。次の日、準備会の計らいでビッグサイトのガレリアで頒布を行いましたが、前日一日を無駄にした方がいらっしゃったことについては、本当に申し訳なく思いました。

――様々な騒動も起きていますが、それほど高い七瀬先生の人気を支えた要因の一つが、美しく個性的な絵柄です。

七瀬:ある大手サークルが出した同人誌に、“七瀬葵という人がAさん(注:当時人気のあった同人誌作家)の絵柄をパクっている”と書かれてしまったんです。確かに私はAさんの絵が好きでしたし、影響を受けていたと思います。ただ、私はこの一言にすごくショックを受けて、“誰ともかぶらない絵を描かなきゃいけない”と考えました。

 そこで、コミケカタログのサークルカットをすべてチェックし、徹底的に分析して作ったのが当時の絵柄です。特にこだわったのは目の描き方ですね。目全体を小さめに描き、瞳は黒目がちにするんだけれど、端に光をちょっと入れてあげる。目の下やまつ毛がある部分は直線的かつ太めに描く、というものです。

――そうした七瀬先生の研究の結果、あの絵柄が生まれたのですね。

七瀬:そうそう。かぶらないように、叩かれないようにね(笑)。当時のコミケでは、高橋留美子先生の「らんま1/2」のような、目が大きくて、ハイライトの部分が大きい絵柄が主流でした。そして、顔の輪郭は斜めを向いているのに、パーツを平らに描く絵が多かったのですが、私は顔が立体的に見えるように試行錯誤しながら描いていました。

七瀬葵とナコルル

――七瀬先生といえば、「サムライスピリッツ(以下、サムスピ)」の仕事、特にナコルルのイラストが有名だと思います。同人誌で描いていたのをきっかけにメーカーから声がかかり、公式で描くことにもなりました。これはどういった流れで実現したのですか。

七瀬:私のデビュー作、「餓狼伝説」のアンソロジーコミックを出していたホビージャパンさんは、他にもいろいろなゲームの本を出版していました。その流れで、「サムスピ」のアンソロジーコミックの表紙を描く機会がありました。その後、アーケードゲーム雑誌の「ゲーメスト」の依頼でグッズ用にナコルルの絵を描き下ろしたら、ものすごく売れたそうなんですよ(笑)。

 私のサークル名「パワーグラデイション」も「サムスピ」のキャラ、シャルロットの必殺技からきているほど。それくらい好きだったので、漫画やイラストを同人誌で発表していたのです。すると、「サムスピ」のアニメのビデオ(OVA)を出す話が持ち上がったときに声をかけていただき、「サムライスピリッツ2 アスラ斬魔伝」でキャラクターデザイナーを務めることになりました。

――今ではメーカーが同人作家に仕事を依頼するのは珍しくありませんが、当時は類例が少なく、画期的でしたよね。

七瀬:当時、コミケでナコルルの同人誌を描いていた人は山ほどいたわけですよ。そのなかからオフィシャルに引っ張りあげていただけたのは、本当に嬉しかったですね。

 ただ、公式の仕事をしてしまった影響で、同人活動ができなくなっているのが今の状態です。私は今もナコルルが好きなのに、勝手に描くことはできないジレンマがあるんですよ。大好きなキャラなのでこれからも描き続けたいし、アンソロジーや同人誌で描いた物語の続きも描きたいんですけどね……。

――七瀬先生が描いたナコルルがこれほど評価された要因を、ご自身ではどう考えていますか。

七瀬:ナコルルの場合、本編の絵を私の絵柄の美少女にしつつも、違和感がなく、それでいて魅力的な絵になるように意識して描いていたためかもしれません。あと、私は同人誌を作るときは作品をリスペクトするのが大前提で、お話も本編からできるだけ外れないように考えていました。

 90年代は18禁の同人誌が盛り上がっていましたが、私はあくまでも全年齢の本を出し続けていたんですよ。リスペクトして描くのだから、18禁にしちゃうのはどうかなって思っていたんです。あと、専業主婦をやっていたこともあり、一般の人たちにオタクを認めてもらうためには、誰でも読める本を描くというポリシーがありましたね。

コミケは貴重な表現と発表の場

――お話を聞いていると、愛情をもって同人誌を作っていたからこそ、ファンから支持を集めたのだとわかります。

七瀬:ナコルルが大好きだったし、純粋に、好きな作品の同人誌を作るのは楽しかったですね。あと、当時はまだネット環境がありませんでしたから、コミケは自分の絵や作品をたくさんの人に見てもらえる貴重な場でした。だからもう必死というか、とにかくできる限りのことをやりたいと思って、頑張って本を作っていました。

――同人誌即売会から商業デビューした作家は、CLAMPさんや高河ゆんさんなど、たくさんいらっしゃいます。七瀬先生もそういった作家の一人ですよね。

七瀬:私、CLAMPさんとか、高河ゆんさんと世代がほとんど同じなんですよ。それに、同人誌を出されていた時代も知っていますから、商業デビューしたのを知ってすごいなあと思っていました。なので、私にとってのコミケは、もちろん好きなものの発表の場でもあると同時に、プロになる近道だと思って取り組んでいた部分もあると思いますね。

 余談ですが、当時の私は家庭で旦那との間で騒動に見舞われていました。そもそも私は専門学校に進んでアニメーターになりたかったのですが、21歳で結婚、専業主婦になっています。私が同人誌の原稿を描いていると、旦那から「食事はまだか」と催促され、「お前が絵なんて描く価値があるのか」と言われていました。

――好きという感情だけではない、複雑な事情があったわけですね。

七瀬:「金にならない絵ばかり描いて家事を疎かにしている」なんて言われたら、そりゃ同人誌の売り上げを見せて殴り返すしかないわけですよ。旦那を見返すために必死に絵を描いて、本を作っていましたし、それが同人活動の原動力になっていた面はあると思います。その後、漫画の連載を本格的に始めるために、旦那とは離婚したのですが。

 だから、本来の同人活動はそこまで頑張らなくてもいいんです。今の私ぐらいの規模で気軽にやるのが、健全な姿かもしれませんね(笑)。

 第2回【“AI堕ち”とボコボコに叩かれたイラストレーター「七瀬葵」…それでも「コミケから生成AIの創作物を排除しちゃダメ」と語る理由】では、コミケの女帝と言われたカリスマイラストレーター・七瀬葵氏が、生成A Iを使用したイラストを発表した経緯について、またそれに対する反響・批判に対する現在の心境、思いについて語っています。

ライター・山内貴範

デイリー新潮編集部