「さだむの夢は俺の夢」ガンと闘う友と挑む、人口11人の島を“世界のマンガ島”へ 空き家の壁に描く再生への希望と「漫画学校」にかける思い

瀬戸内海の離島・高井神島(たかいかみしま)。かつて180人が暮らしたこの島も、今では人口わずか11人。そんな島で2人の男が動き出した。
元自治会長の木村定(きむら さだむ)さんと実業家の長谷部理(はせべ おさむ)さんが挑んだのは、空き家の壁に人気マンガの名シーンを手描きする“マンガ島”プロジェクトだ。
過疎の離島を世界のマンガ島へ。マンガで島おこしをする2人の姿を追いかけた。
■「島ににぎわいを」過疎の島を世界のマンガ島へ

おさむさん(76)は、15年前から高井神島を訪れている。出迎えたのは、高井神島で生まれ育ったさだむさん(75)だ。
2人の出会いは40年前の東京。きっかけは仕事だったが、お互いが携わってきた空手で意気投合した。さだむさんは「(高井神島は)いいところだから来るといいぞと言って」と振り返る。
東京でサラリーマン生活を送っていたさだむさん。19年前に島へ戻り、自治会長として地域を引っ張ってきた。
おさむさんは、東京や山梨で病院や保育園など10以上の事業を経営する実業家。信念は「人の役に立つこと」。18年前に海外で小学校を建設するなど、積極的にボランティア活動を行ってきた。さだむさんとの出会いがきっかけで、15年前から月の3分の1を島で過ごすようになった。
「距離的には山梨からだと700キロくらいですかね」と話すおさむさん。高井神島までは、高速道路で10時間、船で1時間。15年間、毎月欠かさず島に通い続けている。
「彼女でもないのに、よくここまで会いに毎月毎月来るもんだと」と話すさだむさん。おさむさんは「遠距離恋愛も15年も続かないよね」と笑う。
ピーク時には、およそ180人が住んでいた高井神島。漁業で栄えていたが衰退し、若者を中心に島から離れていった。4年前にはわずか7人となり、今ではほとんどが空き家だ。今や日本全体で進む過疎化。高井神島もまた典型的な過疎の島だ。
「(高井神島に)いつも来てもらうには何かないかなって。たまたま空き家だったから(壁に)絵でも描くかって。頭の中じゃ浮世絵(だった)」(おさむさん)
さだむさんの願いは「島ににぎわいを取り戻すこと」。大人だけでなく、子どもにも島に来てほしい。「建物の壁にマンガの絵を描いたらどうか」とおさむさんに提案する。
「マンガの島にしようかってなった。子どもがいる人は、両親でマンガを見に来て、一人でも多く(島に)降りて来てくれたら、それで全然違うんじゃないのという話をしたら、それもそうかなって言いながら」(さだむさん)
日本のアニメは、主にマンガを原作に作られていて、この10年で国内だけでなく、海外の市場が急速に拡大している。「『マンガの島』なら、たくさんの人が来てくれるのではないか…」。2人は、空き屋の壁にマンガの絵を描く、島おこしを始めた。
■有名漫画家の協力と“島おこし”への思い

『Dr.コトー診療所』の作者・山田貴敏さん。島の壁画を描くために、原画を提供した一人だ。山田さんと長谷部理さんは、東日本大震災のマンガを通じた被災地支援がきっかけで親交が深まった。
山田さんは「(最初の印象は)ちょっと怖いおじさんかなって(笑)長谷部さんがすごいのは諦めないこと。長谷部さんが島おこしをやりたいんだということでマンガ島にしたいって話を聞いて、いくらでも協力できるって話をして。これ使ってくださいって感じで」と話す。
『Dr.コトー診療所』を書くための取材で、若者が島を離れていく現実を目の当たりした山田さん。「マンガで島に人を呼び込みたい」という思いに共感し、第一作目となる壁画に原画を無償で提供した。山田さんは仲間の漫画家にも無償提供の協力を呼びかけ、今や作品は40以上。作家自ら島に絵を提供したいと、声が上がるほど になった。
壁画がきっかけで、島への観光客は13年前と比べておよそ5倍(1カ月 約1000人)に急増した。
変わっていく島の風景。住民の思いはどうなのか。「にぎやかさを取り戻すって地方はもうダメだろう」「何ができるか分からんけど、体力的には無理やし」「僕ら島の人間は黙って見ているしかない」といった声があがった。
おさむさんは「どこに行っても同じことを言うのは、『過疎化はしょうがない』って。何とかしようという人がいない。これはこの島に限らず全部そうだったから。違う水が入ってくれば少しは色も変わると思う。島の人が本当に真剣に考えれば、絶対何かできるとは思う」と力強く語る。
マンガを使った島おこしについて、島の壁画に原画を提供した山田さんは「本音を言うと半信半疑…。マンガで島おこしって言っても、島が盛り上がるのかなと思っていたけど。ただ、長谷部さんの発想はもっと上をいっていて、学校作りたいとか」と振り返る。
■「漫画学校」開校への思いと迫る時間

島にマンガの壁画が増え、訪れる人が多くなってきた今、おさむさんが掲げる10年越しの計画がある。それは、廃校となった学校の校舎を活用した「漫画学校」の開校だ。
「マンガをみんなが喜んで見に来てくれている。マンガが好きな子が多く来る。マンガの勉強がしたいと子どもに聞いたので、マンガの勉強を島でどうかなと」(おさむさん)
漫画学校は、島の壁画に原画を提供したプロの漫画家を講師に招き、生徒は全国から募集。1泊2日で滞在し、計6回の授業を行う。
おさむさんは漫画学校の開校を急いでいた。「最初は木村が自治会長をやっている時に喜んでくれればと、島のためにという意識がなかったから。ただ、木村が『困った、困った』ばかりだったから。今は彼もあまり体調が良くないし、元気なうちに開校したい」。
「これはガンの薬、朝8錠くらい飲む」と話すさだむさん。3年前に肺ガンを発症。現在も治療を続けている。「なんとか協力してあげたい、手伝ってあげたい気持ちばかり焦って、体が何も言うこと聞かないから。本当に申し訳ないなだけで…」。
漫画学校開校式の5日前、おさむさんは準備に追われていた。その現場にいたのは、馬場政典さん(50)。2人の島おこしに共感し、去年、愛知から移住した。開校する漫画学校のスタッフとして働いている。
「いいじゃないですか、それっぽくなってきた」と準備を進めるおさむさん。「(さだむを)好きとか嫌いじゃ割り切れないものがあるかな。さだむの夢は俺の夢だね。まさしく今そう思う。あいつがそういう夢を持っているから俺もそれに同調したし」。
漫画学校の生徒を増やすため、島を紹介するPR動画制作を外部の業者に依頼。SNSで高井神島の取り組みを発信し、インスタのフォロワー数は3カ月で1万5000人を超えた。「島のにぎわいを取り戻すこと」2人の夢への期待が高まる。
開校準備が進む中、おさむさんがさだむさんを漫画学校へと連れ出した。島の坂は傾斜がキツイため、2人には電動カートが欠かせない。さだむさんは教室に入ると「まさかこんなになるとはね。もうすぐだね」と笑みを浮かべた。
さだむさんは、昔の思い出を語り始めた。「ここ(教壇の横)に立たされたな…悪いことばかりしていたから」「逃げ足は速かったから(笑)」。すると、おさむさんは「まさかまた漫画学校でよみがえるなんて、想像もしていなかったなあ」と感慨深げに反応した。
■開校の日、そして世界へ

開校式に向け高井神島に続々とやってきたのは、島の壁画に作品を提供した漫画家たちだ。
「本当にあった!オーマイガー!これは来ないとわからない。臨場感が伝わらないよ」(絵本『がけのうえのやぎ』の作者、稲垣利暁さん)
2025年4月27日、開校当日。さだむさんは「胸がワクワクしているのか、緊張しているのか。すごい日になりそうで。島が沈むんじゃないかな。スゴイよ。何十年ぶりですよ」と興奮を隠せない。
授業を受けるのは、上島町内の子どもたち20人。教壇に立つのは、『つるピカハゲ丸』の作者、のむらしんぼさん、『恋のシュビドゥバ』作者の塚本知子さん。さだむさんが心から待ち望んでいた風景だ。
「昔を思い出して、涙がぽろぽろ出てきた。二度とこういうことはありえないと思っていたけど、それが現実になって、これからもっともっと増える可能性を感じた」(さだむさん)
開校式から2週間後、おさむさんはさだむさんを島の外へ誘った。
おさむさんは「今回の開校式、今だから言うけど(さだむの体調が)もうダメかもしれないと思った。そしたらうちの病院に連れて行こうかとずっと思っていた。職員にも一部屋空けておけって言っていた。いつでも借りられるように」と打ち明けた。
さだむさんは「どれだけ頑張ってくれたか、やってくれたか…もう言葉では言い表せない、嬉しくてね。こんな男いたのかなって、知り合えて、信じて良かったな。これだけは言えますね。大事にもしてくれたしね。ごめんなさい、支離滅裂な話になって…」と涙を流した。
そして、思いもよらない出来事も。SNSで高井神島の漫画学校を知った、日本のマンガを学ぶノルウェーの専門学校から連絡が入ったのだ。
「いつも日本でマンガの授業を(生徒に)取らせているので、もし高井神島で(授業を)受けさせてもらえるのならすごくいいなと思ったんです」(ノルウェーの専門学校 マンガクラス担当者 佐藤暢代氏)
「来年3月、20人の受講希望者を連れて行きたい」との問い合わせだった。おさむさんは「まさかノルウェーって話、ビックリですね。そんな遠くの話がいきなりここに降ってくれたのは嬉しい限り。世界のマンガ島もまんざらじゃなくなってきた」、さだむさんは「本当にうまくいくような気もしますね。これからだもんね、第一歩を踏み出したばかりだから」と話した。
さだむさんとおさむさんの夢。その先は──。
「本当に2人でやってきた。今考えると、よくここまでできてるなあ」(おさむさん)
「おさむより先に逝くわけにはいかない。できれば一緒に永くいたいなと思う。今後見たいこともあるし、この島がどうなっていくか」(さだむさん)
「俺たちの島がみんなの島になれば、それが僕らの最終ゴールだと思う」(おさむさん)
※年齢等は2025年7月19日地上波初放送時
(愛媛朝日テレビ制作 テレメンタリー『さだむの夢は俺の夢 〜過疎の離島を世界のマンガ島へ〜』より)
